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無所属のすゝめ

天は人の上に職を作らず

千葉県在住 無職

まえがき

どもども。皆さんお疲れ様です。はやかわです。


突然なんですが、一個聞いてみたいことがあって。

皆さんって何かに所属してますか?


会社、学校、部活、アルバイト、サークル。現代には人が所属するコミュニティがたくさんありますよね。それですそれ。

市民、県民、国民みたいなものにも所属してますよね。

逆に皆さんはなにも所属してない状態、つまり無所属になったことはありますか?

つきつめると人間である以上、本当の無所属は不可能なんですが、細かいことは置いといて。

論客はすぐ反論してくるとわかってるので先に言っとくバリア

例えば、

学生だったら帰宅部。
受験生だったら浪人生。
大人だったらニートや無職。

なんとなく世間ではちょっと哀れみの目で見られるかもしれない、世の母親たちが心配になっておせっかい言ってくる、そんな無所属

でもおせっかいな皆さん、実際に無所属を経験したことはあるんでしょうか?

そりゃ、ある人もいるだろうけど、皆経験した上で言ってます?無所属エアプしてないですか?


僕はたまたま人生で何回か無所属を経験しています。さながら無所属検定一級かもしれません。(自宅警備のアニキたちには及ばないです。すみません、準二級くらいでした笑)

例えば、高校を卒業しても大学にはどこにも受からなかったので、一年間浪人生でした。そのときは予備校にも所属せず家で参考書を解いてました。

宅浪という無所属

大学でも、一年生で入った映画研究部はその実麻雀研究部で2年生で抜けたので、その後の大学生活もサークルに所属してません。

帰宅部という無所属

そして、今も会社を辞めて変なことやってる、お金を稼いでる人から見たらまだ定期収入もありません。

無職という無所属

(無所属三銃士!?)


まさか、また無所属になるとは。人生何があるかわかりませんね。ほんと。

(まあ僕は今一番やりがいのある「労働」をしてるし、もちろん千葉高アカデメイアにも所属してます。)

新しい同窓会組織、千葉高アカデメイアなるものを設立したり(?)
いろんな千葉高OBとお話ししたり(まあわかる)
メンバーと会社を作ったり(まあわかる)
文章を書いたり(まだわかる)
歌の作詞をしたり(?)
映画監督をしたり(…?)
最近は千葉高生の秘密基地づくりが主な仕事です。(…たんのしそっ!笑)

暇人の~最近は~楽しいこといっぱい


さて様々な無所属タイトルホルダーで、今もほぼ無所属な僕なんですが、はっきり言いましょう。

みなさん…..


人生で必ず一回は無所属になってください。

期間は一年ほど。

そのくらいが人生ちょうどいい笑

(つらく苦しい労働をしてる人は特に)


はい。国家警察のサイレンが鳴ってきました。お母さん警察も顔を真っ赤にしていますね。わはは。逃げろ~。

「労働」は国民の義務だ~?

うるせ〜〜!!!!! 知らね〜〜〜〜!!!!     
╋━━━━      𝑭𝑰𝑵𝑨𝑳 𝑭𝑨𝑵𝑻𝑨𝑺𝒀

ちゃんと反論しますかね。僕も†千葉高生†なんだから。

大前提、労働苦役は違います。

苦役とは…つらく苦しい労働

労働の義務の「労働」の中に苦役は含まれません。含まれたら大変なことになります。だって第十八条とバキバキ矛盾です。

苦役は奴隷がするものです。そして当然日本は奴隷反対派の国です。

苦役をたまに肉体労働に限定する輩もいますが、脳の勉強をすると脳へのダメージも立派な肉体へのダメージだということがわかります。そしてちゃんと薬を飲んで安静にしてると治る。精神薬飲んだことある方はイメージが湧きやすいかもしれません。

昨今、肉体ダメージと精神ダメージを分けて考えたり、頭脳労働と肉体労働を分けて考える人がいますが、脳も内蔵なんだから肉体です。肉です肉。この世の労働はすべて肉人間の肉体労働しかありません。ダメージがどこの体の部位、どこの筋肉や内臓に蓄積されるか、違いはそれだけです。車の製造工場とかでネジを数十万本締めたことある方はイメージが湧きやすいかもしれません。

労働か、苦役か。これはちゃんと考えないと憲法違反になります。皆さん。苦役してませんか?奴隷的拘束受けてないですか?大丈夫ですか?

お金を得られなければ労働じゃない?何を馬鹿なことを。

社会を成り立たせるために行う行動ならなんでも「労働」です。

金銭が得られない労働を労働と認めないケチな人は専業主婦のお母さんたちにビンタされてきてください。子ども産むのだって育てるのだって立派な労働でしょ。その他にも金銭が発生しない労働なんていくらでもある。なんなら学生が勉強するのだって、むしろこっちがお金を支払う労働という見方もできます。

そして、その労働が死にたくなるほどつらく苦しかったら、それ、ぜんぶ苦役です。

(ちなみに、会社のお偉いさんは「違う!だってな!法律にはな!ウンタラカンタラ!」って顔を真っ赤にして言い訳してきます笑)

苦役を礼賛する人たちにパンチ!

何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

日本国憲法 第十八条 守られてますか?

勘違いしないでください。堕落させようとか、沼に引きずり込もうとか、脚を引っ張ってやろうみたいなことは一ミリも思っていません。

むしろその逆です。所属先が皆を暗くてきったないドブ沼に引きずり込むことだってあるから気をつけようって話です。

労働万歳!苦役滅べ!が僕のスタンスです。だって法治国家日本の国民ですから。


いやあもっとシンプルな話、

僕の人生振り返ってみると無所属の時の方がなぜか調子がいいんですよ。

だからもしかして無所属って言うほど悪くないことなんじゃないかなって最近思いまして。

(人生3回も無所属になると頭おかしくなるのかもしれません)

(そもそも具体的に誰がなんで無所属が悪いって言ってるのか?というのもありますけど、それはまたいつかやりましょう。)

心の声

みんな無所属は悪だ!敵だ!働けニート!みたいなこと言うんで、かわいそうじゃないですか。無所属が。いじめちゃダメ!泣いてるでしょ!ほら!

無所属のデメリットを
なったことない人が偉そうに好き勝手言うので

無所属のメリットを
なったことある人が偉くなさそうに好き勝手お伝えしようかなと思いまして。

わはは。

ちなみにこの文章、例によって、20000文字超あるので(?)
暇なときにコーヒーとお菓子を先に用意してから読むことをお勧めします☕

心の声

無職の戯言を聞く準備はできましたか?


それでは Here We Go!🍄


無所属の主張

無所属メリットその1:自由

無所属は自由です。ドン!(結論)

だって、寝て起きて、やることを誰にも指図されず自分で自由に決められるんですよ?当たり前です。だって所属してないんですから。

わはは。

与えられた役割がないんです。無所属は。

ってことは、自分で役割を考えて、好きな役割を自分に与えればいいんです。

所属先にあなたの役割は今日からこれねって言われる心配はありません。

こう振舞わなきゃっていう「脅迫観念」や「空気読みゲーム」もなくなります。

所属している人は毎週5日連続で朝から晩までどこか、会社や学校みたいな大きなハコに入っています。

一方その頃、無所属の人は平日日中気の向くままに人が少ない街を闊歩して、まるで世界をわがもの顔で探検してます。

さながら野良猫になったような自由。

そして責任を誰かのせいにしないで自由に生き様を決められる。

僕は責任のたらい回しとか人への責任の押し付けが好きじゃないから、これがとても性に合ってる。

心の声

無所属メリットその2:共同体感覚の獲得

無所属はだんだん所有の概念が薄れてきます。

時間がある無所属は、思い立ったら行動ができるし、行動ひとつひとつに時間をかけられます。

算数っぽく言えば、一回の行動あたりにかけられる時間が飛躍的に向上します。

すると、所属してたときは面倒だと思っていたことが面倒でなくなります。

だんだん、毎日お腹空いたらトコトコ5分歩いて行くスーパーなんて実質僕の家の超優秀冷蔵庫だよな?とか、日中誰もいない公園は僕の庭だよなとか、図書館は僕の書庫だよな。とかとか。町全体がなんだか僕の家の大きな庭のような感覚になってくる。

我が物顔無職ここに見参です。でも本当に平日日中の町を見渡してみると、皆どこかに行っていて使われてないモノたちが町には溢れている。

僕の大きな庭になぜか町の皆が住んでいて、寝るときには帰ってくるから使わせてあげている、みたいな財閥のお嬢様みたいな感覚を体験できます。

というより自分の行動を俯瞰してみると、、、

実質的に、僕は財閥のお嬢様なのではないだろうか?(は?)

だって、毎度ニコニコしてくれるレジのご婦人も、ごみを集めてくれる紳士も、サイゼの店員のお姉様も、半額シールを貼ってくれるスーパーのじいやも、みんなお嬢様の庭で働いてくれて、お嬢様である僕の暮らしを助けてくれる。

そう思ったとき、別にあまり広い庭つきの大きな家を所有したいかと聞かれると、あまりそんな欲も湧かなくなった。だって、すでに市民公園みたいな自然ゆたかで池も緑もBBQ場もついた僕の庭がすでにある。

町をみんなで協力して使っている感覚を取り戻せる。あれもこれも買って自分で所有しないといけない、みたいな強迫観念が抜けていく。

これはきっと個人所有の感覚が浸透した世界で忘れ去られた共同体の感覚なのかなと思った。

僕らは1人で生きていないし、実はすでに多くのモノを持っている。この感覚を感じたとき、僕は妙に安心した。

なんで無所属になったらこんな感覚が生まれたんだろう?

きっとこれは人類がナワバリ(空間)で仲間を識別してきたことが関係しているんじゃないかなと思う。(もう一つ間接的な要因はお金を使わずに行動するには?という思考が冴えてくること)

家族というのは、家(空間)を共にする族のことだし。人間はきっと血や戸籍みたいな見えないものより、目で見える同じ空間にずっと存在する者たちのことを仲間だと思っている。同じ教室、同じ学校、同じ会社、同じ地元、同じ国。人間はなんだって仲間を認識するのにナワバリ(空間)が欲しくなる。

(最近、独り暮らしで狭い1ルームマンションに押し込められて、皆の認識するナワバリ(空間)が小さくなってしまった。マンションの自分の部屋から出たら、お隣さんもみんな信用できない敵。あいさつなんかしない。みんなで自ら孤独な独房に鍵を閉めている。)

周辺散策をする時間が増えたことで、自分が認識するナワバリ(空間)が広くなった。これが理由だと思う。

顔は見たことなくとも、同じ空間を共有して、働いてくれる人たち。

彼らは仲間なんじゃないかという妙な安心感が湧いてくる。

無所属メリットその3:無限の時間持ち

無所属は時間が無限にあるように感じます。お金持ちならぬ時間持ち。

時間って本当に色んなものと交換できる。つまるところ人間は命(時間)をなにかと交換して日々生きている。(会社での労働は時間とお金を交換する行為だし)
時間を大量に持つと、これを感覚的に理解できるのもメリットとして大きい。

そしてポロっと大切なことを言うと、人間にとってかけがえのないものとされる一番皆が欲しがるものは、お金ではなく時間と交換できるものであることが多い。
(皆、人生の教科書「物語シリーズ」を観よう)

無所属は最強の時間持ちである

無所属は時間に追われなくなる。

所属してた時に感じた「もっと時間が欲しい!足りない!」ってあの嫌な感覚。

特に会社に所属してるとき僕は考える時間がほしいってずっと思ってた。

アレ、なくなります。そう無所属ならね。

今日できなかったことは明日やればいい。

明日やろうは馬鹿野郎?違います。明日やろうはそうしようです。

無所属の時間富豪すぎる思考

だって時間は余るほどある。考える時間が無限にあるし、考えても考えても時間が余る。(これがすごく大事)

この動画の土岡の言葉はちゃんと真面目にニートしてた人の言葉だし、これ読んだ後にでも動画を皆に見てほしい。休職、無職を経験した僕は土岡の言葉の一つ一つに共感しかない。もし皆が休職したり無職になったときには、ぜひ何回も見てほしい。(休職中に見たかった。すごく良い動画。)
本当に、人間がやりたいことをするための暇(schole)の真理をついてる。

ニートにはやっぱアニメなんだよな

眠かったら昼寝して、調子が悪かったら昼間からお風呂にでも浸かってリフレッシュしてアイスも食べちゃう。

チョコバッキーはうまいぞ

アマプラで見たかった映画、高校生の頃好きだったアニメを見返せちゃう。Youtubeで音楽も聴き放題。海外の知らない町の旅動画だって、日中全然皆に使われてない図書館で読み切れない本も読める。勉強したかったら、インターネットで昼から夜まで調べ三昧。時間のかかる凝った料理だっていつでも作れる。空いた時間に楽器も練習できちゃう。友達の誘いには二つ返事で参加できる。

(所属してた時の休日の怠惰とは違う日常がある。)

いや、どう考えても無所属、自由で楽しい。


楽しいに決まってるじゃないか~

(労働者の皆さん、握った拳を下ろしてください。ちがうっ!違うんです!僕は味方ですって、ぶたないでっ!ブラウザバックしないで!!)


ぼっちが強がってるだけ?ほんとは寂しいんでしょ?貯金がゼロになったらどうするんだ?将来の不安に苛まれるんでしょ?そうであってくれ?そうじゃなきゃ労働してるこっちが馬鹿みたいだ?無職の戯言?落伍者?親不孝者?(心に、、深いダメージが、、、)

茶番劇みたいなイタくてメタい文章を書いている僕にそんなディスは効きません。

心の声

あれ?意外と楽しい無所属生活

確かに浪人生の頃は一人でしたけど、それは志望校に受かるために精神と時の部屋が欲しくて、自分の部屋が一番良い自習室だっただけで、それはたしかにぼっちでした。認めましょう。でも、塾に行かずに第一志望受かったって言えたらなんかかっこよくないですか?勿論落ちたら最高にダサいのである意味、背水の陣ですけど…(でも塾の自習室ってなんか息苦しくないですか?疲れても声出したり、歩き回って勉強したりできないし。)

昼間誰もいない時間に1人で納得するまで勉強できる生活というのは結構良い体験でした。高校受験の時の限界までやる勉強ではなく、自分のペースで知識をもう一度総復習していく作業なので、現役生よりゆとりもありますし。

大学のときも確かに、映研やめてからサークルに属さなかったので、サークルでの青春!合宿!みたいなものはなかったですけど、学部の同じような暇人たちと(暇人でない人たちとも)大学生ぽいことしてましたし、1人暮らしするお金はないから大学の近くに友人とルームシェアして、友人たちに入り浸られたり、深夜までゲームしたり、宅飲みでバカ騒ぎするみたいな定番のやつもやったのでまあ及第点でしょう。

ここだけの話(?)暇だと人に誘われやすいです。

いつでも呼んだらこいつ来てくれるなって思われるし、皆に重宝されます。特に最近の大学生は忙しいですし。他サークルで予定が合わない他の人より、暇な分だけ色んな人と自然と付き合いが長くなる。勉強の時間もとれるから、一緒にレポートやってるときとか教えたりできるし、感謝されます。それに暇だから飲み会の日程調整もそれほど面倒じゃなく引き受けられます。あ、あとカラオケで盛り上がる曲をひとりでコソ錬もできます笑

全部たくさんの時間がある暇人がなせる技です。

会社で身体壊してしばらく休職して、この先どうするか考えてた時も、高校や大学の頃の友人たちは気にせず接してくれて、特に孤独はなかったです。もちろん将来について最初は不安を感じたけど、考えてるうちにだんだん別のことを考えるようになりました。多分同じことを考えすぎると飽きるんでしょう脳が。そして、前のブログに書いたみたいに、色んな事が勉強できた。結果的にですが、休職して良かったとさえ思ってます。

定期収入も今はないですけど、お金の計算をすれば、当分今の貯金で普通の生活をできることがわかると不安もないから、生活に支障は全く出ません。今はやりたいことに向けて全力で動いてますし、とにかく楽しい。

無所属向き人間の性格分析

さて、労働者の皆さんの気分を少し害してしまったことをお詫びして、ここからは、無所属が向いていると思われる人間(僕)の性格について分析していきましょう!

就活では絶対に見られない忖度なしのピュア自己分析が始まります

心の声

まず、僕は何より、優柔不断で、行動をする前に頭の中でだいたいの道筋の目途が立たないと動けない人間だから、とにかく考える時間がたくさんほしい

そして、勉強してないけどテストでいい点とれちゃうやつのことをかっこいいといまだに勘違いしているガキだから、こそこそ一人で作業や準備をして、表では平然とすました顔をしたい。

努力をなるべく見せないことが美学だと思っているし、友達と話していてわからないことがあったら、その時は知ったような顔をして、後から帰って調べて次会ったら対応できるようにして、あたかも最初から知ってる風を装いたい。(愚か。というか、あまり皆の会話を自分の無知で遮りたくない笑)

そんな見栄っ張りが抜けないガキな僕は、そうした下準備や人知れずにネタを仕入れるこっそり自分時間がたくさんほしい笑

最近そんな性格が功を奏して、色んな変化球に対応できるようになってきた気がする。最近色んな変人たちと楽しい言葉のキャッチボールをして、喜んでもらえる機会が増えた。僕はとても嬉しい。教養は一種の言語だと思う。コミュニケーションの道具だ。
僕は君らとずっと楽しく会話がしたかった。ウィットに富んだユーモアあふれる教養という言語を話したかったし、その言語を一緒に喋る話し相手が欲しかった。子どもの頃、千葉高に入学する前、変人に強く憧れた凡人だったからなおさら。最近またその言語を勉強してるからか(まだまだだけど)会話が楽しいし、付き合ってくれる友人たちが面白がってくれる。
千葉高育ち 喋れる奴は だいたい友達(真理)

心の声

そんな人間は自分の時間が無限にあって行動が自分で決められる無所属の方が心地よいなんてわりと自明かもしれない。

所属すると、人生の色んな事が拘束されてしまう。発言や、自分の時間、自分の将来、住む場所だって、なんだって拘束されてしまう。

人権侵害も良いところだ。憲法の条文読んだことあるんか?笑

勿論他人の目を気にしない毅然とした態度を持っていれば自分で決められるかもしれないけど、あいにく僕にそうした周りの人の気分を害してまで我を通す意志の強さはない

もし僕と同じような人は、人生長いんだから、節目節目で自分の人生のご褒美に、自分に無所属の自分をプレゼントした方が良い。そんで実家に帰って卒業アルバムでも開いてガキんちょの頃の自分が何になりたかったのか調べてみるともしかしたら良い発見があるかもしれない。

リスク回避としての無所属

長い人生において一度も無所属の自由を経験しないなんてのは、もったいない。うん。

そして、なにより無所属に対する無知、恐怖、呪縛から解放される。視野狭窄に陥ってることに気づける。これがとても大きいなと無職になってから思った。

いったん自分の人生で積んだジェンガを崩しても何の問題ないし、また簡単に積み直すことができることを知ると、ちょっとくらい冒険しようという勇気が湧いてくる。しかも次はもっと高く積める発想を思いついたり、ジェンガではない別の全く新しい面白いゲームを始められるかもしれない。

その可能性を若いうちからすべて他人や会社に投げてしまうことって、本当に賢い選択なのだろうか?リスクヘッジは効くだろうか?休職中、僕はそんなことばかり考えていた。(ここでいうリスクは本当にやりたかったことができないまま死ぬリスク

千葉高生なんて変人、奇人、天才、天才に食らいつく努力の凡才、好奇心と行動力の化物、なんでも自分でやりたくて時間が足りてない超人器用貧乏、未来の可能性がたくさんある人たちばかりだから、なおさらそんなことを考えてしまう。

地元の公立中学出身で、千葉高、東工大、同大学院に行って、大企業辞めて、今は色んな千葉高生たちとお話ししている僕の最近の率直な感想なんですが。

やっぱ千葉高生は今の所属先関係なく飛びぬけてスゲーし、謙虚でぐう聖。まあ同級生を見てればそんなの知ってたハズなんですが。(同級生と自分を比べて謙虚通り越して卑屈になったり、周りに揶揄されたりするのがほんと千葉高生の精神衛生上よろしくない。)

スゲーって、マジで。会社の人たちと比べ物にならないほど優秀。会社の人ごめんね。僕とサシで飲める友人たちは勿論例外。(たぶんこれ数学使うとある程度説明できるんですが、その話もまたいつか)

旧制中学の頃から積もるバンカラの誇り(埃?)が坂の上でずっと掃除されずに残っている学校、それが千葉高です笑

心の声


どうせ人生の転機みたいなことがあったら今の会社から出るときが来るのに、人はきっかけがないと動きたくないし、未知がどこまでも怖い生き物なんだ、もちろん僕も。(同じ会社で勤め上げる人なんて全体から見ればマイノリティだし、これからきっと日本は人手不足で仕事はこっちが選べる時代なのに!一体どうしてなんだ!くそっ!脳に刺さった針ぶち抜きて~!)

はは….. やられた…
イルミの野郎 こんなもん差し込んでやがった
オレの脳(アタマ)ん中にさ

HUNTER×HUNTER 21巻 キルア

3度目の無所属のきっかけ

自分が所属から抜け出して、今やりたいことのために無所属なのも、もちろん脳の針ぶちぬいた訳じゃない。きっと休職というきっかけがあって、メンタルクリニック通って、たまたま考える時間を与えられて、その暇な時間の中で、次何をしていくかの計画がようやく立て終わったからなんだと思う。色んなきっかけがあった結果ポロっと抜けた。

計画がある程度描けないと動けない、自分の頭で納得してからじゃないと次に進みたくない僕みたいな人間は、それ相応の時間が必要だ。普通に考えて、人生の進路選択なんて最も時間のかかるタスクだし。

会社に所属して、学校に所属して、部活に所属して、バイト先に所属して、様々なマルチタスクに追われてたら、どう考えても考え終わらないし、中途半端に自信のない進路選択しかできない。僕みたいな人間は。

僕の目算、一年くらいは平気でかかると思う。何も所属してない暇な人間でそれくらい要すると思う。僕はこのタスクを学生の頃サボってしまった。
(だから、もし同じようなことを考えている千葉高生がいたら、思考のショートカットやヒントになればいいなと思ってこの文章を書いている節もある。)

脳内のタスクマネージャの起動しているタスクを一旦全部強制終了する行為。
もしくは散らかってる頭の中の机のモノをぜんぶどかして作業スペースを確保する行為。
これが必要だった。僕のような人間は。
基本的に僕はマルチタスクが苦手で、一つのタスクに集中してしまう癖があるし、どんなに時間がかかろうともそのタスクが終わるまで続けたくなってしまう。途中で終わらせたくない。(多分心配事がずっと自分の頭の中でぐるぐるして脳が疲れてしまうのが嫌だからそうしたくなる)
そしてこの脳の使い方をしてる人はきっと、会社でのオフィスワークとの相性が最悪だと思う。なぜなら基本的に仕事のタスクはマルチタスクで、タスクがすべて完了する日はこない。四六時中終わってないタスクのことをぐるぐる考える羽目になる。
石橋を叩いて、ぶっ壊すまで叩き続ける人間との相性が最悪すぎる。完璧主義というよりは、心配性なんだ。
(自分の仕事で誰かに迷惑をかけること、メンバーを傷つけることがたまらなく嫌だった。誰に聞いても結局よくわからない問いのない答えを考え続ける虚無感、考えなしの一声で様々な成果をひっくり返される理不尽。そんなやなことを回避する方法をずっとぐるぐるぐーるぐる考えていたが、やはり答えはでなくて、常に頭が疲れていた。)

心の声

話を戻すと、僕のような人間にとって、進路選択はそれほど時間の要する作業だから、世の中の進路指導、大学の進路相談室、キャリアアドバイザー、転職コンサルタント、なんてちゃんちゃらおかしい。そんなんで決められる進路は、あくまで他人に責任を押し付けた、自分で考えるのを途中であきらめて、疲れたし、もうこれでいいやで決めた進路だと思う。ぐさっ(過去の自分にぶっささるナイフ)

実感ある人は大勢いるんじゃないだろうか。学生の頃、圧倒的に考える時間不足の中、嘘の第一志望理由を量産する、自己分析を会社に合わせた、アイデンティティなど関係ない茶番劇(企業と学生の騙し合い!就活たぬき合戦ぽんぽこ)を、うまくいかない修論研究に追われながらやったけど、まさに、もうこれでいいや、疲れたし。で終わらせた。ほんとに日本の就活システムは狂っている。

若いうちにやっとこ思考

僕は何事も若いうちに一回はやっとこうと思っているタイプの人間で、振り返ってみると、過去2回の無所属みたいなものもそのひとつだった。

え、浪人もかって?笑
正直、高校最後の生活を楽しみたくて、あの時の勉強量で落ちるのは割と必然だった。受かったらラッキーくらいのノリで受けてた。
試験を受ける前から落ちたら浪人させてくださいと伝えて、親には呆れられたし、皆が後期試験を受けてる中、僕はたしかクラスの皆で撮りためた写真を集めて卒業記念映像を一人で作ってた気がする。あの時、親には申し訳ないことをしたなと思っているけど、浪人の1年くらいしてもいいか、と思えるくらい、千葉高は僕にとってかけがえのない場所だったし、最後まで登校して楽しみきった。そんな親への申し訳なさもあり、自宅勉強を選んだ節もある。というか確信犯の金ドブだろ笑(あの時の恩は10倍くらいにして返すのでもう少しお待ちください笑

心の声

脱線したが、なんでそんななんでもやろうと思っているのかといえば、特に幼少期、やりたいことを我慢して育ったことが背景にあると思う。皆が子どもの頃に経験した普通のことをあまりできなかった。後悔がたくさんある。

例えば、我が家にはお小遣い制度がなかったら駄菓子屋にすら友達と行けなかったし、皆が遊んでいるゲームも家にはなかった。お金を使って自分がやりたいことをするのにすごく抵抗があった子どもだったし、大人からの評価や周りの空気を常に気にしていた。典型的な真面目ないい子だったし、小学校の恩師からは仏のような子と評されていた。(父の漫画部屋にある手塚治虫のブッダとか読んでたからだろうか?)大人たちから若くして悟りを開いたように見えるガキには、残念ながら友達と自信をもって言える関係の人も正直いなかった。(別に幼少期の教育方針の評価なんてものは今更全く気にしてないし、むしろ兄妹仲がよく、大人になってみると少し過保護な母の教育もきっと大正解だったのだろうと思っているし、当然感謝をしている。)

その反動で高校、大学ではわりと好き勝手に生きてたと思う。僕の小中時代を知らない友人たちは驚くかもしれない笑

母は家庭の事情で本来進学したかった高校には行けず、学校になじめなかったから、僕が千葉高生たちと和気藹々と自由に楽しむ姿を見るのは心底楽しかったとよく話していたし、ハイソサエティな友人のご母堂にもよく驚いていた笑。振り返ってみると、僕の支援者という形でクラス行事に間接的に参加することで、一緒になって青春を取り戻していたんじゃないかと思う。僕も母と同じで皆を楽しませる企てを考えることが好きな人間だから、当時の母の気持ちは想像に難くない。

少しは親孝行したかと思った息子は、また心配をかけている。すんません。ほんと笑

でも、あなたですよ~。航海の「航」と名をつけたのは笑(名づけって大事ですね。理屈っぽい子供に言い訳に使われるらしいです笑)

回想

大人になったらできないことがたくさんあるし、子どもがやっても許されることを、大人になってから、または家族や守りたいものを持ってからすると、許されなかったり、大切な人を傷つけたり、だいたい見るに堪えない大人になってしまう。

例えば、ギャンブルだって学生にでもなったら自分のお金で一回くらいは少額でいいから賭けとかないと、大人になってお金を持ったときに始めた人はたいてい大コケする。お酒、たばこ、恋愛、みたいなものも怖がらず一度はやってみて、こんなもんかと思っておくほうが身を滅ぼさなくて済む。吐くほど友人とお酒を飲んで部屋のトイレを占拠されて、仕方なく深夜のコンビニに行ったり、明日1限あるのに朝までダークソウルをやったり、卒研で人間は二徹できることを知ったりした方が今後の何かの役に立つ。

というかその方がおもしろい。一度やってみることは話のネタにもなるし、なんならバカ話の方が人にウケる。

無知で人を非難することもなくなるから、仲間が増える。知ってること、経験してることを増やすことはつまるところ色んな人と仲良くなることにつながる。

バカのすゝめ

バカなことは今のうちに何事もやっといた方が良い。

バカっぽいことをすると、周囲からの期待値も下がるから変なことしたり、自分のやりたいことをしたりするのに抵抗感が薄れる。それを人に隠さなくても異常行動が通常運転にできる。幼少期からの真面目行動が抜けない人には特にオススメする。

よくバカっぽいことが好きだよねと高校生の頃一緒に隣で楽器を演奏していた友人に言われたのを今でも覚えている。そう。僕はバカっぽいことが大好きで、今やっとかなきゃいつやるんだっ!ってだいたい思ってる。さらに大人になってからじゃもっと恥ずかしいことになる。

そして逆説的に恥は捨てるとやりたかったことが割と簡単に叶う。恥ずかしがってたらやりたかったことが何もできない。我慢してたら何も得られないこと、青い春は簡単に過ぎていくことを僕は小中時代に思い知らされた。

逆張りオタクは中高時代で終わらせて、結局、やりたいことやったもん勝ちじゃね?という逆張りの逆張りオタク(順張り)を始めると、皆が子供の頃楽しんでた青春を取り戻せるし、結局なんだかんだいって楽しい。時にはまた逆張りオタクに戻ればいい。どちらにも楽しさが存在する。

やりたいことやったもん勝ち勇気100%オタクが最強

ずっと逆張りオタクしなきゃいけないなんて誰も言ってない。逆張り根性ここに極まれりな僕もそうだったように千葉高然り東工大なんて逆張りオタクの聖地みたいなところある(暴論)

普通の高校生は合コンしたくない大学ランキング第一位の大学に行きたい!って思わない笑

がきんちょ期に精神が成熟しすぎて、がきんちょ行動ができなかった人は今からでも遅くないからがきんちょ行動をしよう。おっさんおばさん期、おじいさんおばあさん期のがきんちょ行動は見るに堪えないけど、若者のがきんちょ行動は全然許される。

恥を捨てた先に欲しいものがだいたいある。

一時の恥を堪えて無所属になることで、自分の時間が無限に与えられているような全能感。充足感を得られる。初めて生きていることを実感できる人も中にはいるかもしれない。自由が好きな人は一度でいいから無所属になってみてほしい。

ちゃんと安全紐はついている。

世界一ヒトが死なない住みやすい国

大事なのが、無所属になったところでこの国では到底死なないということ。社会福祉という太すぎる安全紐がついている。この安全紐点検したことありますか?実はみんなに付いてるんですが。

日本では無所属になったくらいじゃ、どう考えても死ねない。自分から死のうとしない限り死ねない国だ。日本は。死から最も守られた国。それが最高寿命をほこる、ちょっとやそっとじゃ人が死なない国、ニッポン。

ごはんも安くて美味しすぎるし、世界中のいろんな美味しいものが庶民でも食べられる。こんなおかしな国ない。世界中を飛び回っている僕の友人が言うんだ。間違いない。

水とご飯があれば、人間はどこでも生きていける。お金があると生き方(生き延び方)を考えなくても生きれるから、普段は皆あまり考えないけど。世界にも日本にも、色んな生き方(生き延び方)があって、皆面白い生き方を考えて暮らしてる。暇なときに僕の好きな旅動画をたくさん見てこの言葉の意味を考えてみてほしい。

しかも最近は娯楽すら価格破壊を起こしていて、ひと昔前と比べたって異常に安い。勿論新しい物を手に入れたかったら、すこしお金を出さないといけないけれども、みんな基本的に帰ってSNS見てソシャゲやってYoutube見て美味しいご飯食べて寝るだけだし。

最近は見栄を張るための出費や忙しさのストレスを紛らわす出費が大きくなっていて(今も昔も変わらずかもしれないけど)まあそんなのは浪費に過ぎなかったり、よくよく考えてみると時間がないから面倒をお金と交換してるだけだったりする。

人間は群れを作るサルだから、見栄やモテを気にする。これは当たり前だけど意識しておくと結構考えるときに役に立つ。

無所属は見栄をはる相手が全然いないし、ストレスもない。暇だから出費がガクンと下がる。これはあまり知られてない気がする。見栄というのは多くがあまり仲良くないけど、SNS、職場、学校(所属先)で顔を合わせる誰か、に向けたものであることが多い。

文系キラキラ職の人たちが理系の技術職の人たちより貯金少ないのって、そゆことじゃない?(勿論、千差万別だけど傾向的に。)
お金でビジネスやってる会社の人たちが、自分の生活ではあまりお金の計算せずにお金を使っている。(or使わされている)
友達っぽい付き合い、おじさんたちとの付き合いが多いから彼らはお金がいくらあっても足りない。
社会人5年目にしてようやく貯金開始できた、みたいな心配性の僕にとっては信じがたい話もどうやら結構多いらしい。
多分インカレサークルのノリで社会人ずっとやってる人は貯金残高が本当に少ない自転車操業だと思う。今の給料が上がらない現状では特に。
でも大きな企業に入ると実家が太い人が周りに多くいて、自分の給料だけではとても彼らの生活水準に合わせることはできないし、みじめな気持ちになる人もいるかもしれない。
早々にそんな不毛なバトルからは撤退して自分の世界を再構築したほうが幸せになれるような気がする。まだ人生長いんだし。

心の声

つまるところ、気心知れてる人間しか存在しなくなると人間は見栄をはる必要がなくなって、あまりお金を使わない。ムダに高い飲み会にだって行かなくて済む。サイゼ飲み、大衆安酒居酒屋の妙味を知れる。

無職になってお金はどうするんだって?貯金を使えばいい。なんのために皆貯金してるんだっけ?貯金残高バトル??未来の自分のための仕送りじゃないんか?貯金って。皆働きすぎて貯金をいつ使うか考えてないことが多い。

時間貯金のすゝめ

もし労働のストレスからいったん自由になりたかったら。

ちょっと節約して、一年、二年くらいの自由時間を得るだけのお金を貯めて、一度無所属になってみるのはどうだろう。(大真面目)

そう。いわば「時間貯金」を降ろして使ってみたらどうだろうか。

千葉高生という勉強の才をすでに証明している人たちは、無所属になったところで1,2年真面目に勉強したら世の中のたいていの職業の中堅レベルの技術はなんだって身につけられると思う。
だって、会社で働く人は勉強する時間がほとんどないし、仕事のためのムダな仕事を毎日一生懸命やっている。転職CMは綺麗ごと言うけどその実「スキルが身に付く?は?エクセルとかパワポとか?」ってことを思いながら会社の中の人は日々仕事をしている。(技術の習得はすごくゆっくりだし、管理の仕事に追われて、なんなら技術を忘れてくことすらある。一体なんのために技術者なったんだっけ?という気持ちになることがよくあった。もちろん僕の一意見だけど。)
そんなん、もう一瞬で追いつけると思ってしまうのは世の中をなめすぎだろうか?うーん。ほんとかなあ。世の中をなめるなおじさんって一体どんな人たちなんだろう?(僕はまだお会いしたことがない、Twitterとかでは見たことあるけど)
たまに千葉高生は謙虚すぎて、自分の能力を客観的に見れていない節がある。(逆説的にその特性があるから勉強を諦めない人が多く、学力が高いというのもあるかもしれない)
もう少し心の中のがきんちょを信じてあげてくれ。

心の声

もちろん時間貯金を全部使えって訳じゃないし、きっと、ある程度貯金が減る前にどうせ次の方針がたって人間は行動するようになる。

暇な人はとりあえず今の貯金を一日当たりの生活費で割って何日分の時間貯金に相当するのか計算してみたらどうだろう。

ちなみに皆は日々払っている雇用保険で、休職したとき給料の何割がもらえるか知っているだろうか?別に支払っている保険に休業補償というオプションはついてるだろうか?失業保険が何か月もらえるかは?人が仕事を休んだ時に一体いくらのお金がもらえるか、これも仕事が忙しくて計算してない人が結構多い。ぜひ暇なときにしてみよう。

心の声

もちろん人それぞれだけど、人生一度は無所属をはさんだほうが有意義に過ごせるんじゃないか?と僕は最近真面目にそう思っている。

無所属実験体かく語りき

そして実際、その仮説を自分の人生を実験台に証明を試みている。

まあそりゃ人に勧めるなら、自分がやってみろって話だから。うん。やってみている。

それが実はなかなかにうまく行っている。(まあ被験者数N=1だから、もちろん誰しもに当てはまるとは言えないんだけど、他に被験者いたら感想教えてください。)

ちなみに無所属実験体、僕の感想はこんな感じ。

やりたかったことがどんどん叶っているし、ご飯を食べるのも忘れるくらいに今の労働が楽しい。もちろん労働と言っても準備段階だからお金が入ってくるのはもう少し先だけど、それももう少ししたら形になってくる予定だし問題ない。仮に予測が外れたら、次の策を立てればいい。

どんなゲームより選択肢が無限にあって自由で楽しい。自分の行動の決定をすべて自分で決められる。自分の労働に責任を持てることが嬉しい。自分のせいで誰かが傷つくのを見ないことや、自分の信念に反することを強要させられないこと。自分が思いついたことをすぐに、調べて、自分の力で一つ一つ自分の技術として知識を得られること。自分の手を動かしてものが作れること。小さい頃の自分に胸を張って生きられること。誰かが自分の労働を喜んでくれること。楽しんでくれること。ほめてくれること。すべてが嬉しい。(そんなことばかりしてると自然とずっと集中して、手が動くから行動の効率が凄まじい。)

そんな子供みたいなわがままを許して肩を押してくれた人がいる。本当に感謝しかない。この恩をいち早く返すこと、それが最近の僕の一番のモチベーションだ。

心の声

将来不安をめちゃくちゃ煽る変な風潮

FIRE、みたいなもう体力のない老後なんかに時間貯金を一気に降ろすんじゃなくて、小出しに若い元気があるうちに使う方がたぶん楽しいし、体力だってあるんだから好きなことができる。

FIREなんてのを流行らせたのは大きな証券会社の人たちか、金持ってるおじさんたちに早く隠居してほしい人たち、もしくは労働者に今の「苦役を我慢させるための言い訳」を与えたい異教の神様だと思ってる節がある。てのは怒られそうだから流石に内緒にしとこ…。…でもさ、hogehoge教の辛い労働を我慢したら、天国に行けるってのと、発想一緒だs…。

心の声

そもそも、お金を貯められない人でも暮らせる社会が、民主主義の福祉国家形態なんだから、老後のお金とかは1人1人があんまり気にすることじゃないと僕は思う。国民の老後のお金の心配は国の仕事だし、富の再分配とはそうゆうことだし、幸か不幸か国家公務員の人たちがちゃんと日本のみんなで稼いだお金を均す仕事をしてくれている笑 それが仮に維持できなくなったら、もう個人の貯金残高がいくらだとかが些細なことに思えるような阿鼻叫喚が起きるはずで、そんなのはもう個人レベルで対処しようもないから、あんま考えても仕方ない。

なにより、たくさん働いたって働かなくたって今手取りはそんな変わらない。額面年収バトルをやめて、せめて手取り年収バトルか、時給バトルをしよう。たいして変わらないのがよくわかる。労働で見栄もあまりはれなくなってきているのが現状だ。
老後2000万貯めろだとか、積み立てNISAをしようとかいう国からのキャンペーンも正直なところ、ちょっと意味がわからない。金融業界の偉い人たち、そんなにお金ほしいの??僕らの今の生活費なんですけどそれ。

1億2千万の人生プレイング

大量の時間を持ってると、少しの恥ずかしさを乗り越えられれば、なんでもできる。しかも無所属になると恥のハードルが下がる。なぜなら無所属はそもそも大きな恥をひとつ捨ててる笑

見たいものを見にいくのにも誰かの車に乗せてもらえばいい。善良な人たちがちゃんと安全に送り届けてくれる。そんな上級者みたいなことしなくても(僕もしたことないし笑)チャリでもこげば、割と遠くまで行ける。そして宿とかも普通に友達を頼ればいい。遠くから友達が会いに来てくれたら普通にうれしい。次会う時や自分がお金を持っているときにでも恩を返せばいい。

昔の旅人や吟遊詩人のような人たちが現代にたくさんいる。そうした人生(時間)の使い方をYoutubeで最近つらい労働に疲れた若い人たちが色々やってるのを見ると、まあ全然生きられるんだと思えるし、なにより貧乏学生の頃、実際に周りにやってたやつらがいるだろう。なぜ大学卒業したらやっちゃいけなくなるんだ。良いだろ別に。

ほしい物も住むところもシェアしたり誰かと代わりばんこに使えばいい。サラリーマンと比べたら収入がほとんどない若手の地下芸人も、だいたい3,4人でぼろいアパートにシェアハウスをして一人、月1万、2万で和気あいあいと都内で暮らしている。(互いに文句を言いながらも仲良く暮らしている人たちもいる笑)家が全焼した人ですら全財産が焼けてなくなっても先輩後輩からカンパしてもらって普通に暮らしている。

僕が学生の頃よく行っていた、長野の松本市は世捨て人みたいなマスターがカフェやバーをやってるディープで変な店がそこら中にある街だった。だいたい彼らは街や人間の魅力にひかれて都会からやってきた人たちで、そうした街が日本には他にもたくさんある。地方に行かなくたって、都会にだって会社なんてものには一生縁がなく暮らしを続けている人がたくさんいる。

僕が車の工場でネジを締めていた時、聞いた中で好きな話がある。
「数年くらい工場で働いて数百万円貯めて辞める。そのお金を全部株に突っ込む。増えたらその期間は遊んで、お金がなくなったら、また車の工場に期間工で来る。」と言っていたアニキがいた。ちなみに車の期間工は多分皆が思ってるよりもお給料が高い職種だ。しかも一定期間働くと会社から報奨金というお金が出るので、連続で働くより一旦やめてまたどっかに入り直す方が合理的にお金を獲得できる。アニキの方が僕よりちゃんとお金のことを考えている。

通勤電車で、駅で、街でちゃんとスマホから顔を上げて、そこにいる人たちの顔、身なり、様子を見てみよう。一人一人に僕らと同様にこれまでの人生があって、日々皆「暮らし」をしている。

意味なんか ないさ暮らしがあるだけ

恋 星野源

仕事が忙しくて自分のことしか考えれずに忘れていたことを、ふとスマホを忘れて電車に乗っていたとき、気づいてハっとなった(休職中)

なんでもない駅で降りて、ぼーっと道行く人たちを見ていたら、街には色んな人がいるし、別にスーツを着た人だけがいる世界じゃない。(しかしまあ、おじいちゃんおばあちゃんほんとたくさんいる笑)

僕らの人生ではきっと想像もできないレールを進んで、人生を送っている人たちが、こんなに数えきれない、目に移りきらないほどたくさんいる。

あえて使ってみた、よく使われるレールという言葉は、人生を例えるにはあまりに不適当な例えだと無職になってから思った。

きっとこの頭の中に浮かぶレールのようなものは、会社や学校側が集団運営をするために敷いた仮想のレールだ。現実にはレールは存在しない。

敷いたレール上のふつうの進路は1000人中何人の進路なのか下の図で確認してみるといいかもしれない。レールかこれほんとに?

『現場で使える教育社会学』(ミネルヴァ書房、2021年)

ほんとは僕らの足元にはレールなんて敷いてない。自分の足元を見てみよう。自分の2本の脚しかないし、地面しかない。僕らの足には車輪もついていない。行く方角は頭がどこを向けるかで東西南北、なんなら、上にも下にも行ける。みんな動く物こと、動物だから思い思いの方向に動いている。

僕らはトロッコに積まれた考えるだけの葦じゃない。ちゃんと足がついてて自由に動けるサルだ。


家賃が高くて、お金が毎月減ってくのが怖い?僕の家で一緒にルームシェアでもすればいい。僕は別に構わないし、家賃払えなんて野暮なことは言わないし。次に働いてお金が入ったときにでも適当にご飯でも奢ってくれればそれでいい。1人部屋は用意できないけど、布団なぜか3つあるし、同居人が引っ越して僕は話相手がいなくて寂しいし、暇だからちょうどいい。平日昼間銭湯仲間になろう笑 僕が最近はまっているタコスパーティもやろう。一人になりたいときは言ってくれれば、友達の家か、実家に帰るし。それがやなら、うちのばあちゃん家の二階とか使えばいい。たしか2部屋くらいあるし。ばあちゃんも退屈してるからちょうどいいし、説明すればたぶん快くOKしてくれる。

普通じゃない?変?プライベート?プライバシー?それっていつの時代の誰の普通だろう

ひと昔前はわりと庶民の普通だったと思う(わりと今も)ばあちゃんやじいちゃんと会話したことないだろうか?おばあちゃん、おじいちゃんが存命の人は聞いてみると言い。もしくは実家に帰って両親にインタビューしよう。ちなみに予想だと、おじいちゃんおばあちゃんたちは大人になるころにはとっくに親が死んでるし(特に末っ子で生まれた人とかは)、どっか知り合いのつてで家族で下宿させてもらうなんてのもザラ、友達が転がり込んでいっしょに住んでたみたいな話も聞けると思う。それがじいちゃんばあちゃんたちの普通の暮らしだ。そういう話をばあちゃんに会いにいくとよくしてくれる。(代々お金持ちの人たちはそんなことしてないと思うけど、庶民はわりと普通なんじゃないだろうか。お母さんお父さんが子供の時だって、オールウェイズ3丁目の夕日みたいな知り合いの家でTVを皆で見て、風呂を借りたり、銭湯行ったり、みたいな。まさにアレ。町全体がなんか家族っぽいみたいな。プライバシー?はて?なんぞや?みたいな世界で人間は普通に暮らしてた。)

プライバシーなんて言葉は最近流行った言葉なんじゃないだろうか。どうせ訴訟が大好きな国とかから輸入された概念だと思う。気になる人は歴史を調べてみると良い。そんなものなくても人は普通に暮らせていたし、たぶんそっちの方がラクな人もいる。(というか会社に入ればわかるけど、噂はだいたいすぐ広まるし、プライバシーなんて幻想自体あまり存在しない。)

なんかみんな割と普通に「独り暮らし」を選択してるけど、そもそも1人って寂しくないかアレ。喋り相手が欲しくないか。虚無にならないか?猫でもいたら気がまぎれるけど。(猫飼いたい)そもそも1人になりたいのって一週間に一回くらいじゃないか?(もちろん人それぞれだけど)
人間が何かに所属しないと不安なのもひとつ寂しさが関係しているように思う。

それに独り暮らしって単純にコスパが悪いから、生活の余裕がなくなる。きっとファイナンシャルプランナーは独り暮らしをお勧めしてこない。給料は上がらないし、都会の家賃は高いし。いったん時間取って、お金の計算しよう。実家暮らしと独り暮らしの経済的余裕の差にビビった方がいい。飛ぶぞ笑

常識ってやつは疑ってるとだいたいボロボロに崩れる。

今の変は昔の普通、君の普通は僕の変

お金なんて案外なくても、人付き合いで人間は生きていける。逆に人付き合いを面倒くさがるとお金がどんどん必要になる。

優しいおせっかい人間たち

無所属になって気づいたのが、思ったよりもずっとこの国の人たちは、誰かの死を見るのがいやで、親しい人でもそうでない人でも、ほっといたら死んでしまう人を助けたいと多くの人が無意識に思っている。

痴呆で道路に飛び出しちゃいそうなおじいちゃん、熱中症で倒れてしまったお姉さん、車に放置されている赤ちゃん。そんな人たちは誰が言わずとも、助ける人が必ずいる。死というものに直面するのが自分でも他人でも怖いんだ。僕らは。助けられた命を見殺しにしたら良心の呵責に苛まれるように進化してきたんだ。優しいじゃんか。人間。

当たり前だ!

それがどういう理由や流れであろうと、

目の前で理不尽な死に抱かれかけた者がいたならば、

極東の住人は必ず救いたいと思う!

理不尽な死をかざされた者に対し、死ねばいいなどと、

そんな言葉を信じるように生きてきた憶えはない!

境界線上のホライゾン かっこいいモブ

だから当然だけど無所属も死なない。もし所属先で死にたくなったらバンジーのつもりでいったん無所属になってみるといい。あれ、全然死なない。おかしいな?て気持ちになる。あれほどバンジーだと思ってた無所属の景色から見上げた空は笑えるほど明るい。暗い奈落の底に落ちるかと思ったらフカフカマットが敷いてあって、どこにも落ちてもいなくて拍子抜けする。

無所属になったとき、人間は周りを気にせず心の底から笑える。だって無所属は気にしてた周り(所属先)を無くした状態なのだ。

無職ニッコニコでワロタ

一億2000万人近いおせっかいがいる。そりゃ簡単に死ねない。僕自身休職してみて、社会保障を調べて、実際に使ってはっきりした。幸町にあるハローワークにも行ってみたし、多くの人が普通に利用している公共施設と変わらないところだった。「千葉高生?(前会社名)?笑 正直、君みたいな若者が来るところじゃないよ?今若い人たちはネットで求人探せるしさ笑 それより…」みたいなことを笑いながら窓口のおじいちゃんが雑談してくれた。この国のセーフティネットは十分に機能している。本当に死にそうな顔の奴に、同僚も、先輩も、上司も、医師も、人事も、労務も、公務員も、親も、友達も、みんな親切だ。心無い言葉をかけてきた人なんていなかった。

元も子もない言い方だけど、昨今ハラスメントハラスメント騒がれている世の中で本当に死にそうな顔をしているやつに面と向かって非難できるやばいやつはなかなかいない。安心しよう。みんな優しくなる。こーゆう顔すれば休ませてもらえる優しい世の中だ(´・ω・`)モウムリポ…

無所属は悪じゃないし最高だ

死なないし、非難もされないとわかったら、多少自由に生きたっていっか。という気持ちになってくる。安心するほんと。心が軽くなる。

良い子演じて、誰かからの期待に応えすぎていることに気づける。

自立してカッコつけて生きてたつもりが、実は子供の頃の自分から見たらダサい生き方をしてたことに気づける。

弱ェと言われてとりみだす奴ァ 自分で弱ェと認めてる証拠だ

 ONE PIECE ドン・クリーク

社会に出てからの肩書きなんてものはその人の人間性やその人の強さを測定するにはあまりにもあてにならない。意味もあまりない。逆に意味がないから好きな肩書を名乗ればいい。日によって変えたって良い。アイデンティティは自分で選ぶ権利がある。

多少泥臭いほうが人間味があって愛嬌があるし、なんか人から応援してもらえる。

エレカシの曲が似合うカッコいい漢にもなれる。

労働でへとへとになってる人間は一年くらい平気で無所属になったっていい。会社だって学校だって休んでいい。どれも無数にある所属先の一つにすぎない。所属先が合わないなら所属先から抜ければいい。僕は無所属という人生の準備期間をなんなら何回も若いうちに作って良いと思う。人生のチェックポイントを作って、目指すゴールをそのたびに確認して、道を間違えたら引き返す。そして自分で手に入れた暇な時間でもう少し自分の人生の最優先事項についてのんびり考える。お宝を手に入れる計画でも立てる。

会社辞めたくて転職とか考えてる人は、一年二年くらい遊べる貯金があるなら、人生の休養をとろう。

どうせこの国の20代の人なんて貯金なんて微々たるもので生活してるのがこの国の悲しきかな現状なんだし笑 暇な人はこの国の年代別の貯蓄中央値でも眺めよう。笑えてくる。

労働が嫌で辞めるのに、間髪入れず労働するのはやめれ。

無所属という自由を存分に楽しんで、蓄積した精神ダメージを0にして、次の人生の歩き方をコーヒー片手にお菓子をたべながら決めたっていいじゃんか。HPはフルに回復してから次の迷宮攻略に進んだ方がまたすぐ戦闘不能にならなくて済むし、迷宮の攻略方法の下調べも念入りにできる。

会社を辞めることを決めて、例のnoteを書いたあと、僕は久々に千秋祭に行った。そこで、部活で有名なOBのYさんに遭遇したので、こんな雑談をした。
僕「いや~。ぼく今度会社辞めるんですよ~。」
Yさん「どれくらい続けた会社ですか??」
僕「3年いかないくらいですかね~」
Yさん「いやあ、はやかわさん!甘いですね。僕は3か月!!」(新卒の会社)
僕「さすがですw」
Yさん「転職は…5回!!!しかも、一つは今超有名なとこ!〇ッグモーター!!ww」
僕「まじですかw…千葉高生集めて会社でも起こしてみようかなって思ってて。」
Yさん「いいですね。千葉高生はそうでなくちゃ。僕の同期でもいますよ。それこそ千葉中央でソフトウェアの会社やってて…」
(中略)
Yさん「やっぱ、千葉高は変な人間を社会に送り出す場じゃないといけないと思うんですよ、普通の人ばっかじゃ面白くなくなっちゃうでしょ?」

あの時のなんでもない会話に僕は勝手に助かりました。本当にありがとうございました。

変な千葉高OBに救われた話

きみが勝手に1人で助かるだけだよ、お嬢ちゃん

化物語(上)ひたぎクラブ 忍野メメ


あとがき

正直この文章、苦しんでるやつに運よく助かったやつがおこがましいだの、無職が好き勝手言ってくれちゃってだの、労働者に配慮が欠ける妄言だの、享楽的妄言!無職の戯言!と非難轟轟もいいところかもなーとちょっと思って書いている。

わはは。

戯言でいいんだ。別に。千葉高生で集まるときの飲み会の話のネタにでもしよう。

こんなこと言ってる変な千葉高生がいるってことを知ることが、この先なにかの役に立つかもしれない。

年収カードバトルで今確実に勝てる格下最弱千葉高生がここに1人いると思ったら気がラクになるやつもいるかもしれない。

休職を考えてて、休職経験者の話を聞きたいやつがいるかもしれない。一緒にお酒飲みながら会社の悪口カードバトルしよう笑

(実は前のブログを読んだ休職経験のある千葉高生が何人も飲みに誘ってくれて、彼らは今の飲み友だったり、アカデメイアで一緒に楽しい企てをしてる仲間だったり。無職になってから、千葉高生たちとの不思議な偶然の縁が生まれて、完全に僕の変な人生の第二幕が始まっている。)

もし今所属している会社、大学、部活、バイト先が辛く苦しくて、昔の僕と同じような千葉高生は、考えるときのヒントにでもしてほしい。

というのもまだおこがましいな。きっとこの文章は、読んでくれてる君に宛ててというより昔の自分に宛てて書いている。未来の自分は今こんな感じ。なんかもう、めちゃくちゃ面白いことになってるから、ウダウダ言ってないで、さっさと休職して無職になれ、ってタイムマシンがあったら言うんだろうな。相当クレイジーだな。なんやこいつってなりそう。

心の声

真面目な変人はどこか似たような特性を持ってたりするから。似た人間の思考を覗くことは哲学的な問題の結論を導く良いヒントになる。

僕の文章より故水谷先生のブログの方がためになる。自主自律自由と責任について美しく簡潔にまとめられている。流石千葉高教鞭を取られた先生が書く文章だからみんなに読んでほしい。きっと千葉高生として誇りを持てるから。これも僕が休職中に勇気づけられたものの一つだし、千葉高アカデメイアにはここに書かれた千葉高教育の理念や理想がちりばめられている。

無所属は所属してないから発言も所属先に気を遣う必要がない。誰かに怒られることもない。戯言も無所属の特権だ。

世間が、親が、お金が、恥が、っていう感情、脳にブチ刺さる針は簡単に抜けないかもしれない。ただそんなものより、本当につらいときは自分の命や人生(時間)をちゃんと大切にしてほしい。僕が苦しい時期に助けてくれたのは、千葉高の友人たちで、背中を押ししてくれたのは、声をかけてくれたOB、いいねを押してくれた、リプライをくれた君たち。他でもない千葉高生諸君なんだ。
そうは言っても。。。ていう人がそりゃ多数だと思う。僕も仕事してたらそう思う。
ナナヲアカリの「完全放棄宣言」聞きながら
「そうは言っても放棄できないんだよなぁ。。。」と思いながらトボトボ毎日通勤していた。

辞める決断や自分の人生に責任を持てたのは君たちのおかげだから恩は必ず返したい。今が辛く苦しい千葉高生がいたら、身体を蝕む前に僕は全員に1人で勝手に助かってほしい

実はその恩返しに、アカデメイアの活動もちゃんと関係している。会社を辞めたい千葉高生にはこれから起業部が大きくしてくれるであろう会社に入ってもらったり、やりたいことで起業して千葉高仲間同士と最高にcrazyで楽しい働き方をしてもらえばいい。大学でしたかった学問ができなくて困ってる千葉高生は学問探究の場所アカデメイアで心ゆくまで学問を追求してほしい。

そんな変に見えるけど、バカ真面目な人間のための真っ当な選択肢をこの世界に作りたい。

それに僕だって起業部のメンバーと一緒にはやく会社やアカデメイアを大きくして、将来自分が辞めた会社の社長のとこにふざけたかっこでお礼参りをしたい笑(勿論そんな度胸はないし、そのためにはとりあえず日本で時価総額一位くらいにはならないと無理なのだけども)

もし今楽しい所属先をお探しの方は、千葉高生なら誰でも入れる千葉高アカデメイアを自信を持っておすすめする。

会社、大学、高校名なんて気にする必要ない、だってそこには「千葉高生」しかいない。
僕が千葉高卒業生を千葉高生と呼ぶ所以はそこにある。千葉高を卒業したって「千葉高生」でいいだろ。世間に合わせて自分のアイデンティティを現在の所属に合わせる必要性はない。

別に千葉高アカデメイアでなくても、社会の苦しさを癒せる君にとってのアカデメイアがあればそれでいい。

(当然今が辛くなくても、楽しいことが好きな人大歓迎。今度、居酒屋倶楽部なるものができるらしい。千葉高生で宴をしよう笑)

正直、今社会はバカ真面目なやつには生きづらい世界だと思う。もしアカデメイアの活動が社会で戦う千葉高生たちの一助になれば嬉しいし、何より似た者同士の仲間内でやりたかったことをやるのは本当に自由で楽しいから迷わず遊びに来て欲しい。

やりたかったことがあるなら今すぐやってみよう。
僕らの千葉高アカデメイアはそのための場所だ。いつでもお待ちしてる。

心の声


以上。

千葉高生よ、人生一度は無所属たれ。


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