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第五回 古屋をめぐる父とのバトル

前回(第四回)で書いた宅地への用途変更記録の件で、建築家の栗原さんから以下のメールがあった。

本日、地元の役所に過去の家屋課税証明書について問い合わせたところ、
昭和45年以前のものでも、委任状があれば所有者以外が発行することが可能とのことでした。もし不都合が無ければ弊社のほうで課税証明の発行をさせていただこうと思いますので、大変お手数おかけしますが、添付の委任状に、古家の所有者様であるお父様のお名前とご住所、押印をしていただき、原本を下記住所までご郵送いただけませんでしょうか。

住宅予定地が「宅地」であることの証明用にいずれか必要、とされた4つの資料のうち、4)の「宅地であったことを示す公的資料」として「古屋の昭和45年以前の課税証明書」の入手にメドがついたということだ。どうやら、問題は解決しそうだ。父とも相談し、郵送ではなく12月21日(木)15時に栗原さんに実家に取りに来てもらうことになった。委任状に署名捺印するだけだから、もちろん僕がいる必要はない。

あとで聞いたところ、栗原さんはスタッフの鈴木さん以外に、外国人のインターン学生を4人ほど連れて来たそうだ。若者に囲まれて父は張り切ったのか、いろいろ要望を述べたらしい。2日後、栗原さんから以下のメールをもらった。

一昨日、お父様に委任状のサインをいただき、課税証明書の発行ができましたのでご報告申し上げます。来週月曜日に三河建設事務所で一部の地番の最終的な建設の可否について打合せする予定になっております。

下記にその際にお父様から伺ったご意見の概要をお送りいたします。

(1)賃貸管理とご担当者様への相談について
 賃貸の管理者は(某
不動産仲介チェーン)●●店にお願いしたいので、設計段階からそこと話し合いをした方が良い。
 →ご担当者:FC●●店・M住宅(株) 統括本部長・店長 Sさま
  上記ご担当者様とお打合せをした方が良いのかなと思っております。

(2)古屋の解体or存続について
 古屋はギャラリーとして使っており、お父様の絵が50~60枚所蔵しているので、古屋を残して将来的に取り壊す案を考えてほしい。
 →古屋を取り壊した「全体計画案」と、残した場合の「部分計画案」の両方をご提示しようと思っています。

僕は少し意外だった。賃貸管理者を予定しているS店長は、父のかつての部下にあたる。そう、父はかつてM住宅(株)の社長をしており、同社は某不動産仲介チェーンのフランチャイジーでもある。だから、そこに管理は任せようとしている。その点は問題ない。僕も父に言われ、数ヵ月前にS店長と電話で話した。地元マーケットの状況は、やはり地元の業者さんに聞くのが一番だと考えたからだ。しかし、電話の印象では、S店長は一般的な賃貸住宅の枠からはみ出るような案には抵抗感があるようで、僕らがこれから進めようとしているプロジェクトの販売面ではあまり参考にはなりそうもないと感じた。

もともと、第一回に書いた標準的な賃貸住宅モジュール(パッケージ)をもとにした提案書を出してくれたN社は、S店長の紹介だった。これから建てようとしている家は、S店長が扱い慣れているような賃貸住宅ではない。父にも率直にそう伝えた。それなのに、今度は建築家の栗原さんにまでS店長の話を聞けという。僕は栗原さんにこれまでの経緯を説明し、あまり参考にはならないと思うので無理して会う必要はないと思うと伝えた(その後、栗原さんは父に気を遣って、S店長に会いに行ってくれたのだが)。

それよりも驚いたのが、2つ目の「ギャラリーとして使っている」という古屋存続の話だった。ギャラリー、とは大きく出たものだ。ギャラリーといえば人が見て回れるようなスペースを思い浮かべると思うが、実際は古屋をアトリエ(作業場)兼物置きとして使っているにすぎない。


実は当初から、古屋の扱いをめぐっては、アトリエ兼絵の保管スペースとして残したい父と、土地の制約や美観の点から古屋は残せないと考えた僕と、意見が衝突していた。が、最終的には「古屋を壊すのでなければ貸家建設の話は下りる」と僕が強く主張し、父はしぶしぶ納得した、という経緯があった。少なくとも納得した、と僕は思っていた。

以前、父とはこんなやりとりもしていた。

僕:「古屋を残したら、使える敷地が狭くなってしまうので絶対無理」


父:「最初から壊す必要はないだろう。古屋を除いた敷地にいくつか家を建て、そこが完成してから古屋を壊してもう一軒建てるのはどうか」


僕:「そんな効率の悪いことはできない。工期が不必要に長くなってコストがかかるし、そもそも設計プランに影響が出る。せっかく作るのだから、できるだけいいものを作りたい。」「絵を描く場所は古屋でなくてもいいだろう。実家には使ってない部屋がいくつもあるのだから、そこをアトリエにしたらどうか」


父:「油絵には自然光が必要だ。空いている部屋はあまり採光がよくない。二階は明るいが階段の上り下りがあって不便」


要は、使い慣れたアトリエから移動するのがおっくうなのだ。80歳を越す高齢だからそれもやむを得ないとも思うが、そのために古屋を残す道を考えるのは筋違いだろう。僕はその点では妥協できないと伝えた。

話は少し逸れるが、こうまでして父がこだわる絵だが、所詮は素人の趣味。そう遠くない将来、父がいなくなったあとこの絵をどうするかは、以前から家族じゅうの心配の種でもある。


僕:「これまで描いた絵も、今から友人にもらってもらうなりして、減らしたほうがいい。僕らに全部残されても困る。これが陶器とかなら地面に穴を掘って埋められるが、油絵は埋めるわけにいかない」「これから描く絵は古い絵の上から描いたらどうか。キャンバスはこれ以上増やさないほうがいい」


横で聞いていた母も、この点は強く賛同した。既に絵はアトリエにも収まりきれず、実家にまで侵食している。壁という壁が父の油絵で埋めつくされているのだ。母はそれが前から不満だった。


母の後押しもあったおかげか、その後、父は絵のもらい手探しを始めた、自分の友達にも声をかけて選んでもらい、気に入ったものを何枚かもらってもらった、という話を母から伝え聞いていた。そこで、僕は父も古屋のことはようやく諦めたのだと思い込んでいたが、それは甘かったようだ。僕がいない時に栗原さんに直訴するとは、敵もさるもの。


僕は栗原さんに電話し、「古屋の存続案は必要ない。それに時間を使ってくれなくてもいい」と伝えた。栗原さんは、父に気を遣ってくれて、「そんなに時間は使わないので、やはり考えてみましょうか」、とまで言ってくれたが、丁重にお断りした。プロに対してそういう時間の使い方をさせるべきではない。


正月に実家に帰った時、再び父と激しくやりあった。こちらが聞く耳を持たないと分かると、最終的には父は僕に任せると言った。後味は悪かったが、ここで妥協しては元も子もない。この話には後日談がある。時間は一気に飛んで2018年7月24日。その日、古屋は解体された。僕も立ち会いに戻っていた。解体業者とは別に、大工さんが一人来ていた。実家の西側が今回のプロジェクトの対象地だが、その反対の東側の狭い敷地に、父は6畳ほどのアトリエを作り始めていたのだ。僕には事前に何も言わず、内緒で。実家の増築工事だった。


当日は猛暑。母はおやつにと、うちの畑で取れたスイカを解体業者と大工さんに出した。僕も手伝った。二人は日影に並んで汗を吹きながら、「美味しい」と言って食べていた。室内を眺めると、父がエアコンの効いた部屋で黙々とTVを観ている。それを見ながら、僕はもう何も言う気にはならなかった。


見出し写真は、父の新しいアトリエの写真だ。絵をなんとかしてほしいという僕の気持ちはわかってもらえるだろう。


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