転校生の思い出

そのころわたしは小学校の低学年、東北の山に囲まれた町に住んでいました。

 そこはその昔、町を流れる大きな川を利用した貿易で繁栄し、その地域では最初に鉄道が通り、映画館や娼館があるような、(大都市には遥かに及ばないものの、しかし)その町を目指して物資や人が集まる、エネルギーのある町だったそうです。 

ですから、その町には、(今思えば似つかわしくない)イオニア建築を思わせるような銀行の支店があったり、呉服屋があったり、また、大きな滝のある公園が町の真ん中にあったりしたのでした。

 しかし、わたしがその町に住んでいたころには、それら繁栄の証は全て名残として残っているにすぎず、実際には、銀行の門は閉ざされ、呉服屋はいつも同じ品揃えで店には人影がなく、また、公園の滝には水が流れていませんでした。 

その町の姿に、祖父母は栄光の影を探し、その影のコントラストに両親は町の衰退を認め、そしてわたしはそういうものなんだろうと捉えていたのでした。 

そのような、昔の輝かしい記憶にすがり、しかし、確実にその記憶が薄れていく、記憶喪失のような町にわたしは住んでいたのでした。 

ですから、あの年の4月、転校生がやってきたことにわたしたちは驚いたのでした。今まで、誰かが転校していくことはあっても、転校してくることはなかったのです。 

 転校生は、すこしぽっちゃりしたメガネの男の子でした。 

わたしは、そのころはまだ物怖じしない精神をもっていたので(あるいは無頓着だった)、休み時間になるやいなや彼のものに行き質問攻めを開始しました。

すると彼は一言、「何しゃべってんのかさっぱりわからへん」と言うのでした。 

 その当時、わたしは強烈な東北弁を話していました。 

「うぉーーー!!」と、なにか形の掴めない興奮がわたしの中からわき上がってくるような気がしました。 

自分のことばが通じない不思議さと、ダウンタウンが話すのと同じ関西弁を生で聞き、テレビの中から彼が飛び出してきたような不思議さを同時に感じ、それは、未知/既知との遭遇だったわけです。

 そしてその興奮を、わたしだけではなく、クラスのみんなが感じたのだと思います。わたしたちはどこかうっとりと、男子は明らかに興奮して彼の発するそのことばに聞き惚れていたように思います。

 そしてその日、わたしは2度目の「うぉーーー!!」という興奮を思えるのでした。それは、ホームルーム(その当時は帰りの会と言っていたかな)の後の彼の発言によるものでした。 

 「俺んちこーへん?」

 こんなにさらっと誘われたことはそれまでありませんでした。それは、都会的なスマートさでした。よくよく見れば、服装もトレーナーではなくシャツを着ているし、メガネをかけていることに恥ずかしさが感じられません。つまり、これが都会っ子というものなのかと、どこか彼のまわりだけさわやかな風が吹いているような感じがしました。 

そうして、わたしはクラスメート何人かと彼のお家をさっそく訪れることになったのでした。

 彼のお家は、滝のある公園から道を挟んで反対側にある飲屋街の奥にある、平屋の一軒家でした。土がむき出しで更地のような家の前の駐車場には、車も車庫もなく、自転車が一台停めてあるだけ。 

「ここが俺んち」と彼は言うと、首からぶら下げた鍵を取り出し、玄関の扉を開けました。

 彼は、わたしたちを居間に案内してくれたのでしたが、そこは戸棚もテレビもテーブルもない、なにもない部屋でした。しかし、唯一、部屋の隅にスロットマシーンが置いてありました。わたしがそのスロットマシーンを不思議そうに見ていると、彼はどこからかコインを持ってきて、「こうやって遊ぶんや」とコインを機械に入れるとレバーを引き、するとくるくると絵柄が回り始めるのでした。 

「うぢさもやらして(わたしにもやらせて)」とわたしはスロットマシーンの前に座り、彼はコインを追加しました。わたしは、くるくると回るそのカラフルな動きに見とれていました。すると彼は、回転する絵柄の下にあるボタンをポンポンポンと押すと、絵柄はストップしました。 

「ぼくのとーちゃんは、これを揃えられるんや」と彼は自慢げに言いましたが、止まった絵柄はどれもバラバラでした。それからわたしたちはトランプをしたり、お互いのことばの違いを言い合ったりして、楽しい時間を過ごしました。部屋には西日が射し、まぶしいくらいでした。 

クラスメートの一人がそろそろ帰らなきゃいけない時間だと言うので、わたしたちは彼の家を後にし、それぞれの家路につきました。彼は駐車場の外までわたしたちを見送ってくれました。そして彼は、家の中に入っていきました。 

「あいづ、お母さんいねんがな?(あいつ、お母さんいないのかな?)」と一人が言いました。わたしはそうかもしれないなあと思いました。 

それから、何度かわたしは彼のお家に遊びにいきました。スロットマシーンとトランプで遊び、ときどき公園にも行き、夕方になると帰りました。わたしは、一度も彼のお父さんを見たことがありません。そして、お母さんも。いつか気になって、お母さんについて聞いたことがありましたが、彼は「おらん」とだけ言い、それからわたしは彼の家族について聞くことをやめました。  

今から20年前の話しです。

その後、一年も経たずに彼はこの町から引っ越していくことになります。 今、彼がどこで何をしているのか、わたしは知りません。

 彼は、神戸からの転校生でした。  


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