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第18回 住まい方とレジリエンス(しなやかな強さ)


NPO法人コレクティブハウジング社(CHC)訪問

2022年6月12日、これまでも何度も名前の出てきたNPO法人コレクティブハウジング社(CHC)を訪問し、いろいろ話を伺ってきた。

CHCは2000年に設立した、日本でコレクティブハウス を促進する機関。僕が見学した2つのコレクティブハウス も、CHCのサポートにより実現した。

事務所を訪れ、ふたりの理事にご対応いただいた。僕が現在考えていることをご説明し、そこから意見交換をしていった。実践経験な方々なので、運営上のノウハウ、たとえばどういうことをすれば住民同士がまとまることができるか、何をするとあとでトラブルのもとになるかなど、とても貴重なアドバイスをいただいた。

もっとも相談したかったのは、コレクティブハウス という新しい住まい方に関心を持ってくれる住人をどうやって見つけてくるか。もちろん答えがすぐ得られるとは思いはしなかったが、そのヒントでもつかみたいと思ったのだ。以下は、それに関するコメントと感想。

「この物件の魅力となりうる要素を前面に押し出して発信すべきだ」

「カフェや民泊、イベントルームも一体で始めるのであれば、それらを運営する仕事とセットで住宅も提供することもできるのでは。シングルマザーなど、職住をセットで提供されることを望む人はいると思う」

なるほど、と思った。何が魅力になりうるかを、あらためてよく考える必要がありそうだ。そして、その一つが職住セットという切り口。

住人と運営者を別々の探すのではなく、セットにすることでその価値が高まる可能性もあり得る。それだけを仕事にするのでは、生活は厳しいかもしれないが、副業ならありかもしれない。

「コレクティブハウス とエコビレッジやトランジッション・タウンと親和性がある。そうしたライフスタイルを志向する人に知ってもらうといいかも」

「また、そうした人たちは自分で環境をつくりたいと考えるので、最初にあまり造りこまない方がいいかもしれない」

エコビレッジとトランジションタウン

僕は恥ずかしながら、エコビレッジもトランジッションタウンも知らなかったので、あとで調べてみた。

エコビレッジ
「エコビレッジ」の定義は以下。

新しく意図されデザインされたものだけでなく、伝統的に持続しているような様々な種類のコミュニティや、シェアハウス、トランジション活動なども含めて、地球上で人として調和した生き方をしていこうとして生み出される活動をすべて含めてとらえています。
それぞれのエコビレッジや取り組みは、そこに住む人たちの参加型プロセスによって生み出され、それぞれのビジョン、状況、文化、興味に応じてデザインするものなので、同じものはありません。
その中で、以下の4つの側面すべてを総合的に組み合わせ展開していくことが、持続可能性を実現していくことだと考えています。
世界観(文化)、社会、エコロジー、経済、という4つの側面(Dimention)すべてにおいて、地元の人々の参加型プロセスによって意識的に設計された、意図的、あるいは、伝統的または都市的コミュニティです。

http://gen-jp.org/ecovillage/

トランジッションタウン

そもそもトランジッションとは?

トランジション(Transition)とは「移行」を意味します。何から何への移行でしょうか?
それは、エネルギーを多量に消費する脆弱な社会から、適正な量のエネルギーを使いながら、地域の人々が協力しあう柔軟にして強靱な社会、持続可能な社会への移行。エネルギーを大量に使う社会は一見、便利で快適ですが、ひとたびエネルギーの供給が止まれば、人々は生きていくことすら困難になることが予想されます。スーパーに並ぶ食料も満ちあふれる製品も、エネルギーが途絶えると、とたんに消えてしまい、なにひとつ機能しなくなる脆弱な社会なのです。

https://transitionjapan.net/about-tt/about-transition-town/

では、トランジッションのためにどんな活動をするのか?

トランジション・タウンの活動は、市民が自らの創造力を発揮しながら、地域の底力を高めるための、実践的な提案活動です
日々の暮らし方をほんの少し変えるだけで、楽しくて豊かに、そして自由になれること
トランジション・タウンの活動は、コミュニティの中でそうした変化を作り出し、実践し、共有していくこと
そんな実践を積み重ねることで、いま暮らしている地域を、より暮らしやすく、災害に強く、誰もが参加できる場所に変えていく、草の根の活動なのです

https://transitionjapan.net/about-tt/about-transition-town/

レジリエンス

正直、二つの違いはよくわからないが、どちらも草の根から持続可能な社会を作り上げていくための自発的なコミュニティ活動ということだと思う。特に僕が響いたのは、「レジリエンス」というキーワード。

世界は快適さや便利さ、気楽さを追い求めるあまり、脆弱性にさらされているがこれまでそれ気づいてこなかった、あるいは気づかない振りをしてきたと思う。身近な例で言えば、スマホ。あの小さな機械に、電話、カメラ、時計、財布、銀行端末、住所録、パソコン、などあらゆる機能を搭載している。本当に便利。でも、もしスマホを無くしてしまったら、生活はどうなるのか。さらに、無くさなくても、もし障害で電波が遮断されたら・・。つい先日もKDDIの障害でひどい目に遭った。だからスマホを手放せということではないが、便利さと脆弱性は裏腹の関係にあることを知っておくべきだ。依存は脆弱性を高めるす。これはスマホだけでなく、全てにおいて真実だ(例えば日本とアメリカの関係とか)。

だから、反脆弱性ともいうべき「レジリエンス」が大切だと思う。不確実性が高まっていることには、誰もが同意するだろう。不確実性への備えがレジリエンスともいえる。

トランジッションタウンの文脈では、レジリエンスを以下と説明している。

「レジリエンスとは生態用語で復元力とか回復力という意味で、ここでは しなやかで強いという意味。」

レジリエンスを生活レベルで高めることが、トランジッションタウンの目的の一つなのだろう。

コンヴィヴィアリティ

実はこの考えは、文明批評家イヴァン・イリイチの主唱した「コンヴィヴィアリティ」と共通する。彼は産業社会の進展に伴い、人間が「道具」に使われることを指摘した。それに対抗するのが「コンヴィヴィアリティ」だ。日本語では「自立共生」と訳されている。以下は明解な解説なので引用する。

(前略)実際には、機械の操作者として不毛な労働に従事させられ、また機械が作り出した商品をただ受動的に供給されるだけの消費者になったにすぎなかった。機械が奴隷の代わりになるのではなく、機械が人間を奴隷化したのである。
 イリイチが描き出す「コンヴィヴィアリティ」のイメージは、このような産業社会の対極をなすものと考えることができる。それは自由な個人としての人間が、道具を用いて生き生きと働く姿に結びついている。本書(「コンヴィヴィアリティのための道具」)の中からコンヴィヴィアリティの概念を端的に表現した個所を探すとすれば、「人間的な相互依存のうちに実現された個的自由」(19ページ)というものがおそらくそれにあたるだろう。

http://www.syugo.com/4th/thermidor/work.php?author=illich&work=tools_for_conviviality

1970年代にイリイチが指摘したことが、いよいよ差し迫った状況になってきた。コンヴィヴィアリティを体現する草の根活動が、エコビレッジでありトランジションタウンなのだと思う。

僕が実家での新しいプロジェクトで、コレクティブハウス にこだわっているのも、コンヴィヴィアリティが根底にあるからだ。「人間的な相互依存のうちに実現された個的自由」を追い求めたい。相互依存はヒトを縛るものではなく、もっと大きなものへの依存を避けて、個的自由を確保する手段なのだ。

そうした意味でも、CHCのお二人のアドバイスは腑に落ちた。


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