第64回 あらためて戸建賃貸住宅を考える
合板の貼り付け工事は、職人さんの手配の関係で3月9日と決まった。当初計画よりも、大幅に完成まで時間がかかってしまった。これも僕のこだわりゆえ、安易に妥協しないからだろう。そのため、設計の栗原さん&鈴木さん、S建設Hさんには、苦労をかけてしまっている。
ほぼ完成した建物を、現地で五感を使って感じているうちに、あらためて僕はこの建物をどのような価値観のもとで造ろうとしたのか、自分の中で確認しようと思った。今回はそれを書く。
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住宅とは、そこに居る時は身体の一部ともいえる存在だ。ヒトの脳は、実は自分の身体とそれの周囲の環境とを厳密に峻別できない。つまり、住宅は身体の延長線上にあるとも言える。
だから、心地よいと感じる住宅は、そこに住む人の身体および精神の健康を高めるように作用するだろう。どういう住宅が心地よく感じるかは、個人によるだろうが、少なくとも僕は以下のような点に住宅の心地よさを感じ、またそれに共感してくれる方に住んでいただきたいと思う。
1)人工素材よりも天然素材
化学系素材は機能的かつ安価で、住宅の大量生産と大量供給を可能にしてきた。高度成長の時代にはその効用は大きかっただろう。それまでは(選択肢もなく)木材や土、紙、よくてガラスしか使用できなかった時代しか知らない人々にとって、こんなにありがたいものはなかっただろう。当時はまだ、周囲に林や田畑がたくさん残っていたので、自分の住宅に天然を求める必要性はあまりなかった。
時代はめぐり、田舎であっても樹木はだんだん身近なものではなくなりつつある。ホルムアルデヒドやシックハウス症候群など、人工素材の弊害も目立つようになってきた。住宅にもエコが求められる時代。人口も減少し、住宅を大量生産する必要性も薄れてきた。
また技術進化の結果、天然素材であっても高い耐火性や高層建築にも対応できるほどの強度も達成されている。
このように、人工素材に対する天然素材の比較優位性は、以前に比べ高まっている。
2)「要塞」よりも「外部を取り込む」
住宅に求められる機能の一つは、外部から遮断し内部を防御することだろう。アメリカのゲイトシティはそれを街のレベルで実現している、いわば要塞だ。
住宅を要塞化することで、失われるものもある。周囲の自然環境を室内に取り込みづらくなることだ。人は本来、壁の中にいるよりも自然の中にいたいと思うもの。
どちらを選択するかは、住人の価値観と周囲の環境によるのだろう。犯罪が多かったり、住宅が密集しているエリアであれば「壁」を重視すべきかもしれないし、田舎のような広々としたエリアなら壁の必要性は低く、それより環境との一体感を重視するかもしれない。田舎でありながら都会の真似をすることほど、無意味でみっともないことはない。
僕は、今回建てたエリアは後者だと思っている。もちろんバランスは重要だ。
3)広さや部屋数よりも、身の丈にあった空間
広ければ、大きければ、高ければいいという志向は高度成長期の感覚で、成熟した今の時代にはそぐわないと思う。それよりも、自分の目が十分に届き、また家族との親密感が得られるような、身の丈にあった大きさにこそ価値を見出すべきだと思う。
また、お仕着せの2DKとかの間取りや部屋数自体はあまり意味がない。それよりも、面積の制約はあったとしても、そこでの有効な使い方を自分たちで見出せるかのほうが重要だ。そのためには、室内もオープンで区切りもできるだけ無い方が好ましい。
4)新品よりも、歴史と愛着が刻み込まれているもの
一時代前には、なんでも新品が良いと考えられていた。だから、賃貸マンションなどでは、住人が入れ替わると壁紙(多くは塩ビシート)や床の材を張り替えたりして、新品に仕立てあげる。そのためには、簡単に張り替えることができる素材が重宝され、それは必然的に天然ではない化学系素材となる。
住人も長くはそこに住まない(住みたくはない)ことを前提で、どうせ貼り替えるのだからと荒っぽい使い方になってしまうかもしれない。
しかし、本当にそれが心地よいのかと、多くの特に若い世代は疑問も持つようになった。物も家も使い捨てではなく、大事に手入れして長く使った方が、実は自分にとって心地いいのではないか。たとえ自分が刻んだ歴史ではないとしても、以前からの住人の愛着の跡は自分にとっても大切なものと感じられる。
我々日本人は、古い陶器についた傷や汚れに「味わい」を見出す感性を持っている。さらに、それを自分の手で「育てる」ことを喜びとする。
近年、古民家を修復した宿や住いが注目されるのも、そうした感性を思い出したからに違いない。再生される古い家は、長い時間に耐えてきた優れた力を持つ。果たして、いま大量に建てられている住宅が、どれだけそうした力を持っているだろうか。完成時が建物の価値が最も高く、その後は下がる一方という社会が普通とは思えない。
人間の慣習や思い込みは慣性が強くはたらき、なかなか変わるものでは無い。しかし、住宅についての嗜好もやっと高度成長時の思い込みを脱却し、本来のものに戻っていきつつあると思う。
ただ、問題はそういう感性に気づいたとしても、注文住宅ならともかく賃貸住宅、特に戸建にはそれに応えられる物件がないことだ。賃貸住宅は、どうしても感性よりも経済性を重視する。
これからは、使い捨てのような住宅ではなく、代々の住人がバトンを繋ぎ時間をかけて育てていくことを可能にする「高質な賃貸住宅」が求められていくと思う。そうした住宅に、住人たちも育ててもらうようになることが理想だ。
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果たして、こんな考えに共感し住んでくれる方は、現れるだろうか?
(タイトル写真は僕の自宅近所にあった御用聞き専門の魚屋さんの建物。2019年9月10日の撮影直後に取り壊され、今は更地になっている。5,6年前まで、二階窓前に「魚鐘」と書かれた大きな看板があった。存在感のある建物が解体されるのは寂しいものだ)
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