3.11ですね。

 明日であれから4年が経とうとしている。あのときは4年後かくるとは思えなかった。

 わたしは、揺れで目が覚めた。

 大学を自分の都合で引き延ばしに引き延ばしたおかげで周りの友だちは既に働き始めていて、シュッとしたスーツに身を包んで太陽の下を出勤している中、わたしは長い夜に耐え忍んでようやく日が昇る頃に眠りにつくというような生活をおくっていた。わたしにだけ社会との間に薄い膜があるように感じていた。

 2010年は閉塞感ということばをよく使った。わたしはその閉塞感の中で呼吸をしていて、窒息しかけていた。

 ジャスミン革命にときめいてもいたな。わたしはわたしを取り巻く世界のどこかで革命が起こることを待ち望んでいた。ドカーンとデカいなにかが起きてくれさえすれば、夜が明けるのだと信じていた。いや、そうしたデカいなにかがない限り夜は明けないと思っていた。

 そういえば、デヴィット・フィンチャーの「ファイトクラブ」をよく見ていた。イケてない保険員の男は夢想する。自分が暮らすコンドミニアムのIKEAの家具で全て揃えられた部屋にガスが充満していく。そして、漏電。ドッカーンと大爆発。くだらない生活が凝縮されたくだらない部屋が吹き飛ぶシーンが爽快だった。そしてもちろんラストシーンも。忍び込んだ高層ビルのフロアからは夜の高層ビル群が見えている。そのビルのひとつひとつに仕掛けられた火薬が爆発してビルは崩れていく。Pixiesの「Where is my mind ?」が流れる。最高だ。

 わたしは強靭な何かが崩れていく姿に見とれていたし、そうして崩れていってほしいと思っていた。その何かが何であるのかについて考えは及んではいなかったけれど、とにかく壊れるということに身も心もゆだねていた。そんな、マインドだった。

 そして、わたしは揺れで目が覚めた。

「ドカーンとデカいなにかが来た!」とわたしは嬉しく思った。これで全てが変わると思った。報われるとも思った。

 当時、私は細長いマンションの高層階に住んでいて、揺れは長いこと続いた。本棚が倒れて机にぶつかり、グラスは宙を舞って床に落ち、破片が飛び散った。ベランダにあるエアコンの室外機は跳ねていた。

 テレビをつけてラジオを聞き、ツイッターを開いてわたしはなにが起きるのかを見ていた。革命前夜の狂乱が展開されるものと思って。ある種の興奮で。

 黒い波が見えた。それはNHKの空撮の中継映像だった。波は街を押し流している。波に追いつかれてしまった人々は、波に飲み込まれて消えていく。わたしは人が死んでいく姿を見ていた。ドカーンとデカいことに対して抱いていた救いの気持ちはあっさりと否定された。

 目の前で人が死んでいる。恐怖。わたしはこんなことを望んでいたのか…。揺れを感じた瞬間にすこしでも喜んでしまったわたしを許すことができなかった。

 その夜、わたしはどうしても一人でいることができず、友だちの家に行った。2人でだまってテレビを見ていた。怖かった。心細かった。わたしたちは一緒のベッドで寝た。まぶたを閉じると、青白い荒野に遺体が無数に転がっている風景が想像された。今も、人が死んでいる。そのことに怯えた。そして、そのことに対して何もできないことに虚しさを覚えた。

 罪滅ぼしとしてわたしはボランティアに行った。一瞬でも地震がきたことを喜んでしまったことは、そのときのわたしの素直な反応ではあったけれど、しかし、わたしとしてはそんなわたしを許してはならないと思ったから。津波で破壊された無音の街には、まだそのときの悲鳴が残っていた。海を見にいった。よく晴れた日の、太陽の光をキラキラと反射するきれいな海だった。海は悪くない。そのことがとても悲しかった。

 ボランティアをしていると、現地の方々と話す機会がある。「よく生きていてくれた」と思わずにはいられなかった。彼らは、津波がどのようにやってきたのか、そしてどのようにして自分が助かったのかを話してくれた。そしてその後、口ごもった。彼らは「たまたま車のボンネットに身体が乗り上げて…」とか「たまたま柱に引っかかって…」など、「たまたま」生き残った方々だった。それはつまり、亡くなった方々もまた「たまたま」亡くなったということを意味していた。単なる確立で人は生き残り、死んでしまう。そこに理由はない。あまりにも無慈悲なことだった。その無慈悲で絶対的な現実を飲み込むことができずに、口ごもるしかなかったのだと思う。そしてそれはわたしにしても同じで、地震が起こったこと、被災地の光景、そこにいる人々、そしてそこで生きてこれからも生きるはずだった人々など、あらゆることに口ごもるしかなかった。

 あれから4年が経った。わたしは4年後がくるとは思いもしなかった。あの光景からは未来が想像できなかったのだ。しかし、確実に4年のときが流れた。震災以降、饒舌になった方々もいたが、4年も経てばその声も幾分小さくなったように思う。震災と原発事故について考えるときに、前者は自然災害であり後者は人災であるという見方がある。それは、とても真っ当な見方なのだと思うけれど、しかし、やはり震災がなければ福島の原発事故もなく、もしかすると今でも発電を続け、静かに退役していったかもしれない。地震。その不確実な自然現象が震災と原発事故の根底にはある。そして、地震はどうすることもできず、地震が起こったこと自体には意味がない。「たまたま」起こっただけ。今でもわたしは震災について思うとき、口ごもってしまう。ある確立で人の生き死にが決まってしまうという当たり前のことを理解するのがとても難しく思う。しかし、それでもようやくこの4年で、多くの人々が震災のことをあの頃と比べて忘れてきたからこそ、震災についてことばを与えていかなければならないと思った。

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