卒論にて 葦津 珍彦という人物の研究をした時の思い出話。
ごきげんよう。
突然ですが、葦津 珍彦(あしづ うづひこ) という方をご存じでしょうか?
卒業から年月を経てしまいましたが、神道系大學・卒業論文にて研究対象となった方でした。
葦津 珍彦氏についての研究は、卒論提出後から止まっています。
卒業後は、長年勤めていた&御縁のあった旧助勤先の神社で必要となった、実務関連の自習・祭式作法の自主練習などの勉強で精一杯の日々で、古株となっていた旧助勤先神社にて用いたい助勤者用の写真付きマニュアル集や、自習用の関連資料を作成するなどをして年月が流れておりましたが、時間に余裕が出てきましたので、個人的思い出話となってしまいますが、研究範囲内のお話を連載して行こうと思います。
葦津氏はどのような方なのかを端的に申しあげますと、思想家です。
現在でも一般的知名度は低い方ではございますが、先の大戦中・後の神道史でお名前が登場する方でして、神社界・神道関係者内では知名度は高く、主に近現代の神道史・日本思想史関連などで著書論文や思想などについて研究対象となる事が多い方で、近年では注目がかなり集まっていると後輩から聞いております。
明治・大正・昭和・平成の時代を生き、主に昭和の動乱期における言論・思想戦にて、保守の立場から独自の視点による論文を執筆。昭和初期より父の保守言論活動に協力して、軍人・政治家や役人、諸活動家などに直接語りかけるなどして政治政策に関する言論活動を行ったり、戦中は東条英機内閣の政策に対して非難する運動を行い、戦後には当時経営していた会社を解散して神道・神社を防衛するための言論活動をされ、伝統文化を護るために身銭を切って諸設備や諸団体を設立するなど、日本の伝統文化や精神を護るため、ペンを武器に闘い抜いた秀才でございます。
また、昭和21(1946)年に設立された「神社本庁※」設立の立役者と言っても過言ではない人物であり、神社界の機関紙である「神社新報」新聞創刊時には、依頼により最初の主筆※として筆を取り、神道ジャーナリストとして「神道の弁護士」「神道の防衛者」の立場からの保守言論活動や関係者へ指導されるなど、戦後の神社界に多大な影響を与えた事で有名な方でございます。
私が葦津 珍彦氏の研究をするきっかけとなりましたのは、在学当時復学した3年次、事前に希望していた指導教員が退任され、同時にゼミのシステムも変わっていて、担当指導教員も初対面の新米さんとなったことから、本来のテーマ研究が行き詰まってしまった事がはじまりでした。
悩んだ結果、大學生活最後の締めとなり、個人的には最初で最後となるであろう学術論文は、自身にとって有意義となる内容を書きたいと思い、いっそのこと研究テーマを変えてしまおうと、以前から気になっていた「葦津 珍彦氏が神道ジャーナリストとして活動される以前は、どのような活動をされていたのか」についての不明点を調べてまとめてみることにしました。
葦津氏のことが気になったきっかけとなりましたのは、前テーマ研究時に手にした機関誌『神道宗教』の特集号に掲載されていた、葦津 珍彦氏の著書「考へたい諸条件」(『神道宗教』第37号 神道宗教学会、昭和39年)という論文との出会いでした。
この特集号のテーマは「神道とはなにか」だったと記憶します。
「神道とは…」について、学者方は最後に結論を述べているのに対し、
葦津氏は最初に明確な回答を述べてから諸説明をしているところに目が止まり、知的で説得力のある文章に心惹かれて、その論文をコピーしたことがきっかけとなりました(今でもその論文は持っています)その時は、お名前の読み方がわからず「あしつちんひこ…さん?」と読んでしまいました…
(神社関係者のお名前の読み方は難しいことが多いのですが、神道の勉強をしていると意味の深いお名前だと理解することが多々あります)
当時は、私が人物の研究をするなど思ってもいませんでしたが、研究テーマを変えるとなると、興味と熱意を持って短期間で調べてまとめられそうな内容はこちらしか思い浮かばなかったので、結果としてはご縁だったのかも知れません。
研究テーマを変えたのは、3年次の10月末頃。
論文提出までの期間は約1年3カ月。当時は学術的先行研究なし。
2年間休学していたブランクあり&治療中でリハビリ的通学中。
(退学はしたくなかったのでムリして復学しました)
という事もあって、個人的にはかなりハードな研究となるだろうとは思いましたが、どうしても知りたい内容については、在学中でないと諸資料を集めることは難しいだろうと思ったので決意いたしました。
研究テーマは「昭和初期の葦津 珍彦の活動について」(まとめていくうちにこの表題になりました)
テーマ変更後、葦津 珍彦氏の人物像について、公表されている論文・書籍を検索して(当時は大学図書館ネット検索システムが始まったばかりの開発中)手当たり次第拝読しましたが、当時関係した方々が葦津氏について語られている内容は言葉が重く、他にも葦津氏と関係されていた多くの人物のお名前が登場いたします。
大學に入学してから神道の勉強を始めた初学者からすると、歴史等諸々の知識不足が多々あるため、一読しても諸内容等を理解することはとても難しく、また、葦津氏個人をより知る上での資料も自身が理解する上では希少で、どこまで集められるのかもわからない状態となり、まとめ上げるのに相当苦労することを自覚いたしました。
個人的には、このような思想・言論戦を闘う上では、防衛的理由から個人情報を公表しない事は当然だと思っているので、仕方のない事だとは思っておりましたが、直接関係した方々の葦津氏に関する論文を読むと、なんだか穏やかでない文言があったり、なぜだか、ほとんどの方が理解に苦しんでおられて、その理由もいまいちよくわかりませんでした。
その理由がわかる内容として、葦津氏と交際があり教示をうけていた、
阪本 是丸(さかもと これまる)氏[國學院大學名誉教授]が
『葦津 珍彦選集 第1巻』(平成8年刊行/全3巻)の「解説」内で述べられている、一論文を挙げてみようと思います。
また、阪本氏は、神社新報社編『次代へつなぐ 葦津 珍彦の精神と思想-生誕百年・没後二十年を記念して-』(こちらの本は、卒論提出間近辺りに刊行されました)の中で、
と述べられております。
正直な話、知識が乏しい浅学な私からすると、この一文を読むだけでも、
葦津氏について、なぜ、このような論評が出ているのかがよくわかりませんでした。
また、敗戦後に神道防衛論を論じ続けた経緯についても、それ以前の葦津氏の経歴についてもよくわからず謎は深まるばかりで、葦津氏個人について語られた論文を読めば読むほど、私と葦津氏関係者との間での温度差の激しさを実感するばかりなので、これは難儀なことだと思い、自分で独学的に調べて行こうと思うようになりました。
理由は、本来の専門的研究分野ではないテーマでもあり、関係者や関係した教授方からお話を伺うなどをしますと、思考的影響を受ける可能性もあり、自分で思考した言葉で葦津 珍彦氏を語れなくなってしまうと思ったからです。
以上のような経緯を経た結果、
葦津氏と関係した教授方とは接触はせず、独学的に資料を集めてまとめる決意をした次第でございます。
さて、葦津 珍彦氏についての資料集め検索をしていくうちに、御子息の葦津 泰國氏が出版・発行されている書籍『「昭和を読もう」葦津 珍彦の主張シリーズ(全6巻)』をネットで知りました。
当時は、葦津事務所という出版社を開設されていて(現在は閉所されているようです)HPにて書籍注文受付をしていたので、個人的な話が多く掲載されている『シリーズ6 昭和史を生きて 神国の民の心』の注文と共に、直接メールにて研究の旨のご連絡をいたしたところ、資料提供のご快諾をいただきました。
この時に泰國氏から頂いたメールで印象に残っていることは、「全6巻あるシリーズの中で、なぜ、この1冊を選んだのか。」と問われたことでした。
当時は、なぜこのような質問をされるのかもよくわからなかった莫迦者でした(今でも変わらず)が、今となって考えてみますと、当時は葦津 珍彦氏の個人的な部分にのみ興味を持って調べようとする人は希少だったのだろうと思っております。
そして、鎌倉にある御自宅へ訪問。
葦津家の神棚・祖霊舎の御前にて、自己紹介と研究させていただく旨をご奉告いたしました後に、奥様のいれてくださったお茶を頂きつつ泰國氏よりお話を伺い、ご用意してくださった非公表資料などを拝借しまして、本格的な研究がはじまりました。
また、時間も無く理解不足なため、とりあえずの提出だけと雑にまとめてしまった中間レポートを、失礼ながら泰國氏にお読み頂きご指摘を受けたことを踏まえて、当時の自分なりに失礼が無いよう納得のいく内容のまとめを全力で書き上げて、無事に提出する事ができました。
卒業後、提出したものと同じ体裁で「あとがき」を加えた論文を墓前にお供えいたしまして、研究終了のご奉告をさせて頂きました。
墓参後、卒業祝いとして美味しいお酒とお食事をご馳走になり、お別れする際に泰國氏に論文を贈呈いたしました。その節は葦津 泰國氏には大変お世話になりました。ありがとうございました。
そして、泰國氏へ論文贈呈後に燃え尽きてしまい、1年以上は本を読まない日々を送りました(苦笑)
自宅にも、個人的記念として当時の同体裁論文を保管しているのですが、改めて読み返してみますと、同じ熱量を持って同じ内容の文章を書く気にはなれず、過去の自分よく頑張ったなあと思ってしまいます。
論文の主な内容は以下の通りになります。
今後は、以上の論文の内容のお話を手元にある資料を読み直し、初見の方にもわかりやすい内容になるよう、資料も増やしながら少しずつ加筆投稿していこうと思っております。
以上。ご拝読いただきありがとうございました。拝