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「A HAMLET 二期工事エピソード⑨生き物としての人間が暮らし、生き物のように変わり続けるであろう集落」

エピソード⑧からの続きね。

おそらく、これがラストの章になると思う。

もしかしたら、物件紹介文なるものをオープンハウスの後に書くかもしれないけれど。

いきます。

写真は9月10日分。

今回のタイトルは「生き物としての人間が暮らし、生き物のように変わり続けるであろう集落」だ。

このプロジェクトのきっかけとなったのは、50年前の一枚の写真。

「どこのまちも同じ顔にされてしまう現代では数少なくなりつつある、今のこのまちの美しい風景を残す事だけでなく、ただ、今の風景に未来への想いを込めるのではなく、50年前と未来を掛け合わせたような世界観を描けないだろうか?」

できるだけ、手がかからないようにと、建物の外壁にはメンテナンスフリーの素材を上貼りして、内装には、安価だからと、クロスやフェイクのフローリングを貼る。まちにある木や植栽などの緑は管理が大変だからと伐採、舗装していない地面は水が溜まったり、使い勝手が悪いからとコンクリートを打つ。

そうして、どのまちも同じような顔になっていく。

そもそも、建物もまちも緑も人も手がかかるもので、変わり続けるものだし、常にアップデートし続けるべきもの。まずは、そのコトを再確認しなければいけないのだと思う。

一見、時代に取り残されたように見えるかもしれないまち。見る人によれば、ここは、未来になりきれていないまちに見えるのかもしれない。

多くの人が見慣れたまちと比べると、ある種、独特な空気を醸し出しているように見えるのかもしれない。

でも、そこには、実にシンプルで素朴な人間模様があって、むしろ、マンションや新興住宅街よりも人間らしい暮らしが営まれているように見える。

生き物としての人間らしさって何だっけ?

時代に取り残されたように見えるかもしれないまち、そして、そこに住む人たちは、僕らに何かのメッセージをくれているように思う。

そのまま進んでいっていいのかい?

よく言われている話だが、今のまま未来へ進んでいくと、一部のお金持ちのみが住むまちとその他大勢が暮らすまちが生まれる、今よりも極端な二極化の世界になる可能性が高い。これまで以上の貧富の差。価値観の差。

所謂、映画や漫画、ゲームの世界で描かれて来たユートピアとディストピアの世界が訪れる気がしてならない。

では、今、生きている僕らには何ができるのか?

未来で、その他大勢が暮らすであろう貧のまち。

それは、きっと、僕らや僕らの子孫も例外ではない。

だったら、憧れの手の届かない世界の話をするより、今から、ディストピアになってしまうかもしれないまちを生き物としての人間が暮らしやすいまちにしていく方法を模索していけばいいのではないか?

バブルの波に乗れずに、周回遅れに見えるかもしれないまちに、今を生きる僕らが持っていない、たくさんのヒントや小さな希望の芽が埋もれているような気がしている。

今は、多くの人が良くないと思ってしまっているかもしれない場所でこそ、本当の意味で、人間が人間らしく暮らせる場所が作れるのかもしれないと思っている。

それこそが、地に足をつけた理想の未来ではないか?

過去と未来、今の住民と新しい住民、古いものと新しいもの、汚いと言われるものとキレイと言われるもの、田舎と都会、生き方の価値観の違いなどをクロスオーバーさせ、今の当たり前やセオリー、常識を疑い、常に今の最善を探り、生きる人たちが集まるまち。

そして、生き物としての人間が暮らし、生き物のように変わり続けるであろう集落。

そんな集落をあなたと共に描きたいんだ。

photo by @photoyuki

2022,09,10 A HAMLET 
photo by @photoyuki
2022,09,10 A HAMLET photo by @photoyuki
2022,09,10 A HAMLET photo by @photoyuki
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2022,09,10 A HAMLET photo by @photoyuki
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2022,09,10 A HAMLET photo by @photoyuki
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