どこにもいかない正月。
今年のお正月は、どこにもいかない。帰省もしないし、旅行にでかけることも、繁華街にでかけることも極力しない。こんな静かなお正月は初めてかもしれない、と思いながら、そもそもお正月ってこんなものだったかもしれないとも思う。
子どもの頃、お正月といえば家にいた。家業が玩具屋でお正月は稼ぎ時、両親はずっと働いていた。近所でゲイラカイト(すごい名前だなぁ)をあげて遊んだり、お笑い番組をみたりしてだらだらすごしていた。ゲイラカイトといえば、だいたい最後は、電線にひっかかり取れなくなって、しょんぼりと家に帰って、親に叱られてまた落ち込む、みたいなのが定番だった。
そもそも子どもの頃、お正月にあいているお店は稀だった。三が日はデパートも基本はおやすみだった。だからどこに行くでもなく、わりとみんな家にいて、家族とのんびり過ごしていた。
今年は特別な正月だというが、近所を散歩して思い出した。キンと冷えた空気、青く晴れわたる空、そして静寂がお正月だった。
今年は、その静かなお正月を満喫しようと決めた。家にいてのんびりと過ごす。箱根駅伝を横目でみながら、おせちをつまんだり。
散歩にでかけたついでに、近所の不動尊に立ち寄った。いつものお正月はきっと賑わうのだろうけれど、参拝客はほとんどいない。凛とした空気が境内に満ちている。ぼんやりとした灯りに誘われて、御神籤をひいてみる。そのあいだも誰も訪れない。
近所を散歩をするなら、宵の口がおすすめ。日没の前後は光が刻々とかわっていき、いつもの場所が特別な風景にかわる。普段は忙しさのなかで余裕がないかもしれないが、目を凝らしてみると、短い時間だけ美しい世界が出現する。
僕らは、非日常を日常として生きるようになった。人生にとって何が大切なのかを改めて考えるようになった。東京にいるとずっと喧騒に晒されている。お店は音楽をかけて、安売りの呼び込みをしてきる。けたたましい音で街宣車が通り過ぎる。人々は我先にと道をゆき、いたるところに行列ができる。そんな東京で”静寂”を感じることは難しい。
繁華街とか観光地じゃなくても、心を動かされるものは沢山ある。近所を歩いて静寂のお正月を楽しんでみるのも悪くない。
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