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第十一回 解体工事と再利用計画

2018年7月18日、解体工事が始まった。その翌日に、打合せを設定したので、僕も立ち会うことができた。(5月11日の打ち合わせ時に、その後ほぼ三週間ごとに定例打合せをすることを決めた。)栗原さんは、解体時にでる撤去物の再利用のプランも作成してくれていた。

古井戸の水質検査の結果も良好だった。10の検査項目のうち、一般細菌の項目だけが不適だったが、その項目は井戸であればほぼすべて不適であるらしいとのこと。簡易フィルターを付ければ、飲用しても問題ない。

栗原さんのプラン(解体物再利用計画図)は以下だ。まず、ホソバの樹(緑の円弧部分)は道路からの視界遮断と西日の制御に使う。石は北側の畑との境界に使用。ここが高低差があるので、石積みが役立つ。また、東側にある実家との境界にも石を置く。敷地の中央部分を「生垣と建築に囲まれた公園のような共有広場」にしたいそうだ。これだけのホソバの樹が、枯れないで残ればいいが・・・。

そして、東側の実家のすぐ北(上)に井戸(図面右上の小さな●)があり、そこを「井戸のある庭」としている。井戸が、北東の棟(B棟)の専有にならないような工夫が必要だろう。また、解体予定の古屋の建材(瓦・構造体)を敷地内のどこかに有効活用できないかも検討しているという。大賛成だ。産業廃棄物として捨てられるのは、しのびない。少しでも生き続けて欲しい。

解体工事は、この図面を参考にして進められた。僕がいた7月19日は猛暑だった。こんな暑い日に工事をしてもらって申し訳なく感じた。パワーショベル一台が、古屋を打ち壊していった。僕は中学生くらいまでは、その古屋に住んでいた。少なからず思い出もある。でも、不思議なほどノスタルジーのようなものは感じなかった。それよりも、素敵な賃貸住宅をつくるにはどうすればいいかで、頭がいっぱいだったのだろう。

解体業者一人と建築事務所スタッフの鈴木さんの二人で、実質的にすべての作業を行った。鈴木さんは灼熱の中、帽子もかぶらずに作業していたので、見かねた母が父の帽子を貸したとのこと。建築家になるのも大変だ。当初解体作業は、2,3日で終わる予定だったが、結局1週間近くかかった。(並行して、アトリエ増築工事も別の大工さんによって進められていた。第五回参照)

予想以上に時間がかかったのは、古屋の建材を再利用するため、それらが破壊されないように、注意深く作業をしたことも影響しただろう。周囲の風景に馴染むような建築にして欲しい、とはお願いしていた。そのために、土地の記憶を引き継ぐ装置として、解体物の一部を再利用しようということなのだろうか。予想外だったが、なるほど確かにいいかもしれない。

古屋を倒壊させる前に、鈴木さんは屋根に登って、屋根瓦を一枚ずつはがして降ろし、また古い建具も今ではもうこういうものは作れないから、と集めて地面に並べていた。倒壊後も、柱や梁などの木材を傷つけないように分解し並べた。僕はそこまでやるとは思っていなかった。まだ、それらをどのように再利用するか、決まっていないのに・・・。決まっていないから、後で後悔しないように、全部を大事に取っておくのだろうか。

約1週間後、解体後の敷地の写真を鈴木さんに送ってもらった(見出し写真も)。ブルーシートの下に、柱や梁の一部が置かれている。

後日、鈴木さんから、解体した古屋から出た木材一本一本をスケッチし、大きさも書き込んだリストを見せてもらった。まるで博物学の記録だ。そこまでするのかと驚いた。これらの建材や瓦が、これからどのように再利用され息を吹き返するのか、本当に楽しみになった。


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