高校魅力化プロジェクトのはじまり

今から3年ほど前のお話。
当時の出来事を記録をもとに改めて振り返ることで、魅力化プロジェクトを進めるひとつの事例物語としてまとめてみよう、というステイホームキッカケ。

ただ完全に自身の実体験をベースにしたものであり学術的な裏付けがあるわけでもないし、全地域に転用可能な要素があるかどうかもわからない。けれど、出来るだけ具体的な事実の記録だけに留まらず、その出来事から読み取れることを抽象化し、転用可能な情報に落とし込むことも意識していきたい。(1枚ペラの資料に落とし込んだりしてみよう)

また、最先端の教育の話ではありません。中山間地域、いわゆる田舎での体験記をもとにしているので基礎中の基礎であったり、今の情報社会に即していないことかもしれません。書店にある本、有名サイトに載っている記事のように体系的にはなっていないし、理論的につづれるわけではありません。

しかしその地域の、そしてそこにいる生徒の皆さんと泥臭く、血生臭いリアルな時間の記録なので、もしかしたら「あ〜、あるある」という現場の皆さんに届きやすいかもしれません。

ーーーーー はじめに ーーーーーーー

舞台は新潟県阿賀町。
人口1万人ちょっと。町が統合され、県内では3番目の大きさ。

市内から車で1時間30分ほど。
隣に大きな川を眺めながら運転していくと、途中には猿が小猿を抱えて道路を横断するなんて光景も。

そんな町には、高校(県立)がひとつしかない。名前は黎明高校。
(黎明:新しい事柄が始まろうとすること、めちゃいい言葉)

少子高齢化の影響や進学率の低下などもあり入学者数が少なくなってきている。そうなってくると、町内の中学3年生たちは電車で1時間ほどの隣町の高校や、もっと遠い市内の高校へ進学するようになる。

アクセス的には町内の県立高校が便利(中学校から歩いて10分もかからない距離)だけれど、保護者は進学率、そうでなければ資格取得や就職に有利になる独自授業を求め、中学生本人としては好きな部活ができるかどうか、を志望校選び求めていることが多い。

入学者数の減少に伴い、上記のニーズを満たすことが出来なくなり入学者が減るちいった、以下のようなスパイラルば回ることになる。

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町外高校への進学が増えると、負のスパイラルがさらに加速する。
●高校進学を機に家族単位での転出が増える
●転出が増えると、町の人口・税収入にも影響が出てくる
●転出しなかったとしても、長時間の通学の関係で自分の故郷での時間が少なくなり、関心・愛着の度合いが低くなる原因になるetc

つまり、このような中山間地域の教育問題は高校存続だけでなく教育行政にも、さらには教育とは分野の違う町の税収入の問題にも関係する、つまり町の未来に関係する、ということになる。

高校の存続は、町の存続に大きく関係している。

そんな中、この町では高校と連携して「魅力化プロジェクト」という事業をスタートさせた。
初期の取り組みは、都市部と比べ進学塾や家庭教師などが少ない場所でも、生徒一人一人が「なりたい自分」を見つけ、その進路を実現していくための学びの場をつくることだ。その施設をここでは「公営塾」と呼ぶ。

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(高校の目の前にあった未使用施設を改装して環境整備した公営塾)

この町が公営塾設立に込めた想いはこうだ。

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 阿賀町唯一の高校「阿賀黎明高校」は、町にとってとても大切な存在です。しかし、町の人口減少・少子高齢化に伴い、高校の存続という問題に、近い将来直面する状況となりました。もし町から阿賀黎明高校がなくなると、生徒・保護者の時間的・経済的負担が大きくなります。さらに、地域の高校である阿賀黎明高校の存続は、阿賀町の地域としての存続にも関わる大きな問題です。子どもを安心して通学させられる高校がない地域は、子どもを育てる環境が良いとは言えないため、人口流出が急速に進行すると言われています。 逆に、地域に魅力的な高校が存在すれば町内はもちろん、その教育環境を目的としたU・Iターンも増加し、人や物が交流するようになり地域の活性化につながります。それがより良い教育環境にもつながると考えて、阿賀町と阿賀黎明高校が連携し、魅力ある高校づくりで元気な町を創出する「高校魅力化プロジェクト」をスタートさせました。 

そのスタートとして、県内初の公営塾「黎明学舎」を設立し、地域(ローカル)に根ざしながらも、世界(グローバル)に通用するグローカルな人材づくりを目指し、魅力ある学校づくりを支援しています。 阿賀町には豊かな自然や伝統文化、人のやさしさ・温かさがあります。そんな阿賀町ならではの環境で過ごす高校3年間で若者たちには大きく成長してほしい、その想いから町全体で高校生たちを応援しています。

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しかし、実際はとにかく始めたというのが事実。
誰もやり方の正解を知らないし、正解があるのかさえもわからない。
全ては手探り。けれど、今始めないと状況は悪化の一方だった。

人は「知らない、見たことない、聞いたことない、見えない、さわれない」といったものには、まず嫌悪、不信、不安を感じるようだ。けれど、そんな感情を今どうこう言ってる場合じゃない。まずは自分が、そして今いる仲間たちとやるしかない。

手と足を動かしながら、頭を回せ。
PDCAじゃない、DCAPだ。

なぜなら、もう自分はそんな環境に飛び込んでしまったのだから。
小さなオンボロ木造ボートで荒れ狂う大海に出たような感覚だった。

けれど、それから3年後にはたくさんのクルーが集う小型客船ぐらいには成長したと思う。

どんな航海をしてきたかのリアルを書き綴っていこうと思う。

つづく

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