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日光道中・奥州道中 その7「芭蕉詠み 狸は食べる 魚の目や (千住大橋~千住宿)」

 千住大橋で隅田川(荒川)を渡ります。

足立区側の案内板
かつての千住大橋の木杭が今も水中に残されているそうです

 そして、川沿いの広場でひときわ目を引く大きな地図。

この画像を撮ったときは気づきませんでしたが、あらためて見ると、奥州道中などの主要街道をそのままたどったわけではないようです。

 

右側の旧道に向かい、微妙に膨らんだ歩道が街道跡を思わせます。

 千住大橋から街道に戻ります。
 この交差点で、車線の多い左側の国道と別れ、右側の旧街道に入って千住宿を進みます。

 ここから、いざ旧道へ!というところで、右側に気になる看板が見えてきました。

足立市場(あだちしじょう)
定休日は日曜などです

 中央卸売市場の一つ・現在は水産物を取り扱う「足立市場」です。
 市場のサイトや足立区のサイトによると、戦国時代の頃からの歴史を持ち、江戸時代には、神田・駒込と並ぶ「江戸三大市場」に数えられ、青物(青果類)の取引で賑わったそうです。
 そして、取扱量が増加した昭和後期に、青果部門が北足立市場に移され、水産物を扱う市場となり現在に至っています。
 

お魚の看板が目印の水産物市場です


市場の美味しいお魚も味わえるかな♪
食堂は一般客も利用できます
土曜の午前中などに入ることができます

 市場から街道に戻ります。
 先ほどの交差点の、右側に伸びる旧道です。
 

 そして、ここにも旅立つ芭蕉。
 看板の語りをお楽しみにしつつ、旧日光道中を歩きましょう。

看板の 語り楽しや 日光路



2015年当時は、筆を持ち、句を書き留めようとしていた芭蕉翁
俳聖は 筆を選ぶや 選ばずや
まだ句は書き留められていません・・・
あら、筆は?

 

2017年には、筆がなくなっていました・・・。
「筆を選ばず」を通り越して、筆がなくとも、浮かんだ句を心に刻み留める境地に達したのでしょうか・・・(大嘘)

 ここからの街道沿いには、手書きのような案内板もいくつかあり、まさに「看板の語りを楽しみつつ」歩くことができます。

問屋の「セリ」の掛け声が由来といわれる「やっちゃ場」
近隣の神社に、1906年(明治三十三年)建立の「足立青物市場創立三百三十年祭記念碑」があるそうで、そこから計算すると創立は1576年、小田原の北条氏が武蔵国を勢力下としていた戦国時代の天正四年頃に遡ります。


千住大橋から、千住宿の宿場町の一つ「掃部宿」へと向かう街道沿い
古くからの帳面が残され、代々の取扱商品や得意先などが今に伝わります

 案内板の並ぶ街並みを眺めつつ進むと、蔵が見えてきました。

鮎の子の 白魚送る 別れ哉(かな) 
旅立つ芭蕉を見送る門弟との別れを詠んだ句という説があります

 かつての千住宿に建てられていた、紙問屋の蔵を解体移築された「千住宿歴史プチテラス」です。
 内部はギャラリーのようになっており、土日は千住宿や「やっちゃ場」に関する展示が行われることが多いようです。 


昭和五年 千住市場 問屋配置図
街道沿いの案内板です
今は姿を消した店舗も記載されている古地図です


2017年 街道沿いの「元お酒や」
今は姿を変えたコンビニも写り込む古写真です・・・。


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