一つの時代が終わったみたいなそんな感じ

 ちょっと気が動転してしまって、コンビニでハイボールを買ってしまったよ。ハイボールは冷たくて、今日もまた夜はやっぱり寒いのであって、だから身体はツーンと冷えていくのだけど、しかし、ちょうど歩道橋を渡っている頃になって温かいものが身体の中を巡っていくのを感じ、それはつまり酔いが回ってきたことを示すのだけれど、すこしふらっとしながらこんなことを思いました。一つの時代が終わったみたいだ、と。

 わたしは、彼についてあまり知りません。わたしが彼について知っていることと言えば、名前が正太郎ということと、わたしより二つ年下ということくらい。それ以外のことは、ちゃんとはわからない。しかし、わたしと彼は、いっとき恋人関係にありました。それは何年も前のことです。

 社会人一年生の頃、わたしはバイクの免許を取ろうと教習所に通っていました。とくにバイクに思い入れがあったわけではないですが、その頃は環境の変化に翻弄され、社会に溶け込むことをどこか否定したいというか―社会、それは会社ということだったんだろうと思いますが―会社の文化や空気のようなものに順応してしまったら、これまでのわたしではなくなってしまうという不安があったりして、そのある種の自己同一性の問題を振り払いたいと、つまり、吹っ飛んだ爽快感がほしいと思っていて、そんな折り、社内にバイク同好会のようなものがあることを同僚に教えられ、もちろんその同好会に入る気は毛頭なかったのだけど、「そうかバイクかぁ」とあまり考えもせず、スピードで風を感じるといったイメージが吹っ飛んだ爽快感と結びついて、これはいいわと思ってバイクの免許を取ろうと思ったのでした。

 そしてわたしはバイクの免許を取るべく、休日を利用して教習所に通うことになりました。だけど、バイクって意外と大変で、まずもってけっこう重くて、技能教習の後は両腕がパンパンになりました。そして、なんといってもバイクの操作が実に大変で、わたしは車の免許をMTでとっていたのでクラッチがどういうものかは理解していたのですが、しかし、バイクと車とではその操縦方法というか感覚が全然違い、バイクの場合は、マシーンと身体が一体化するところがあって、しかし、わたしはバイクにまたがるとバイクに身体が持っていかれるというか、つまり身体の動きがぎこちなくなってしまって、バイクと身体のバランスを保ちながらクラッチを操作するということがうまくいかず、実地教習では、ずっとそれにつまずいていました。そして、うまくいかないことに落ち込み、実地の後の座学のときなどは、「もうダメだー」と机に突っ伏していたのでいた。

 そんな、机に突っ伏しているわたしに話しかけてきたのが正太郎でした。彼は見るからに若く、短髪で眉が細く、日に焼けた顔に白い歯が覗き、さわやかではありましたが、どこか田舎っぽくもありました。「クラッチ大変そうだったね」というようなことを彼はわたしに言い、わたしは自分の醜態を見られていたことに恥ずかしくなり、うっとうしいなぁと思うのと同時に、しかし、何か言うたびに少しにやっと笑う彼のその表情には、どこか頑張ってわたしとの会話を引き伸そうとしている懸命さやあどけなさを感じ、かわいいなぁと思いもしたのでした。

 正太郎は、その後わたしを見かけるたびに話しかけてきて、わたしが誰であるのか、なにをしているのか、なぜバイクの免許を取ろうとしているのか、好きな小説や音楽はなにかなど、わたしが好きなことやそうではないことについてわたしを質問攻めにしました。わたしはその質問にひとつひとつ答え、そして正太郎はといえば、「へぇ」とか「そっか」とかちゃんと聞いているのかどうかわからない返事をするのでした。わたしのことを知りたいという彼の積極性や、ちゃんと理解しているのかわからないけれど、しかし、ときどき見せるわかったふりをした表情なんかが愛らしく、わたしは彼に引かれていきました。そして、「今度飲みに行こうよ」と彼に誘われたとき、わたしは「もちろん」と言ってデートの約束をしたのでした。

 彼がセッティングしてくれた場所は、わたしの家と彼の家の中間地点にある駅の、駅を出てすぐのところにある居酒屋チェーンのお店でした。それまで、わたしはデートでそのような場所に行ったことはなく、初めは多少驚いたものの、その普通な感じにわたしは好感を覚えたのでした。その居酒屋でも、彼はわたしを質問攻めにしたのでしたが、しかし、わたしの方でも彼に対する興味がわき、彼が誰であるのか、どんな人なのかについて質問をして、彼のことを知ることになるのでした。

 正太郎は、秋田の出身でわたしと同じ東北人でした。彼は、高校まで秋田のどこか、町の名前は忘れてしまったけれど、とにかく田舎で生まれ育ったそうです。小学校から高校まで野球部に所属し、甲子園を目指す高校球児ではあったもののその夢は現実的なものではなく、県大会に出場できたことを誇らしく語るような、そんな高校球児でした。大学に進学しようとしましたが、しかし学力が思わしくなく、彼は公務員になろうと東京の専門学校に通うことになりました。専門に通っているとき、彼はバイクの免許を取り、買ったバイクで日本一周の旅をしたのだということを楽しそうに話してくれました。そして今は、公務員ではなく都心のオシャレな商業施設の警備員をしていて、その警備会社の寮に住んでいること、寮には野球サークルがあって、そこでセカンドをしていること、そして大型のバイクの免許を取って、また旅行に出たいと思っていることを教えてくれました。正太郎の人生には、誰しもがそうだとは思いますが失敗があって、その失敗談にはまさに今のことのような生々しさがあり、意外とナイーブなところもあるのだと、わたしはそれまで知らなかった正太郎の姿を見ることができました。

 そしてその日、正太郎もわたしも終電を逃しました。いつもだったら、例えば友だちと飲んでいるときなどは、わたしは、そして恐らくは正太郎も、終電を逃すということは稀で、ある時間帯になると、飲んでいる友だちと時計を見合わせ「そろそろだね」などと確かめあってしっかりと電車に乗り込むのに、こういうときは、そういう確認をわざと怠るもので、わたしは終電が近いことを知っていたし、そしてそれは正太郎も同じはずで、だから正太郎が「終電なくなった!」と驚いて見せたときに、「あ、わたしも!」などと同じように驚いてみせる、この安っぽい役者がやっている安っぽい劇のような嘘っぽさがその瞬間にはあって、しかし、その嘘っぽい、というか、お互いが暗黙の内に作ったプロットの上を嘘っぽい演技で渡っていく、その共犯関係がどこかくすぐったくなる恥ずかしさを醸し出しつつ、嘘の演技を互いに塗り重ねていくことは楽しいものでした。そして、そんな演技をしているわたしは、きっと正太郎のことが好きなんだと思いました。

 そしてその晩、わたしと正太郎は、当たり前のようにHをして、寝ました。

 翌朝、正太郎はわたしよりも随分早く起きていました。彼はコンビニで買ってきたパンを頬張りながら、床にあぐらをかきテレビを見ていました。わたしは、ふとんの端から顔をのぞかせてそんな彼の姿をぼんやりと眺めつつ「おはよう」と彼の背中に言うと、彼はこっちを向いてにこっと笑い、「うぃーっす」みたいなそんな適当な挨拶を返すのでした。その適当な感じが弟みたいだと思い、わたしは弟みたいな男とHをしたのかと、すこし可笑しくなりました。正太郎はパンを食べ終えると、カバンの中から歯ブラシと洗顔フォーム、そしてひげ剃りを取り出し、洗面台の方に消えていきました。「初めからわたしの家に泊まるつもりだったのか…」とわたしは思ったものの、しかし、そういったあけすけなところ、魂胆がバレてしまうところが正太郎の魅力でした。正太郎が戻ってくると、彼はわたしに顔を近づけてきて「つき合おう」と言い、わたしは「いいよ」と言ってキスをしました。その後正太郎は、次に会う日にちを決めると、オシャレな場所が苦手だなどと言いながら、仕事に行きました。休日でしたから、商業施設の警備をする彼にとってそれは就業日なわけです。そうして彼が部屋からいなくなった後、わたしはいつものように洗濯や掃除を簡単に済ませ、近所のカフェで「カフェとか、こういうところも苦手なんだろうか?」などと考えながら、本を読みました。

 そうしてつき合い始めてひと月が過ぎようとしたころ、わたしも、そして正太郎も教習所を卒業していました。そこに行けば会えるかもしれないという場所がなくなって、教官や他の友だちと会話していたり、駐車場に設置されたバスケットゴールにボールを放っていたりする正太郎の普通の姿が見られなくなると、わたしたちは、単なる恋人になってしまったようで、つまり、教習所を卒業した後では、わたしの前にいる正太郎の姿は、まさに恋人としての正太郎でしかなく、その他の正太郎の姿を見ることができなくなったことは残念でした。

 バイクの免許を取ってからわかったことですが、わたしの家ではバイクに乗るということが最大級の禁忌で、わたしがバイクの免許を取ったことを親にメールすると、すぐに父から電話がかかってきて、バイクに乗ることを禁止されました。とはいえ、違う土地に暮らしているのだから、黙ってバイクに乗ってもよかったのですが、しかし、父の迫力に押され、わたしのバイク乗りの夢は途絶えることになります。わたしの求めた吹っ飛んだ爽快感は、失われてしまったのです。ただ、まぁ、正直な所免許を取る過程でわたしにはバイクは向いていないような気がしていたので、バイクを禁止されてもまたそれはよしという感じがしました。ただ、教習所に支払った安くはない金額のことを思うと、かなりもったいないことをしたと思いますが。

 だから、バイクを禁止されたわたしは、正太郎とツーリングというようなデートをしたことはなく、それ以前に、彼は商業施設の警備員ですから、その仕事のシフトは24時間が一つの単位で、つまり、丸一日働いて休み、そしてまた丸一日働くというもので、わたしとはなかなかスケジュールが合わず、だから、ほとんどのコミュニケーションをメールや電話に頼り、わたしがたまたま平日に休めた日くらいしかデートらしいデートはできず―とはいってもそのデートはオシャレなところではなく喫茶店で仕事であった出来事を話すというくらいではありましたが、その方がむしろ良かったりもした―だいたいはちょっとした時間をつかまえて、夜の街をぶらぶらと歩き、少しわたしの家で過ごした後に別れるというものでした。

 あまり会うことができなかったということや、メールや電話でのコミュニケーションだったからということもあると思いますが、わたしたちの会話は、初めはたわいもないことを話していればそれで良かったのが、次第に、数少ない言葉のやり取りが、少なくともわたしにはどうでもいいような話しではなくそこでなにか中身のあるようなこと、なにか相手に伝えなければならないようなことを話したり書いたりするべきではないのかといった、そうした気持ちが正太郎との少ない時間を埋める為に何をすべきかを考えたときに湧いてきて、するとわたしは彼とコミュニケーションをとるときに、どこか固くなっていくような感じがしていました。しかし、そもそもなにか伝えなければならないようなことというのはそうそうないもので、だからわたしは口べたになっていくのでした。また、正太郎は正太郎の方で、仕事であったエピソードなどを話してくれるのですが、しかし、わたしにとってそれは回数を重ねるごとにどれも同じような話しに聞こえてきて、話しやメールを聞いたり読んだりする度に「また同じ話しか…」と思ってしまうのでした。本当であれば、そうしたいつもと変わらない会話というものが、恋人の仲を深めていくのだと思うのですが、しかし、わたしたちにとって、会話はある種特別なものでしたので、だから、ありふれた日常の感じ、いつもと変わらぬ話しは馴染まず、わたしは勝手につまらなくなっていったのでした。そして、わたしの「その感じ」は、不思議に正太郎に伝わって、夜の散歩をしているときに、「いつも同じでわりーな」と彼は言うのでした。わたしは首を横に振ったけれど、いつもと同じであることに対して感じる違和感や、いつもと同じようなことの中になぜ変化を見つけることができないのかということについて、考えてしまっていたのでした。

 わたしは、そうして正太郎との関係が、静かに沈んでいくのを感じていました。なんとかしたいという思いはありましたが、しかし、沈んでいくなかで、そもそもわたしは正太郎のことが好きなのだろうかという疑問が湧いてくるのでした。そういった疑問を抱くこと自体悪いことのように思われたのですが、しかし、一度のそのように思ってしまうとその思念は振り払おうとすればするほど色濃くなるようで、ふっと忘れたと思った次の瞬間には、またその疑問が首をもたげてくるのでした。それに、そういったネガティブな感情がそのように際限なくわたしの頭をよぎる度に、そもそもなぜ正太郎のことが好きなのかということや、正太郎のどこが好きなのかということに思いは流れていき、するとわたしは言葉に詰まるのでした。わたしは、そもそも正太郎のことは好きではなかったし、正太郎に対する興味もなかったのだとわたしは思うようになっていました。正太郎は、夢破れた男でした。ほとんどの人がどこかで夢破れているはずで、しかし夢破れたのちにまた次の夢に向かって進む、あるいは、夢とはまったく関係のないところで人生にある程度の見切りをつけてそれでいて幸せに暮らしているのだと思います。しかし、正太郎は夢破れたことを昇華しきれないまま生きている。わたしにはそのように思わるようになりました。そして、その姿は痛々しく映り、わたしとしては彼のその傷に触れることを、初めは優しさで、そして次第にその優しさは薄れ無関心となって、彼がどのような人なのか、そのディテールについて知ることを辞めました。わたしが正太郎についてのほとんどのことを知らないのはそのためです。

 それでもわたしたちはつき合っていました。わたしは正太郎に対してかなり冷めた感情を持っていて、そして彼のわたしに対する気持ちも冷めてきていたのにも関わらず。なぜわたしたちはつき合っていたのか。それは単純で、彼がわたしに告白をし、そしてわたしがそれを受け入れた、その瞬間にわたしたちは恋人であることの契約を交わしたからに過ぎず、そしてこの契約は、破棄することでしか明確には解消されないからという、気持ちとは別の言葉でつなぎ止められていたからです。だから、わたしたちはメールも電話もほとんど途絶えていたにも関わらず、どちらかがその状況の気まずさに絶えきれなくなるとデートに誘い、そして別れ話を切り出されて「ふられる」ことを望むという日々を過ごしました。しかし、わたしは自分からふるということはしたくはなく、それは、自分がこの契約を破棄する立場になることによる罪悪感のような気持ち悪さを味わいたくないからであって、そしておそらくは正太郎にしても同じように思っていたのでしょう、わたしたちは会ってもろくに恋人らしい会話もせず、時間がただ流れていき、そして別れるのでした。

 そのように互いに意地になっている時期はどれくらい続いたのでしょうか。1ヶ月は続かなかったように思います。初めの切っ掛けをつくったのは正太郎の方でした。久しぶりに休みが取れたのでディズニーに行こうと正太郎が誘ってくれたのでした。女子というものはこういうときに愚かになるもので、ディズニーという言葉にわたしは少しこころが浮つき、そして了承。わたしたちは、カップルを偽装しているような状態であったにも関わらずわりとディズニーに行くことを心待ちにし、しかもわたしの方では、ふられたい気持ちと、しかしディズニーを切っ掛けにして良い関係に修復できるのではないかという気持ちとが半々になるほど浮かされてしまっていて、今思えばバカであったなと思うのでした。

 待ち合わせは舞浜でした。改札を出ると、正太郎が待っていました。この時点で会うのは久しぶりのことで、なるほど正太郎とはこのような形のひとであったなと、改札から正太郎のところまで歩く際にそんなことを思い、そして近づくと今度はなるほど正太郎とはこのような顔の人であったなと、まったく正太郎から離れていたことを感じ、そして、少し浮かれたこころも相まって、なかなかいいやつではないかと、そんなことも思いました。たぶん、正太郎がいつもより柔らかい、なんなら笑顔すらみせていたからだと思います。ディズニーの力とはやはりあるもので、正太郎は正太郎で浮かれていて、そのように素直に浮かれる正太郎は今思えばやはりかわいらしい人でした。

 わたしたちはそれからランドに行きました。ビッグサンダー・マウンテンに一時間以上並び、出口から出てきたとき、正太郎のケータイがなりました。正太郎の顔がみるみるこわばっていくのがわかりました。

「じいちゃんが死んだ」

 電話を切ると正太郎が言いました。正太郎の手は震え、「どうしよう」と同じ言葉を繰り返していました。「すぐに帰りな」とわたしは正太郎の手を引いてディズニーランドを出ました。正太郎は取る物も手につかず動揺しきっていました。東京駅に着くと、正太郎が新幹線に乗るだけのお金を持っていないことに気づきました。正太郎はATMがどこにあるのかを探していましたが、わたしはお金のことよりも一刻も早く彼が秋田に帰ることの方を優先すべきだと思い、彼をみどりの窓口の前に待たせて代わりにチケットを買ってあげました。「帰ってきたら必ず返すから」と言って、彼は新幹線の改札の向うに消えていきました。どこまで律儀なのだろうとそのときわたしは思いました。こうしてわたしたちのディズニーは数時間で終わりました。

 正太郎から新幹線に乗ったというメールをもらい、わたしは家路に着きました。電車にゆられている間、正太郎にとっておじいちゃんがどれほど大切な人かを知らないということを知り、また、大切な人の訃報を知ったときの何かを見ているようで何も見ていない目を初めてみたかもしれないとも思い、さらには、こうして世の中では常にどこかで人が死んでいるのだとも思ったりして、正太郎の重大な出来事に対して、総じてわたしはどこか親身になれないというか、他人事として捉えていることにはっとさせられたのでした。こころから申し訳ない気持ちがわき、しかし、自分とは関係のない世の中の摂理のようなものとしてでしか正太郎のことを思えないことがまざまざと目の前に突きつけられたように感じられました。

 正太郎から連絡がきたのは、それから2週間経ってからでした。

「お金、返すから、今度いつ空いてる?」といった簡素なメール。わたしよりも正太郎の方がスケジューリングが難しいのはわかっていたので、正太郎の都合のよい日取りに合わせようとしたのですが、しかし、それはどれもわたしの都合の悪い日取りでした。「お金はいつでもいいよ」とメールをすると「いや、どうしても返したいから」という返信。わたしたちは、時間の谷間のような短い間を探し出し、そこで会うことになりました。

 二週間ぶりに会った正太郎は、どこかすっきりとした面持ちになっていました。会うなり正太郎はポケットから財布を取り出し、新幹線代をきっちりわたしに返しました。そしてわたしたちは喫茶店に入ってコーヒーを飲みながら少しだけ話し、そして別れました。別れ際「農家になろっかなぁー」と正太郎は言いました。「なんで?」とわたしが聞くと、「俺んち農家だから」と言ってにやっと笑い、「じゃっ」と言って去っていきました。

 それときからわたしたちはお互いに連絡を取り合うことはなくなりました。そして、わたしたちの恋人関係は自然消滅しました。とても自然に、音もなく。

「自然消滅って…」と中学生みたいなことが大人になってからも起こることに驚きと恥ずかしさを感じつつ、わたしたちはいったいなんでつき合っていたのだろうと少しは振り返ったりもしたものの、いつの間にかわたしは正太郎のことを忘れていきました。

 仕事帰り、ほんのり汗臭い匂いの籠る冬の地下鉄の車両の中で、わたしはケータイでフェースブックを見ていました。基本的に誰がどこでなにをしているのかということについてあまり興味がなく、自分がどこでなにをしているのかについて人に知らせる欲もないのでフェースブックを有効活用するような人ではないのですが、付き合いでやっている内に友だちは200人を超えていて、なかにはどこの誰だったのかわからない人もいる始末。それもこれも、友だち申請というやつのせいであって、誰かがわたしのことを友だちだと思っているであれば、わたしはその人の友だちになりますというスタンスであるがため。そして今日、正太郎から友だち申請がきていました。

 正太郎の名前をタップして彼のフェースブック画面に行くと、正太郎はこのご時世に於いてまったく無防備にプロフィールから画像、何から何までオープンに公開していました。彼は今、なにをしているのだろう?正太郎のその後についてまったく知らないわたしは、彼の過去を文字通りめくっていくように指を上にとスワイプしていきました。するとある画像が目にとまりました。正太郎と、まだ身体の湿った赤ん坊。正太郎はお父さんになっていました。赤ん坊は男の子で、正太郎から太郎の字を引き継いだ名前でした。奥さんはどうやら正太郎と同郷の人のようで、2人がどこでどのように結ばれたのかはわかりませんが、秋田で挙式をあげたみたいで、そのとき奥さんのお腹にはこの赤ん坊がいたようです。正太郎は農家にはなっておらず、そもそも実家が農家であることを匂わせるものもなく、職場は変われど未だに警備員をしているようでした。

 駅のホームに降り立つとわたしは人をすり抜けて改札を抜け、階段を小走りで駆け上がって駅前のコンビニに直行。ハイボールを買うと、自動ドアが閉まるか否かでシュパッとそれを開けていました。飲まずにはいられませんでした。

 今日も夜は寒くて、ハイボールが骨身にしみました。線路をまたぐようにしてある歩道橋を渡っているとき、ちょうど酔いが身体中を巡ってふらっとしました。歩道橋の手すりに寄りかかって下を見下ろすと、特急列車が鈍行列車を追い越していくところでした。二つの電車のモーター音とレールの鉄と鉄がぶつかってすり切れるかのような音とが合わさって、レールの上を走るだけなのにはぜここまで騒々しくなければいけないのだろうと思ってしまうほどに、盛大なノイズをまき散らしていました。走り去っていく電車の車内は明るいのに、電車の屋根は夜の光をぬめっと映すに過ぎず暗く沈んで見えました。

 正太郎とはいったい誰だったのか。正太郎とわたしはなぜつき合っていたのか。そして、自然消滅してから思い出しもしなかった正太郎が結婚して子どもがいるということに対してわたしはなぜここまで動揺しなければならないのか。

 わたしは正太郎から別れ話を切り出されることを待っていました。もしかすると心の深い所で、あるいは、人生という時間の流れの低層で、今でも別れ話を切り出されるのを待っていたのかもしれません。言い換えるなら、2人の間に流れていたある時間に切断線を入れたかったのかもしれません。それはつまり、わたしたちは自然消滅しましたが、しかし、わたしにとって彼との関係は目立たない形でどこかで今でも続いていたのかもしれないということです。それは今でも正太郎のことが好きだということでは全くなくて、正太郎は正太郎としてわたしにとっては他人に近い存在になっているし、現に正太郎の方ではあまりにも決定的な人生の岐路を、わたしと交わることのないその進む方向を決定づけたようであるし、だから、正太郎といまさらどうなりたいという感情も、正太郎が結婚して子どもがいるということでわたしがなにか残念がるということもないのですが、自然消滅。彼を過去のものとして今の自分と切り離すことのできる何かが自然消滅には欠けていて、今のわたしの中に、どのような形でか彼は過去のものとしてではなく存在していたように思うのです。その、わたしを形成している―それは現実にわたしとは別のところで別の仕方で生きている正太郎とは別の―正太郎に気づいたのだと思います。

 正太郎はどのような気持ちでわたしにこの友だち申請を送ってきたのだろうか。無防備に公開されているわたしの知らないこれまでの彼について辿っていっても、わたしは彼のことがわかりませんでした。そこにいる正太郎は、別のところで別の仕方で生きている1人の男でしかなかった。もしかしたら、初めからそうだったのかもしれないけれど。

 一通り彼のフェースブックページを見終えると、わたしは正太郎の友だち申請を断ってケータイを鞄に入れるとその歩道橋を後にしました。ひとつの時代が終わったみたいなそんな感じだとわたしは思いました。歩道橋の階段を降りる途中、遠くの空を見てみました。なんだか、そういうことをしてみた方が良いような気分だと思ったからです。遠くの空には新宿のビル群が夜をうっすら明るく照らしていました。夜はなんでこんなに輝いているんだろうと、そんなことを思ってみました。

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