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すきな人と話しながら過ごすということについて

「自分らしく」いるって、なんだと思いますか?
私は、今日なんだかすきな人とおいしいお店でお酒を飲んでいて
いろんな話をしながら、ふと思いました
自分が自分のしたいように振る舞えているなと

いつも口角あげてなくてもいいし、きょうみない話は話半分できいててもいいし、
(なんなら今日はきょうみない話が全然ないくらい、面白い話ばっかりしていたけど)
と思ったら、それについて関係のある話をはなしはじめることも咎められないし、ぎゃくに関係の全くない話をはなすのも咎められない
それに対して私のもっていない視点から意見やコメントが生まれることもあれば、また違う話を重ねられることもあるし
なんか、違うことがほんとうに面白いなと思える関係性で、なんか泣きそうになっちゃいました。よすぎて。

とにかく気を許している人や、自分のことを分かりきってくれている

いや、分かりきるということは実質ないのだが、取扱いをある程度知ってくれている?ではない、自分のことを違っても否定しない人か
=人はみんな違うということがベースにちゃんと敷かれている人?

そういう人と過ごす時間がほんとうにたのしい
着飾ることもないし、自分がしたいように振る舞うし、(その振る舞いが結果的に相手にとっての気遣いや得になることもあるのだけどね。好きだからその行動をしたいと思う)
そうしてそれを受け取って、なにか違うことで返してくれたり、共感してくれたり
やっぱり根底にあるもの(人は皆違うからおもしろい)に対して共感があると、その上で議論みたいになっていることに対して全てが愛ゆえに起きている対話だなと感じられるのだなーと思うね。
んー。何言っているかわからないかも。

なにか、これをまとめられたらすごい教えになりそう。
でもかといってこの精神、みんなにインストールできるわけじゃないから宗教とかはできないかな。
結果ツボとかを売りつける商売になりそう。
心の拠り所が、自分の強大な軸の一部の側面になっているイメージ。
神社とかですごいでかい木があるけど、そこの木の皮の一部が心の拠り所っていうイメージだな。
だから親、友達、彼氏などの他人でもないし、ものでもないし、神でもないし、これはめっちゃ自分の足で立っている(自立)なのではないか。

傾いてないってことだからねえ

わしの精神はすごいっていう話をしたかったみたいになってしまったが、そうしたかったのだろう。
お酒が入っているので、それこそこの記事の軸はございませんでねえーー

「気を許す」かあ
気を許すっていうのは、緊張しない間柄ってことだし、相手に何をさらけ出してもまあいいかって思えることだと思うんですが(いまのところは)
何か、別に、許すとか仲良くなるとか自覚なくてもわかりあえてる

これなんだろうねー。やっぱり大学とかでアウトプットをしてきているからある程度ふむふむっていうことなのでしょうか?(あーもう何かいてるかわからんなコリャ)

あたまがモザイクみたいにぼんやりしてきました。これも酒飲んだし薬も飲んだから、作用がいつもより早くまわってきたんでしょうかね(本当はアルコールだめってかいてあったけど、すみません今日だけは・・)

ふわーーーお!
ではちょっとねることにしますね。
ほんとは手紙とか書きたかったな。かけるかな。
一旦PCは閉じてみようと思います。

バイ!

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