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【想い】紙とペン、パソコン、私の中の何か

自分の中から生まれる文章を私は「創作」と呼んでいる。

少女小説家を目指していた頃はもちろん小説を書くことを創作と呼んでいたし、今こうやってnoteで文章を書くことも、私の中では創作だ。

極端な話、紙とペンさえあれば創作はできる。

実際、小学生の私はノートに鉛筆で小説を書き、友達に読んでもらっていた。
同じく本が好きで書くことも好きという友達とは、1ページずつ交代で書くリレー小説などもやっていた。

紙とペンさえあれば、どんな世界も思い通り描ける。
異世界だってなんのその、どんな外見のキャラクターだって思うまま。

難点は、紙とペンだと書き直しが難しいこと。

才能がある人は書き直しなんてしなくてもすらすら書いていけるのかもしれないけど、私にはできない。

そんなわけで、話を考えるのは紙とペン、実際に書くのはパソコン(始まりはワープロ)になった。

パソコンも、キーボードの文字が消えてなくなるくらい使った。
最終的に画面が真っ暗で起動しなくなり、寿命を全うするまで使い倒した。
そのくらい、今はパソコンも必須。

それ以外にももちろん、ネットがあったほうが調べ物もラクだし、発表の場も広がる、だから20年以上前からネット環境は整えていた。
その頃は今ほどネット環境が整備されていなかったし、スマホなんてなかったから、今は本当に便利な時代になったなぁと思う。

書くものに合わせて本を読んだりすることもあるから、本も必須。
直接繋がらなくても興味があるものは目を通したい。でも全部買うのは無理だから図書館を利用したり、古本屋に行ったりもする。
なにげなく見ていたテレビなどの情報からヒントを得ることもあるから、SNSなどのメディアもチェックする。

書く作業としては、紙、ペン、パソコン(ネット環境)、本があればできると思う。

でも、私はこれがなければ創作できない。

アイデアを得てすぐだったり、あるいは何年もかけて熟成された「私の中の何か」が、もっとも必要なアイテムだ。

これがなければ、そもそも創作しようなどと思わない。
私の中の何かが溢れるとき、初めて紙やペン、パソコンを使って文字という形を取り、やがて文章として綴られていく。

日々、いろいろな刺激を受け、それによって思考し、少しずつ蓄積されていく「何か」。
同じものでも人それぞれ、環境や生き方で受け取り方はまったく違う。
似たような感じ方はあっても、完全に一致することはきっとないはず。

ただ生きているだけで、毎日のように私の中に無意識に「何か」が蓄積され、やがて何かの拍子で創作されていく。

見えない「何か」が、私の創作を支えている。
生きている限り絶対になくなることがない、「何か」。

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「面倒くさい」が口癖のアラフォー主婦。節約・時短・効率化で小さな暮らしを目指す1児の母。人生最後のダイエット中。家事・育児・暮らしのことな…

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