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田舎者の低身長GKが、関西1部リーグの大学へ入ったお話②

どうも。中村です。
今回は、以前の記事の続きで、大学3回、4回生の頃の話をしていきたいと思います。
正直、個人的にはここの2年間は今の自分にとってかなり重要な期間でした。
ただ、オチを先に言ってしまえば、正ゴールキーパーにはなれませんでした。ただ、間違いなく自分の人生は変わりましたし、得たものはたくさんありました。
自慢できない部分が多いかもしれませんが、最後まで読んでいただければ幸いです。

自信に変わった「学年リーダー」への任命

自分がいた頃の学院大は、毎年毎年各学年から3~4人程度の学年リーダーが任命され、チームを運営していました。
4回生の学年リーダーはキャプテン、副キャプテンで構成されているのですが、そのリーダーをまとめて幹部と呼んでいました。

自分が入学した当初の幹部の人たちは、いわゆるTOPチームで活躍していたり、キャラクターを確立している人が多い印象でした。
高校時代は副キャプテンを務めてはいましたが、それとこのチームでの副キャプテンとは全く別物だと思っていましたし、
そもそも、全選手が学年リーダー候補を紙に書いて投票し、
票数が多い選手が選ばれる形のものだったので、
自分とは無縁のものだと思っていました。

それが、3回生のタイミングでまさかの自分が学年リーダーに任命されることになり、正直焦りました(笑)
「俺に何ができるわけ?」と思いながら、
幹部のミーティングに全員にいじられながら参加していたのを覚えています。(今思えばありがたいことですが)

学年リーダーになると、その学年で起きた問題や
遅刻などによる処分の決定など、といったピッチ外での仕事が増えました。
その中で多くの選手とぶつかったり、
ある意味嫌われ役になることも多かったと思います。
ただ、この組織の中で立場が変わったことで、自分に対する周りの関わりも変わりました。
具体的に良かったなと思うのは、
TOPチームやチームの中心選手と仲良くなれて、練習や自主練、その後のご飯などにも連れて行ってもらえるようになったことです。

自分みたいに田舎者では無い人であれば、それくらい1年目からできるよ
ってことだと思うのですが、
自分にとっては、かなりハードルの高いものでした。
そういう中で自分という人間を認めてくれる人がチームに増えていき、
またそういう人が背中を押してくれるという環境で
サッカーができるという変化は、とても大きかったです。

正直、選手とコーチの板挟みで苦しいことも多かったですが、
チームという組織を考える立場になると、今まで見えていなかったものが多く見えるようになり、組織を考えるようになりました。

学年リーダになって獲得できたものは

  • 組織の中の自分の役割を考えるようになった

  • TOPチームの選手や存在が近くなった

  • 自分に対するチームメイトの接し方が変わった

  • チームへ貢献したいという思いが芽生えた

といったところでしょうか。

与えられた場所で全力で輝く。

4回生になると、18番手だった俺は
2番手争いをするところまでこれました。
正直、2番手でベンチに入るのと、3番手でスタンドにいるのとでは
天と地の差があると思っていました。
(試合出ると出ないも差があると思いますが…)

春先に登録されたTOPチームの写真ですが、
GKで一番ちっこいやつが自分です…笑

「絶対ベンチ入ってやる」
と思い続けて毎日グラウンドに通っていました。
しかしながら、開幕戦はベンチには入れず応援席へ…。
ただ、悔しいからといって何もしないのが嫌だった私は、
試合開始前のランニングは、遅いなりに全力で走り
応援においてはコールリーダーを務め、ピッチへ声がかれるくらいに応援しました。(人数も多いのでここでの悩みも多々ありましたが…笑)

これだけの人数がまとまったらすごい応援できたんだろう。
関西でトップレベルにやじが飛ぶ応援だったかもな…。

その根底にあったのは、高校の時の恩師からの言葉です。
担任であった恩師とは定期的に連絡をとっていました。
ベンチに入れなかったときも、電話でそれを伝えると、

「じゃあ、応援でばっちり見せつけてやれよ。
 応援席でできること全部全力でやってみ!」

と言われ、めちゃくちゃモチベーションがあがり
「めちゃめちゃすげー応援してやる。」と思いました。

「与えられた場所で全力で輝く。結局それしかないぞ」と。
その日から結果がどうなろうとも、全力で輝いてやろう!と思えるようになり、自分の行動に変化が生まれていきました。

個人的にうれしかったのは、全然別の大学の選手を写真撮りに来ていた方が
Instagramにわざわざ私の写真を載せていただいて、
応援について書いてくださったことがありました。
今でもたまに見返すほどうれしかったです。笑
ありがとうございました!

実際この時スタンドで話していた内容は
「これ以上応援が足引っ張ってるとか言われるのは嫌なので
そんなこと言えないくらいの応援しようや」
という真逆のような内容でした😅

応援リーダーとしての影響があったのかなかったのかは分かりませんが、
5月には3試合ほどベンチに入ることができました!
ある同期の選手は試合前ベンチで俺と肩を組みながらコーチに
「こいつがここまで来るって思ってましたか?まじすごないっすか?
 最初名前も知らんかったのに(笑)」
って言ってたくらい衝撃的だったみたいです(笑)

ただその後も、6月に教育実習で3週間チームを離れた後は、
またベンチ外になってしまう日々が続くわけで…。

3番手のGKって本当に難しいんですよ。
試合も無いし、ベンチにも入らないけど、TOPチームとして動くわけなので、練習はTOPでやる。みたいな感じで。
幸いIリーグには出させてもらえていたのですが、
他のGKと比べてみても、練習試合は少ないし
その中でたまにゲームがあるので、本当に難しかったです。
ただ、その経験はGKコーチとしてかなり役立っていますし、
どこであろうが、全力でできる力はこの経験から得た能力だと自負してます。

プロを体感できた数日間

また、4回生の時には、GKコーチの計らいでG大阪の練習に参加させていただく機会がもらえました。
これは、入団テスト的なものではなく、代表やケガなどでGKの数が少なくなっていたために、大学側に要請があったということです。
なので勘違いはしないようにお願いします。(笑)

ただ、GKコーチが自分と後輩の二人を推薦してくれたことに関しては
本当にもってるなと思います!
合計10回前後練習参加したのですが、当時の監督はあの宮本恒靖です。
小学生の頃テレビやスタンドからみていたあの方です。
GKコーチは松代直樹さんで、同じくスタンドからみていた方です。
自分たちはU23の方の練習に参加したのですが、
全てのレベルがイメージの遥か上をいくものでした。
ボールの質からスピードからピッチやロッカーなど全部が新鮮でした。

映像で見ているものと、実際にシュートを受けてみるのとでは全くの別物でして、衝撃的でした。
「そんなに曲がるんか…」「ボール触ってもコース変わらんやん」
みたいな…苦笑

ただ、本当に楽しくて幸せな時間でした。
改めてプロのすごさや、サッカーの楽しさや奥深さを
改めて知る数日間でした。

自分の場合、このような高いレベルを体感することで、よりサッカーが面白くなって、もっともっと熱中していくことが多かったです。
本当にいい経験になりました。

ちなみに、その時U23の監督を務めていた實好礼忠さんとGKコーチの松代さんは今年から大阪学院大学の監督とGKコーチに就任されました。
すごい縁を一方的に感じております。(笑)
これはチャンスなのでは?と勝手にワクワクしております!

予想外の幕切れを迎える大学サッカー

4回生の頃、関西選手権(夏のトーナメント)のメンバーに入ることができました。
ベンチには入れませんでしたが…。

ただチームは、なんと初優勝をすることができたのです!
創部してから初の快挙ということで、学校をあげて祝福されました。
これも今度まとめてみようかな。。。笑

その後の総理大臣杯では、準決勝で明治第大学に負け3位に終わりますが、全国で3位のチームのメンバーに入れたわけですから、
個人的にはかなり誇らしいものだと思っています。

スタンドから応援することしかできなかった悔しさを
忘れるくらいうれしい出来事でした。

ただ、その後のリーグ戦では負けが続き、
チーム全体としては、調子が上がってきません。
しかしながら、危機感をもっている選手はそこまで多くない印象でした。
正直自分も含め、関西大会で優勝したのだから
リーグ戦は大丈夫なんじゃないか。とか思っていた気もします。
人数も多いので、下のカテゴリーに行くとこの優勝ってのが大きな足かせになったりするわけですよ。チームの組織レベルによっては。

その結果、なんと2部リーグ入れ替え戦へまわることになり、
しかも、そこで関西福祉大学に負けてしまい、2部降格。

関西チャンピオンをとったメンバーが
関西2部へと降格してしまう。
こんな異常な事態が起きてしまうわけです。

俺はベンチにも入れず、それでもいつも通り声のでる限り応援しました。
ただ、試合が終わり、2部降格が決まり、そのまま引退になるわけです。
「こんな終わり方。なんでこうなるんだ。」と思いながら
その無力感から立ち尽くしました。

そんな幕切れだった大学サッカーでしたが、
苦労も多かった分、同期やチームメイト、スタッフ、マネージャーに対する感謝も多く、「この大学でサッカー4年間続けられてよかった」と
思えました。
後輩や、今の生徒に同じ経験をしてほしいとは思いませんが、
自分がもう一度人生やり直せるといわれても
同じ代の同じ大学に行くことを選びます。
なぜなら、ここに行かないと出会えなかった仲間や、
得られなかった知識、経験が多すぎるからです。

今教える立場になったり、教員という仕事をする上でも
この大学4年間で学べたことの多くが活きているなと感じます。
そこに自信がもてているからこそ、もっともっと頑張ろうと思えているし、
つらくても苦しくても前を向くことができていると思います。

サッカー漬け大学生だった男が生徒に伝えたいこと

そんな自分が教員として、今の高校生に伝えていることは
「なんとなくで進路決めるな!!!」ということです。
目的もなくいく大学ほど危ないものは無いと思います。
逆に目的があれば、大学ほど優れた環境は無いとも思います。
これには偏差値とかも関係なく言えることだと思いますし、
自分みたいなバカでも、賢い人でも、高卒就職する方でも
誰にでもあてはまると思います。

何をするにもリスクがあるし、大変でお金も時間もかかるかもしれません。
それでもやりたいことがあるなら、誰に何を言われても突き進んでほしいし、
そういう熱中できることがない生徒には
色んな仕事があることを一緒に探っていきたいなと思っています。

本気でやるんだったら、正直何を選択したっていいと思ってます(笑)

そんな経験をもらえた大学には本当に感謝しております。

まとまらない文章を最後までお読みいただきありがとうございます。
アドバイスや感想がいただければ、何よりもうれしいので
お願いいたします!
(もちろんスキなどの反応があるだけで
 その日一日頑張れるくらいうれしいです笑)

ではまた!



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