電車は待ったらやってこない

 日曜日はちょっと少しだけ遠出をして行って参ったは「海芝浦駅」。この駅はJR鶴見線という神奈川にあるローカル線の終点なのですが、実にすばらしい場所であって、なにが素晴らしいって電車を降りると目の前は海!

 「目の前は海!」と言いつつ遠くの方に海がちらりと見える温泉なんてものはたくさんありますが、この距離をご覧下さい。文字通り目の前に広がるは海意外のなにものでもない海。波がホームに打ちつけておるのです。


 そして、これ。終点でしかみることができないレールの“くるっ”としたところ、通称“くるっ”。いつもは「諸々の融通を決して通しませんわたくしが通すのは電車だけ」と頑固な面持ちのレールも終点となればこのようになよっとしてしまうのです。それこそが終点の力。

 さらに、この「海芝浦駅」は東芝の工場に通う人々が使うためにある駅のため、改札はあれどそれは工場に直結してしまうのでありまして、つまり東芝で働いていないものはこの駅から一歩たりとも、たったの一歩たりとも出ることができないのであります。

 ですからまさにここはわたしにとりましても”終点”なのであり、ある種それは“最果ての地”でもあるのでした。 

 だからというかなんというか、この駅つまり終わりの場所に於いて、レールのようにわたしもまた進む方向はどちらにもないのであります。

 くるっとなよっとするしかない。

 で、ホームからどんな景色が見られるかというとこれつまり”工業的光景”。クロアチアみたいな、あるいはテーブルクロスみたいな白と赤の配色パターンがかわいらしい。けれども工場は工場であるからにして、とてもとてもその実煙突やらパイプやらで筋骨隆々なのです。

 なるほどこうした工業がこの国を支えておられるのですかとちょっと関心しつつ、その国「日本」は「にほん」と読むのか「にっぽん」と読むのか、あるいは「NIPPON」であるのか「JAPAN」であるのか、などなど思ってしまったりした。

 しかし“対岸の火事”とはこういうことなんだと一方で、眼前に見えると言っても海に隔てられた向こう岸の世界はどこか現実感の薄皮を剥かれて虚構に近く、「この国」といったときになにを果たして指しているのだろうかというような問題はたちまちにどうでもよくなってしまって、あたかも海鳥のように向こう岸からこちらに飛んできた真っ黒なカラスの優雅な羽ばたきに、都会で見る邪悪なそれとはまた別の、鳥として基本的に備わっている「自由」を垣間みたなと思ったりしました。

 十月も下旬の風の強いのなんの、そしてそれがことごとくさむいのであって、もうこれたまらんというわけで風が吹くたびに「さむい」といってみればことばは風に吹き飛ばされてしまって聞こえもせずに風の残響が轟くばかり。

 電車がわたしをむかえに来てくれるまでの1時間と少しのあいだをわたしは海を見ているしかないこの場所で海をばかり見ていて思ったのですが、波のなかに細かな波が立ち、その細かな波同士が干渉しあって新たな波を生んで、しかしそれらミクロな営みはマクロな波の上で起こる些末な物事でしかなかったりするという、なんというか“言い得て妙”なのである。

 また、この場所が端的に表しているように、海ってわたしは行き止まりだと思うのです。もうこの先は行けませんよという、そういうところもどうしたもんかいいのですよね。

 で、海。

 わたしは海の写真を見るのが好きで、特に杉本博司さんの「海景」なんかはとってもお気に入りで海がいつまでだって見ていられるようにこの作品もいつまでだって見ていられる不思議があり、その背景には杉本博司のフィロソフィーの元に駆使される技術もあるのですけれど、他方でやはり海の不思議そのものもありまして、こうしてわたしに写真に撮られることによって時間をそがれる形で固定化されてしまった海の画像でも、なぜだかぼうっと見ていると波が揺らいでいるように感じてくるところがあるなぁと、わたしは常々思うのであります。

 で、表題の件。

 海がいつまでだって見ていられるとはいっても、この日はとてもさむくて、そのさむさゆえに私は早く帰りたくなってしまったのだったが、されど電車は来ず。わたしの気持ちは電車の到着時間を早めはしないということは重々承知しているがしかし、わたしがこれだけ電車の到着を待っているのになぜにお主は人の気持ちなど顧みずに決められた時間にやってくることだけを確実に遂行するなどというまったく四角なものの考えしかできないのであるかなどなど恨み節にもならぬ助けを求める気持ちの裏返しとしての戯れ言を思ってみたりしたのだけど、やはりされど電車は来ずなわけで当たり前なのだが、ふと、「電車は待ったらやってこない」んではないの?と思ったのでした。待てば待つほどに電車の到着は遅れるのではないの?と。であるからにして、わたしが電車をずっと待っていれば、それだけ電車はずっと到着しないのではないか!と。

 そして、わたしは時間通りに到着した電車に乗って家まで帰りました。

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