noteを書かなくていいという結論に至った自分が寂しい

昔は、必要に迫られて書いていた。今は、昔も含めて必要に迫られていなかったことに気づき、書かなくなった。
理屈では書かなくていいと納得しているが、寂しい。未来の自分はきっともっと寂しいだろう。

今の自分は、自分が平凡な人間になってしまった気がして寂しい。未来の自分は、おもちゃが減って寂しいと思う。今の自分が書いたnoteは、未来の自分にとっておもちゃになる。「あの頃の俺、極端な考えしてんな(笑)」など先輩面でツッコミながら読めるから。

どうした、今の俺。若林正恭になりたいんじゃなかったのか。そんなんでいいのか。もっと変なことしてくれよ。博多駅で鬼ごっことかしてくれよ。何でもいいから、俺を楽しませてくれよ。寂しいよ、俺は。おう。
ラジオも録ってないよな。お前の自分語りを聞きたいよ、俺は。M-1の感想とか、プリキュアの話とかまたしてくれよ。俺はプリキュアは知んねえけどよ、お前が我を忘れて熱くなってるあの感じが好きなんだよ。誰もいない部屋で喋ってる、冷静になると「え、何これ?」って感じがゾクゾクすんだよ。

待ってるからな。またな。近々飲もうや。おう。

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