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第十回 いよいよ古屋解体

父ともめた(第五回参照)古屋の解体を、まず進めることになった。建築事務所studio velocityが何度も発注している解体業者に見積もりを出してもらい、2018年6月4日の打ち合わせ時に確認させてもらった。

総額98万円だった。明細を見ると、解体工事以外にも、庭石撤去費、樹木撤去費も含まれている。僕はただ古屋を解体するだけだと勝手に思い込んでいたが、それに加え敷地の整備も同時にするわけだ。だから、敷地に置かれている庭石や、樹木の撤去などの作業も含まれている。なるほど、解体工事も敷地整備も、必要な重機は同じなのだろう。

そうなると、解体業者に敷地をどう整備したいかの、細かい指示が必要になる。解体業者選定にあたり、父の知り合いの業者にも見積もりを出してもらったが、さほど差はなかったので、建築家の意志をきちんと理解し実行してもらうことを重視し、当初の解体業者に依頼することにした。

以下が、当初解体業者に栗原さんが提示した図面だ。古屋の前にはちょっとした庭がある。また敷地全体はイヌマキ(地元ではホソバと呼ぶ)の生垣に囲われている。そして、西側は段差を付けるために、大き目の石が組まれている。これらを処分しなければならない。一部舗装の撤去も必要で、意外に大がかりだ。

両親はホソバの生垣に愛着があり、できるだけ残したいと希望。僕も、出来るだけ樹木は再利用したかった。僕が中学生くらいまで、屋敷には柿の木や夏ミカンの木や、他にも名前はわからないが色々な樹が生えていた。昔の家ではそれが普通だったのだと思う。しかし、その後次々に伐採し、今は何も残っていない。ホソバのほとんどは、その後植えたものだ。

僕の中では、子供の頃の空間としての家の思い出は、なぜかそれらの樹々と結びついてる。小さい頃飼っていた犬は、柿の樹の下の犬小屋の前にいつも寝そべっていたな、という具合だ。なぜ父が屋敷の樹々を伐採してしまったのかは知らない。大人になってから、帰省し実家に戻っても、樹がなく殺風景になったそこは、もう自分が子供時代を過ごした家とはどこか違うと感じてきた。そういうこともあったので、父のホソバへの愛着は、ちょっと嬉しい誤算だった。

栗原さんは、工事の邪魔にならないように、ホソバの木を一旦西側の畑(図面左端)に植え替え、建築工事が進んだ段階で植栽として再利用する案を考えてくれた。石も同様にいったん移動し、また再利用する計画だ。ただ、夏に樹木を植えかえると、根がつかず枯れてしまうリスクは高い。それでも、少しでも再利用できればとの思いで、解体と同時に植え替えことにした。その後、毎日母は大量の水を、植え替えたホソバに撒き続けることになる。

6月4日の打ち合わせ終了後、敷地に停めてある車まで栗原さんらを送った僕は、敷地の端っこにあるレモンの樹を二人に見せようとそこへ連れて行った。レモンの樹に隠れるように置いてある、古いコンクリートのふたを見つけた。すぐそれが井戸だと気付いた。

「この井戸は、僕が10歳くらいの頃まで自宅で使われていた。その後は全く使われていないのだが、まだ涸れてないだろうか」と言うと、すかさずスタッフの鈴木さんが井戸の蓋を明け、小石を落とした。すると、少しの間をおいてポチャーンと音がした。まだ涸れていなかった。

僕は閃き、二人に言った。「この井戸を活用できないだろうか。地震などの災害時に井戸があると安心だ。また、井戸水を使って建物を冷やすこともできるかも。4軒の住人が井戸端会議ができる場があれば、コミュニケーションもよくなる。」思いつきだったが、二人とも乗ってきてくれた。「いやー、それは面白いですねえ。考えてみましょう」次回の打ち合わせまでに、この井戸が衛生面で問題ないか保健所に検査してもらうことを決め、二人と別れた。


(見出し画像の左側に見える生垣がホソバ。これは隣家の生垣だが、同様の生垣が実家の敷地の周囲に植えられている)

(「遠州地方(静岡県浜松市)ではホソバ(細葉)と呼ばれ、特に南部地域においては防風林防砂林目的に生垣として利用されてきた。これは周辺の畑が砂であることや、遠州灘近くの海風で運ばれる砂を防ぐ目的で植えられている。浜の近くの古民家では必ずといっていいほどこの生垣を持っていた。そのため子供たちはおやつ感覚でその実を食べ、葉っぱで手裏剣などを作っていた。by Wikipedia」今回、初めて「ホソバ」という呼称が方言だと知った!手裏剣を作った記憶も甦った)





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