ハイボール無為

 きのう突然に舞い込んだ無理難題の山を登っていくうちに日は沈み、夜は更け、そして今日がきた。漸く諸々の整理がついて家に帰ってきたのは今日の昼過ぎ。なんともう。いわゆる徹夜というやつだ。本来であれば、きのうは20時には家にいられたのであったのだが、無理難題をいとも容易く投げ込む名投手がいるもので、なかなかうまくいかないものだ。

 その無理難題というのは、詳細は省くがもっと早くに知らせてくれれば徹夜などせずに済んだ類いのものであり、だからつまり、「ほうれんそう」をしっかりしてくれと思うのだったが、それと同時になぜ教えてくれぬのだと腹立たしく、さらにはひたすらに机に向かった十数時間、夜ご飯はもとより軽食すら食べらなかったということが腹立たしくもあり虚しくもあり、そして侘しく当然ひもじいのだった。

 漸く一段落となっても、それら腹立たしさや虚しさや侘しさやひもじさはどうにもこうにも整理のつかぬままゴーゴーと音をたててわたしの身体の中を渦巻いている中、椅子の背もたれに頭をのせて魚の開きのように寝ている私に「おつかれさん」と爽やかに言ってのける無理難題の名投手ことアイツをわたしは絶対に許すまじと誓って足を踏みならし、大股で帰る道すがらのコンビニで買ったはロング缶のハイボール、秋のすっきりとした青空のもとシュパッと軽やかに空けてふらふらになりながらベビーカーを押すお母さまの横を申し訳なく思いながらもしかし、何が悪いわけでもあるまい、昼からお酒飲んだっていいのであり、その権利というものがあるとすればわたしは当然ながら持っているのだなどと声に出さずに思いながら追い越して、家に帰るなり泥のように寝て、さっき起きた。

 今日なぞ本来は休みであったのに惰眠を貪って終わった形と相成りましたという訳で、あぁこれ無為。失われた時間を思いやれば、やはりこれアイツのことを思わずにはいられず、さすればこそ、一度寝かしつけた腹立たしさが再び身体を巡り始めるかと思われたがしかし、実にこれ不思議とそうならない。むしろ、テーブルの上にあるハイボールの缶を見て虚しさが込み上げた。

 持ち上げてみればまだ残っている。ロング缶など飲みきれないのでそうは買わないのだ。もったいないと思いちょっと飲んでみると、炭酸の抜けたマヌケな味。これはいったいなんであるの?もはやハイボールではなくて、だからといってウィスキーの水割りにレモンを搾ったような味もせず、ハイボールの影を手探りで追いかけても何も得られる予感のしない、これまた「無為」と名付けるにふさわしい虚しい味、数時間前までとは大違いなのだった。あのころのハイボールはこんな味じゃなかった。喉を刺すような鋭さ、吹き抜ける風のような爽やかさ、そして飲めばすぐにふらっとさせてしまうほどの暴力性。それがなんなの?今のこのザマよ。若干のアルコールだけが残り、曖昧な酔いとともに虚しさが身体を巡っていくのだった。

 

 

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