Adieu au Langage

自然とことば。

映されるものと映るもの。

自己と他者。

形と奇形。

不可視と可視。

感じられぬものと感じられるもの。

表象不可能性と表象可能性。

といった対立構造が乱暴に並べられた形で展開していく映画「さらば、愛の言葉よ」を観てきました。

物語として、この映画は果たして成立しているのかどうかわかりません。

というか、何がなんだかわからない。笑

ゴダールの映画を久しぶりに観て、頭をガツンと殴られたような感じになってしまいました。

無限大と0を発明したことの偉大さを男が語った後に映される波打ち際の砂浜に引かれる波の線は、ものごとが「ある」という存在を現しているが、それは同時に有限性を現してもいる。

とか、

「うんこは平等だ」とトイレに座る男は女に言うのだけれど、しかし、そこで用を足しているのは男だけであって、女は苛立ち、そもそもこの女は男の言うような平等を求めてはいないのだ。

とか、

ことばが何を現すのか、メタファーということについて語るときに映し出される森の映像は、その森の色は単調で、画素数が低くてとても粗く、ことばがどれほどこの世界を現すことができないのかを思わせ、また、しかし、ことばを通して世界を認識するわたしたちとしては、世界をそのようにある種妄信する形で認識することしかできないのだ。

とか、映画を観ながらいろいろ考えてしまう、というか、疑問ボールをゴダールおじいちゃんがおもくそ投げつけてくるという感じでした。その疑問ボールはばんばんわたしの身体にぶつかって、もうアザだらけ。。。

この映画はゴダールの最新作というだけではなく、3Dという点でも注目されたものでした。

その3Dについて。

いやはや、3Dって、映像世界への没入感を促すことがもっとも重要な要素だと思うのですけれど、ゴダールの3Dはその逆をいっていて、右目と左目で見えている物が微妙にずれていて、だからずっと気持ち悪い立体感なんです。映画始まって最初のカットは遠くの観光船を映しているものなんですが、画面下に白いポールを配置することで、そのポールだけが異様に手前に飛び出していたり、また、斜に構えた女性のカットでは、髪から上着の襟元にかけて、流れるような線上に揃えられていて、それが手前に刺さるように飛び出しているとか、男の鼻が変に尖っているとか、もう異様。形あるものが全て異様に見える。これは、凄いビジュアルでした。

そして、観た人は必ず言いたくなるクリティカルカット、あれは凄かったです。女と男が2人でいるのですが、男は画面右方向に歩いていく。すると、左目は女の姿をそのまま捉え、右目は右方向に歩いていく男を追っていく。だから、両目で観ると二つの映像がそれぞれ融合することなく一緒くたにされた形で見える。これは圧巻でした。このシーンの為だけでも観る価値あったなと思いました。

さて、映画の感想ですが、今はまだ何が感想なのかわかりません。

もう少し考えないと、意見もなにも出てきません。

そんな感じの映画でした。

映画を観終わって、外の街に出ると、その本当の3D感にくらっとしました。右目と左目は本当はもちろん違う光景を見ているのだけど、しかし、わたしたちはそれを自然のこととして、二つの別の世界を一つの世界に脳内で合成しています。その、本来的にはある種の不自然さを抱えているにも関わらず、それには感知せずに過ごしているということに改めて気づきました。

その、別の世界とまた別の世界を無自覚に統合することの乱暴さということを、物語もわかりづらく映像は気持ち悪い、突然大きな音が鳴るというストレス度高めのこの映画の乱暴さから、乱暴な形でわたしは受け取ったように思います。

いい映画かと言えば、そうではないと思います。

悪い映画かと言えば、それもまた違うと思います。

では、この映画はなんなのかと言えば、「観てしまった」映画という感じがします。

ぜひ、ご興味のある方はご覧になってください。

まずもってゴダールの映画ですから、ある種それはもう縁起物。

参拝する感覚で観てみてください。

そして、衝撃を受けて頂ければ幸いです。


※この映画の唯一の救いはわんちゃんでした。しかし、わんちゃんはわたしたち人間とは根本的に関係ないし、わんちゃんにわたしたちはなれないので、本当の救いではないのですが。。

※「Adieu au Langage」は英語にすると「Goodbye to Language」であり、日本語にすると「さようなら言語」みたいなことなんで、「さらば、愛の言葉よ」は物語に引きずられたタイトルだと思いました。フランス語「au」は前置詞の「à」 と定冠詞「 le」 の縮約形で、「le」は男性名詞につけられるもの。だから、フランス語に於いて「言語」は男性に属するということなんですが、なんとなくふむふむと思ってしまいます。ことばをよく話すのは女性ですが、しかし、世界を切り取るその強靭さは男性的だなぁと。フランス語っていちいち哲学っぽい。でもこれって、「人という字は〜」的なことなのかも知れませんが。

※わたしは以前、体調の優れない折りに韓国映画「息もできない」を観て、途中で気持ち悪くなってしまい、途中退席&ロビーで倒れるということがありました。今回は、普通の体調でこの映画を観たのですが、見終わった後に偏頭痛を発症。映画と直接的に関係あるかはわからないけれど、しかし、身体的にストレスは高かった映画であったことは確かです。

※この映画、映像と言葉だけでできている。シークエンスよりもシーン、シーンよりもカットといった感じで、物語ることから離れ、映像と言葉がときには相関関係で、ときにはまったく噛み合ずに羅列されているという印象。それがどういうことなのか、ちょっと考えてみたいと思いました。

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