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第12回 父が亡くなった

母は、2022年4月10日に土地家屋測量士Hさんに父の印鑑証明を渡すと約束したのだが、それを待たず4月9日(土)早朝3時少し前に父は亡くなった。

すぐに病院から僕の携帯に連絡が入ったのだが、着信音声をOFFにしていた僕は気づかず、5時ごろ姉の電話でやっと知った。僕は急いで新幹線に乗り、姉から聞いた葬儀場に向かった(幸い東京にいた)。

姉の話によると、病院からの電話を受け取った母は、「明るくなってからでないと病院に行けない」と、すぐ来て欲しいとの病院の要請を拒んだそうだ。明るいところなら自分で運転できるが、夜の運転は不安なのだ。母からの電話を受け取った姉は、車で1時間くらいのところに住んでいるのですぐには行けない。それで、実家周辺のタクシー会社を調べ、かたっぱしから電話したがだめだったそう。それで姉は母に、「AWAZUKU HOUSEの住人の誰かを起こして、病院に連れって行ってもらいなさい」と指示。それで母は、普段から親しいKさんの家のブザーを鳴らして起こし、病院に連れって行ってもらった。朝3時ごろのことだ。

母が病院で亡くなった父と対面している間じゅう、Kさんは病院の駐車場で待っていてくれたそうだ。本当にありがたいことだ。感謝にたえない。

田舎であっても、こういう時に近隣の方になかなか頼めるものではない。ご近所以上の関係を、両親がAWAZUKU HOUSE住人の方々と築いていた証だと思う。これが僕の望んでいたコミュニティだ。

11時前に葬儀場に着いた僕は、数ヶ月ぶりに父と対面した。東京の住民は、例外なく病院内に立ち入ることはできなかったのだ。

僕が電話で父と最後に話したのは、3月13日だった。主治医から電話で詳細な病状を聞いていた僕は、もう長くはないことを知っていた。父は多少苦しそうではあったが、頭はしっかりしていた。今回のプロジェクトのことを、とても気にしていた。「自分は何もできないので、お前たちに任した」と言ってはいたが、早く退院してそれに関わることを支えにしていたのだろう。母にも、進捗などを聞いていたそうだ。

その日のうちにお通夜、翌日告別式を執り行った。母の頼みで喪主を務めた僕は、告別式での挨拶で、父の意志を継ぐことを約束した。

母は幸いにもしっかりしている。AWAZUKU HOUSE住人の方々が、何かと気遣ってくれているのだ。お茶会や筍掘りなど、若い人たちとの交流を楽しんでいる。姉からも、本当にAWAZUKU HOUSEをつくってくれてよかったと言われている。


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