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火事にあっても、大丈夫って笑えるように。

 家が火事にあった、という方から時おりご連絡をいただきます。noteの記事へのメッセージだったり、Twitterへのリプライだったり。何もできることはありませんが、丁寧に返信を書き、ひとつのことを伝えます。

 「火事は人生の一大事。ためらうことなく人に助けてもらってください」

 ご連絡をいただくのは、火事にあった直後のタイミングがほとんどです。家を失い、家財を失い、最悪の場合は親しい人を失う。火事に会うということは、それまでの「変わらない日常」が突然終わり、思いがけない「非日常」に否応なしに叩き込まれることなのです。

 そのことを自覚するのは、火事にあったその日の終わり。消防、警察からの聞き取り、各所への連絡、宿の確保などに、ずっとふりまわされつづけます。そんな怒涛の1日を終えて、ぽつんとひとりになった時に初めて、この先の不安が襲ってきます。自分もそうだったからよくわかります。燃えた家はどうなるのか、保険は下りるのか、これからどこに住めばいいのか。

 あの日、ぼくはネットの海をあてどなくさまよいました。しかし有益な情報は極めてかぎられています。当事者による経験談もほとんどありません。

 だからぼくは、いつか誰かのためになると思い、「家が火事になりました」を書き始めました。

 火事から1年がすぎ、家の再建が無事おわりました。課題がないわけではないけれど、ようやく次のスタートをきれる感覚があります。その一方で、火事にあった方からメッセージをいただくたびに、ずっと感じたきた「やましさ」と折り合いをつけたいと思うようになりました。

 自分が助けられたように、人を助けることはできないだろうか。

 火事の大変さは、最初の1ヶ月間に凝縮されます。避難的に住む場所を探す。服や食器、ランドセルからテレビまで日用品を入手する。燃えた家の大量のゴミの廃棄。家の建て直しの手続き。保険の手続きなどなど、一気に押し寄せてきます。

 そんな時、ぼくには、支えてくれた人が沢山いました。今思えば、火事のあと、いくつかの分岐点がありました。ひょっとすると致命的なつまづきをしていたかもしれません。しかしぼくには支えがあった。だからこその今がある、と思っています。

 火事になったことを人に話すには、まだまだ抵抗があります。

  この国で1年間におきる火災は、全国でおよそ3万7千件。そのうち住宅火災は1万件ほどだといいます。つまり1日に平均27件の住宅火災が全国のどこかで起きています。しかしなかなか自分の経験を語る人はいません。自分は何も悪くなくても、どこか後ろ暗い気持ちになります。ゆえに火事にあった人たちは、助けての声をあげられず、十分な支援を受けられないことも多いです。

 そんな状況を変えていきたいです。困っている人に、ちゃんと救いの手が差し伸べれらるような仕組みをつくりたいです。もう少し自分に何ができるか、考えてみます。そして近いうちに動き出したいと思っています。そのときは力を貸してください。

 火事があっても、大丈夫って笑えるように。


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