雑記

10月が思いのほか早く過ぎてしまったので、10月にあったことを記しておこうかと思い、ここに記します。そうしないと、ほとんどのことを忘れてしまいそうだし、すると今年の10月がなかったかのようになってしまいそうだから。

藤田嗣治の戦争画を観た。画を見て泣いている人がいて驚いた。

Don't Follow The Windを観た。行けない場所があるという窮屈感がとてもよくわかった。

村上隆の「五百羅漢図」を観た。日本を代表する芸術家が東日本大震災に対してどのような形である回答を提示するのだろうかというところがみどころだと思って観にいった。この作品、ドーハで展示されて以来、はやく日本で見たいと、というか震災があった日本でこそ見たいものだと思っていて、ようやく念願かなってみることができました。いろんな羅漢さんがいて、それぞれが祈っておるのだと、それだけを大切に感じ取ってきました。この作品は、東西南北の4方位を司る朱雀とか玄武、白虎とか青龍とかがそれぞれ25メートルくらい長さがあるパネルに描かれていて、つまり、4方位を壁のように取り囲む展示にしてその中央でであたりを見渡せば羅漢がみんな祈っとるというのがポイントだと思うんだけど、森美術館の広さをしてその展示は難しかったのか、2枚づつ向かい合わせに展示していたのが残念だった。やはり、ドーハにいくべきだったかもなあなどと思いました。

杉本博司展を観た。やっぱり大好きだった。いつまでも見ていられる。現実が物語化されて神話になっていく感じ。

川上未映子さんの「あこがれ」を読んだ。やっぱり好きだった。登場人物の麦彦くんがかわいかった。川上未映子さんの文章は、エッセイだと流れるようで気持ちがいいんだけど、小説だとそれを抑制しているけれど、言葉はとてもきれい。

クローゼットにある洋服のほとんどコインランドリーで洗濯した。待っている時間がとても良かった。差し込む光が温かかった。

洗濯した服のほとんどを捨てた。

「聖☆おにいさん」を読んだ。仲がいいっていいことだと思った。

サウナの気持ち良さを知った。身体中にぷつぷつと汗が噴き出してくるのを見ていると、自分の中の邪悪なモノが今まさに外に放出されているのだと嬉しくなる。そして、身体は軽くなるし肌にも張りがでたような気もするし、良いことづくめ。水風呂に入るのがサウナに長くいる上でとても重要なのだとわかった。

うどんを食べ始めた。寒くなるときまってうどんを食べたくなる。お湯を沸かす時間が好きで、閉ざした窓が白く結露するのも好き。

星野源さんの「湯気」をおよそ一年ぶりに聞く。これもうどんに関連していて、うどんつくるときに聞くのが好き。「湯気の中は日々の中」で始まることの歌の「何かゆでろ、飯を食え」という歌詞がグッとくるのだ。衣食住にまつわるほんのちょっとしたことをわざわざ言われるとグッとくることがあって、なんというか大切にされている気持ちになると思ったりする。「飯を食え」とか「早く風呂に入れ」とか「もう寝れば?」とか。わたしの生活をやわらかく拘束していくこうした言葉の絶妙な縛り具合がよいのだな。

引っ越しするにあたって、引っ越し情報サイトを眺めている。間取りをみていると、一人暮らしって人間にとって不自然な生活様式なんじゃないかと思ってしまったりして、誰かと暮らしたいと思ったりしている。なんというか、一人暮らしの住居って間取り的に無理が多いというか、どこか我慢しなければならないようなことが多いような気がするの。例えば、リビングがちょっといびつな形をしていたり。いびつな部屋に住むといびつな人格になると確信しているわたしは厭なんだ。でも、2人暮らしくらいの部屋だと、全体的にスッキリした広さは確保されていて、いびつさも感じさせない部屋が多い気がするのだよ。とはいえ、お金がかかってもいいなら一人暮らしの良い部屋なんぞたくさんあるのだろうけどね。

あと何かあったかな。

ちかくのパン屋さんが美味しいことに気づいた。

たけくらを読み返して、どきどきした。

会社をやめる決意をした。

シーツを新調した。

マッサージを受けると、身体もこころも軽くなる感じがして好きなのだけど、この前、身体はいつも通りなんだけど、気持ちがガッカリだったおり、マッサージを受けてみたんだけど、どこを揉まれてもそれほど気持ちよいわけではなくて、全体的に肩すかし、のれんに腕押しであった。そしてもちろん、こころは晴れずであった。マッサージはやっぱり身体にきくものだと実感した。

こんな感じかな。


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