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第一回:地方の実家はこれからどうなるか

大学で上京しはや30年以上。その後ずっと東京に住んでいる。姉がひとりいるが、とっくの昔に結婚して家を離れており、田舎の実家には両親だけが暮らしている。

幸い二人ともまだ元気ではあるが、いかんせん高齢。でも、東京で家庭を築き、仕事のベースも東京にある僕が実家に戻って住む可能性は、限りなくゼロに近いだろう。そうなると、実家の家屋敷は、今後どうなってしまうのだろう。昨年の今頃、ふとそんなことを考えた。

僕と同じような境遇の人間はたくさんいるのではないか。みんなどうしているのだろうか。

相続税対策を掲げて、いくつかの住宅メーカーが実家に営業に来たという。「賃貸住宅を建てて貸せば、相続税が安くなりますよ」「完成後、●●年間はウチが家賃保証しますから、安心です」「頭金などわずかで大丈夫です。超低金利ですし」などのトークで、不動産投資を勧められてきた。介護施設をつくらないかとの話もあったらしい。こうして、日本全体でどれだけの集合アパートやシェアハウスが、畑の真ん中に建てられたことだろう。

人口が減っている日本で、集合アパートなどの需要がそんなに増えるとは思えない。にもかかわらず、大量生産のアパートがどんどん建っている。知識が乏しい老人であれば、ついその気になるかもしれない。

幸い、父はかつて地元の小さな不動産会社を経営しており、知識は乏しくない。僕も、本業ではないがなぜか不動産とは縁があって、多少の知識は持っている。そこで、二人でタッグを組んで、実家に隣接する空き地を、有効活用する計画を立てることにした。

ちなみ実家は、愛知県東部(西部は名古屋のある尾張地方)、いわゆる三河地方にある。JR東海道本線の駅から徒歩10分程度。トヨタ関連の企業に勤める人が多く住んでいるエリアといわれている。僕の小学校の同級生は、ほとんど実家を離れておらず、部品メーカーであったり、社員向けのサービスだったりと何らかの形でトヨタに関わる仕事をしている場合が多い。また、三河湾まで車で10分ほどで、実家二階の窓からかすかに海が見える。

土地は全部で370坪。そのうち東側の100坪は、僕が中学生の頃に建てられた切妻瓦屋根二階建の実家とその庭だ(見出し写真は二階からの風景)。残りの270坪には、かつて父が経営していた織物工場が建っていたが、繊維不況で廃業。不動産業に転じた後は、機械設備を取り払った。工場建屋のみ人に貸し出していたが、それも10年前くらいに壊してしまった。ただ、同じ敷地内には実家を建てる前に住んでいた20坪くらいの古い平屋がまだ残っており、その一部は母が趣味で行う畑作業の道具置き場となり、東側の日当たりのいい部屋は父が趣味の油絵描きのアトリエとして使っていた。だから、270坪の内、20坪だけ古屋があり、他は更地だ。現在、近所に住む歯医者さんに、車二台分の駐車場として月6千円で貸してはいる(かなり安いと思うが、停めてあるのはポルシェとBMW)が、無駄な空き地だ。手入れしなければ草ぼうぼうになってしまう。宅地ではあるものの、市街化調整区域であり売却は難しく、売れたとしても、大した金額にはならないだろう。僕がそこに住めば問題ないのだが、そうしないのなら、何らかの対応をすべきだと思ったわけだ。

父は既に一社の提案書を持っていた。270坪の土地に、5軒の二階建住宅を建築するというプランだった。予算は約6千万円。土地代が入っていないとはいえ、東京の感覚からするとかなり安く感じる。パッケージ化された建物だから、ハウスメーカーの大量生産で安く作れるのだろう。でも、提案書で描かれた建物のイメージは、マッチ箱のような家が五軒、ちまちま並んでいるもので、すくなくとも僕は住みたくないなと思った。

自分で住むわけではないし、貸家としての採算だけを考えれば、こういった標準化された住宅にしてコストの最小化を目指すべきだろう。でも、自分が高校生まで過ごした土地にが、周囲の風景にもそぐわないない、チープな建物で埋め尽くされることにどうしても耐えられなかった。貸家だからと自分が住みたくないような家をつくることも、なんだか無責任な感じもした。父の考えも僕とそれほど違わなかった。

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