ボストン美術館 ミレー展

列に並んで何分たったのだろうか、エントランスにさしかかった頃には、すでに日が傾き始めていました。

先日、ボストン美術館ミレー展に行って参りました。「種をまく人」のやつです。

19世紀半ばのフランス・パリは政治的に混乱し、さらにコレラが流行し始めるときでもありましたから、けっこう大変だったんだろうと思います。そんな時に、ミレーは、パリ近郊のバルビゾンというところに家族で疎開します。森はどこまでも深く、だだっ広い畑とだだっ広い空がセットである、そんな牧歌的な場所、つまり田舎に越すわけです。

今回のミレー展は、そうしてけっこうヤバいことになっている都会から、まったりとした田舎に拠点を移し、自然に、そして自然の中で確実な生を営む人間に対して、ある種の神秘性や強さを感じたミレーが、その感覚を形にしていく過程、そうして出来上がった彼の考えや描き方がどのようにして他の画家に受け継がれたのかという、その流れが展示されていました。

で、わたしは思ったのでした。

そういうことあるよなぁ、と。

つまり、都会にいると、政治的に混乱していなくても、コレラが流行していなくても、どこか疲れてしまって、これは抜け出さないとダメなんじゃないかと思うときがあって、それは街のスピードの速さとか、目に見えるものの情報量が多いことだったりとか、地下鉄のギャーっというもの凄い轟音をいつものこととして、ちょっとすましてドアの横に立ち、窓に映った自分の顔越しに目の前を流れていくコンクリートの波模様を眺めていることだったりする、つまりは、人の営みの為の物事が隙間なく詰め込まれたその圧縮率に対するアレルギーみたいなものが溜まっていっていて、だから、圧縮率で言えば圧倒的にユルい田舎なんかにいくと、その広がる空や土の匂いなんかに思わず深呼吸してみたくなったりして、実際に深呼吸してみると、気分は晴れやかになり、やっぱり田舎っていいなあなんて思ってしまうもので、例えばずっと続く畑の向うで農作業している人を見つけると、自然の中に両足でしっかりと立ち、確実に生きてらっしゃるなぁと思い、そしてそんな生き方が素敵だなぁなどと無責任に感じ入ってしまうことがあると、ミレーがどうだったかはさておき、勝手に共感してしまったのでした。

で、そんな共感とともにわたしはミレーの画を観ていったのですけれど、ミレーの画は印象派前夜ともあって、風景を構成する色と光がぼやっとしていてきれいで、ゆっくりとした時間がそこには流れていて、素晴らしいなぁと思いつつ、ある画を前にして嘘くさいなぁとも思ってしまったのでした。

その画は、画面全体に描かれた森の中に人間がいるというものだったのですが、その描かれた人が、ほとんど森にとけ込んでいるかのように、淡く描かれているのでした。

この嘘くささ、つまりは、人間ってもっとはっきりしているもんで、それを隠している感じがするってことなんだと思います。

アマゾンやアフリカの少数民族が、自然に溶け込もうとして頭に鳥の羽根を付けたり、体に模様を描いたりしても、わたしの目には割と彼らの姿がはっきりと見えるのです。これは、写真集やドキュメンタリーを観てのことだから、そうなのかもしれませんが、しかしそれでも、直感的に言って、人間って自然の中から人間を観るけることに於いて長けていると思うし、人間って人間のことが気になってしまうものだと思うのです。

人間も含め、あらゆる動物が湯浴みをするところがあるとして、猿と人間が同じ浴槽のなかにいる。その光景を遠くから見たとき「あ、人間だ」って思ってしまう感じがするのです。それは、人間同士グルーブ感を共有しているからということなのかなぁとわたしは思っているのですけれど。

ですから、この立場から言って、森の中に人間が溶け込んでいるような描写には無理があって、それをしているこの画は嘘くさいと思ってしまったのです。

自然を神秘的に感じ、その中で生きている人々もまた神秘的に感じたとしたら、それはいいのだけれど、自然と人間を同一視するのはちょっと行き過ぎなんじゃないかなぁと思いました。森のどっかを歩いていた鹿が人間と自然を同一視するのはごもっともだと思うけれど、人間が人間を自然として捉えるのは無理なんじゃ…と。

そんなことを思ってしまったからか、「種をまく人」の農夫リスペクトな感じはとても伝わったけれど、メッセージ込めすぎな窮屈感がありました。とてもカッコいいとは思ったんですけど。

あと、その他、自然の中の人間ってモチーフと、畑と人間ってモチーフの中で、比較的人間がはっきりと描かれているものは、割と好きな感じでした。それと、ルドンの「グラン・ブーケ」っていう青い花瓶に花がわんさか生けてあるおっきな画も、よかったです。温かくて柔らかくてゆっくりした田園風景から一転、「グラン・ブーケ」のダイナミックさが息継ぎポイントとしてとても機能していました。

ということで、ミレー、嫌いじゃないけど好きでもないかなあというのが、ボストン美術館ミレー展のわたしの感想でした。

でも、ミレーの自画像は「俺!!」っていうのが全面に出ていて、そんなミレーは好きだったかな。

美術館を出ると、西の空にわずかな夕日を残して空は群青色に染まり、見上げれば後方に夜が迫り小さな星が瞬いていました。駅に向かう道すがら、カフェでは人々がにこやかに話し、多くの人々とすれ違い、遠くでは東京駅をバックに記念撮影をする人々が見え、人間って気になる存在だなあと思いました。

おわり

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