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夏への扉 (大学院の中間発表会)

8月7日(土)に大学院の中間発表会があった。真夏の発表会。本来は自分が立ち上げる事業の計画の進捗を報告する場である。しかし私には発表会の前日時点で発表すべき内容を用意できていなかった。

(a)「夏への扉」について
「夏への扉」は、1970年に出版されたアメリカのSF小説で、いわゆるタイムトラベルものの元祖である。タイムトラベルはストーリー上重要な要素ではあるが、ここでは関係が薄いので省略する。小説冒頭に主人公の飼い猫ピートの話がある。
ピートは猫なので寒さが苦手。このため、冬になると、ピートは主人公の家にある12個の扉をすべて開けさせる。ピートはいずれかの扉が夏に繋がっていると信じているからだ。もちろん我々の常識から言えば、どの扉を開けても、扉の向こうの季節は冬なのだが、ピートは12個全部を開けて確かめないと納得しない。全て開けきる前にこの猫を説得する術はない。

扉を全部開けてみることに意味はあるか。別に冬は冬で過ごしたい人もいるだろうから、そういう人は好きにすればいい。扉の向こうを信じない人も好きにすればいい。だが夏を望み、扉を全部開けたい人もいる。多くの人の目には、そんな行為に意味はないと映る。しかし全部開けたいピートが世の中には存在するのではないかと思う。

(b)夢と現実の狭間で目の前に浮かんだイメージ
目の前に12個のどこでもドアが現れる光景を想像してほしい。ドアの向こうには何があるか。実は構想はもう始まっている。ドアの向こうは違う時間かもしれない。一方通行かもしれない。ドアを開けて向こうを見ることはできるが、一度入ったら戻って来られないかもしれない。
これを読んでいる人は「お腹が痛くなるほどワクワクする」という経験をしたことがあるだろうか?最近楽しいことはあっただろうか。私は昨日、夢と現実のちょうど中間あたりで、12個のドアを前にして数年ぶりにお腹がキューッと痛くなった。これだと思った。期限が迫り、追い詰められてどうしようもない状況だった。同時にスリルがあった。
絶望が希望に変わる瞬間だった。無敵感をまとうことができた。同じように見えるドアでも、今日と明日では開けた先が違うかもしれない。気圧で押されて開きにくいドアがあるかもしれない。この状態から醒めないでほしいという願いがあった。納得したければ全部開ければいい。希望を繋ぎたければ残しておけばいい。ドアの向こうは靄(もや)、もしくはドア自体に靄がかかっている。
自分の構想の姿、自分の見たものをありのままに説明するとこうなる。今の段階では、自分が見ているものを皆さんに見てもらえれば大成功じゃないか。みんなのお腹が痛くなるほどワクワクしてもらえれば最高だが、共感できる人は100人中2、3人程度かもしれない。何せ夢と現実の境界の話である。

昔から、面白いと分かっていること、またはかなりの確率で面白いと自分が期待している状況でお腹痛が発動する。それは前の日の夜かも知れないし、その瞬間かも知れない。一度入ったこの状態をどうやって維持するかが重要である。得難い感覚であり、快感がある。実は単なるお腹痛を楽しいものと錯覚しているのか。否、正体は分からないがこの「楽しい」と「痛い」の同時多発的感覚自体が、楽しく意味あるものなのだ。お腹痛が無くなりそうになったら、ドアをひとつ開けてみる。
夏への扉。そして12個のどこでもドア。ふわーっとどこでもドアが現れる。例えば開けた先は神話の世界かもしれない。作り話の世界。夢の中の世界。そっくりな別の世界。無敵の世界。
でもそれらの世界での出来事は意外と、何でもないことかもしれない。戻ってきてすぐ実行できるような、「やっちゃえば簡単」なことかもしれない。
このキューっとなる状態から、絶対にブレイクスルーできるはずだと思っている。展開するか弾けるか転がすか飛ばすか。
みんなを旅に連れて行きたい。この「      」の世界に。行進曲のような。空を突っ切るような。青さ。
眠りと覚醒の間から醒め、一気に希望を爆発させる。ドアの向こうは美しい朝か、虹のような夕方の空か。新しい出来事か。未来×ノスタルジーの世界か。失われた記憶と繋がる世界か。会いたい人に会える、ただの楽しい今日か。幼い日の夕方×神々の黄昏か。
自分は見ていないはずの景色、幼い自分を上から見下ろしている景色。過去の記憶の世界だから俯瞰できているのか。神々の黄昏は世界の終わりなので実際来たら困るが、ただ語感は美しくワクワクする。ありもしない過去の光景が目に浮かんだりする。これは何か。
なるほど、もしかすると、これが構想に恋をするということか。
「12個の扉が目の前にある世界」を越えたその向こうにあるものは何か。
「扉の向こう」と「ドアの向こう」は別のものである気がする。軸が違うような気がする。
次の瞬間、ドアの見た目が変わった。どこでもドアではない形のドアが出てきた。12個のドアの先と、それを俯瞰した世界の向こうは、どうも繋がっている先が違うようだ。
先を急ぐ。俯瞰の先を進む。靄を進む。木の軋む音がする。
故郷の織機の音がフラッシュバックする。


(b)以下は、発表前日の朝に寝ぼけながら目の前に浮かんだ光景やその時の感覚を、ひたすらメモしつづけた内容そのままである。発表すべき計画がなかったので、前期の学びの過程を説明した後、この12のドアの話をした。みんなぽかんとして不思議そうな顔をしていたが、「けしからん」とか言って怒るような人はいなかった。自由な大学院なのだ。

これからこの12のドアの正体を探していこうと思っている。そんな決意だけを発表した。中間発表会。

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