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第十七回 敷地境界線、確定す!

土地家屋調査士H氏から、役所との交渉をうまく終えたとの連絡をもらった。H氏が仮測量図で引いた境界線よりもさらに1メートル、父の土地が広くなるように境界線をずらすことの了解をもらったそうだ。ただ、その前提はあくまでK氏の承諾を得ることだと確認された。

いよいよ、隣接地保有者から合意をもらうプロセスに入る。まず、世帯主が行方不明というT氏の家のポストに、10/11に境界の件で会いたいとの手紙を入れた。そしてその日、父とH氏が尋ねると、どういう理由かわからないが何とT氏本人が在宅。境界確定の承諾書をもらうことができたという。その日の夕方、母から連絡をもらった僕は、あまりの順調さに拍子抜けした。「案ずるより産むが易し」かもしれない。

10/13(土)の朝10時半には、僕の実家にT氏を除く隣接地所有者6人が集まり、H氏のガイドのもとで、いよいよ境界を確認してそこに杭を打つ作業を行った。東京にいる僕は、朝から気が気ではなかった。集まってくる方々は、僕が子供の頃に会った記憶がある人たちではあるが、K氏を除いてその後全く会ったことがない。K氏は僕より一年上で、子供のころはよく遊んだ仲だが、その後没交渉になっている。唯一会ったのは、十数年前の叔母の葬儀のときぐらいだ。その家は代々教員一家で、K氏夫妻も小学校か中学の先生のはずだ。

その日の夜、母から電話があった。17時半くらいまでかかって、杭を打っていき、先程終わって皆帰った。H氏が提案した境界で、特に質問や異論などもなく全員合意したという。やれやれ、良かった。これで、敷地の境界が確定した。いずれいつかはしなければならなかった作業だ。H氏のおかげで、いい落としどころに落ち着いたようだ。

計画地の登記簿に記載されている面積と、ほぼ同じ面積になるように境界を確定することができた。公図ではもっと狭い面積となっていた。H氏の判断は、現況よりも狭いものの公図よりも広くなり、かつ面積が登記簿の記載と一致するように境界線を引くというものだった。そして、それで全員が合意した。

下は現況図面に、前回H氏が引いた予定線(青線)と今回確定した境界線(赤線)を重ねた図面だ。黄色部分約19㎡広がった。下側中央部の赤い縦2点が、見出し写真の赤い杭。ここから右側は現況道路とのずれは小さい。

一方、下側左の赤いやや斜め2点は、現況道路から1m強だけ食い込んでいる。下の写真の赤い杭がまさにその赤点。この間が、今回確定した道路になる。

僕はこれまで土地家屋調査士という仕事を、ほとんど知らなかった。土地の境界の確定に、ここまで主体的に関わるとは思っていなかった。土地の境界というものは、中世(鎌倉、室町時代)から住民間の紛争のもとだ。狂言には、地方の告訴人が都の役人に判断を仰ぎに上京する場面がよくある。僕は、それと同じように住民間の境界の諍いは、役所が責任を持って決めるものだと思っていた。しかし、古くからの集落では昔の公式資料が揃っていることは稀だ。役所だって決めようがないこともあるだろう。だから、公的資格を持つ土地家屋調査士が必要になる。中立の立場から調整し、利害が反する隣接する土地保有者全員の合意を取り付けて、そこに物理的に杭を打ち込み確定測量図を作成する。そして、それが登記され、登記所に公式記録として残り今後の基準となる。

H氏には申し訳ないが、最初僕は依頼人である僕や父の意見をある程度取り入れて、こちらに有利に事を運んでくれるものだと思っていた。しかし、必ずしもそうではなかった。土地建物調査士は、依頼人の望む境界線を引くのではなく、記録と現況に基づき総合的に判断し、あくまで公正に境界線を設定するのだ。そういう意味では、依頼人の要望に応えるわけではない公認会計士や税理士と同じ立ち位置だ。

さらには、関係者間で合意できず紛争に至った場合の解決にも、主体的に関わることが認められており一部弁護士の役割も担う。

なるほど、世の中には社会をうまく回していくための仕組みができているのだと、感心した。僕には、まだまだ知らないことがたくさんある。

なにはともあれ、境界が確定したので、これで敷地のどこに建物を配置するかの配置図が完成できる。やっと本格的に建物の検討に入れるのだ。建築家である栗原さんの本領発揮だ。


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