ネガティブマイノリティ〜俺はずっと、こっち側の人間〜
過去の経験に癒着する最低の自己評価
学生時代、私は複数回のいじめを経験しました。その原因は、自分の浅はかな行動にあったと自覚しており、その結果として受けた苦しみを今でも背負って生きています。ある人からの「薄っぺらい」の一言で、痛烈にあの頃の卑屈で悲しみと殺意に満ちた自分が蘇ってきました。その言葉は、私の存在全体を否定するとともに私が虐められるに値する人間だと肯定するものであり、何より私の最低な自己評価を呼び起こす結果となりました。
怒りと嫌悪感の背景
私はなぜ、この言葉にこれほどの怒りと嫌悪感を抱くのか。それは、この言葉が私の深い自己疑念を突き刺すからです。自分の存在が薄っぺらいと感じられることは、自分に価値がないと宣告されたようなものであり、それが私の心を強く揺さぶるのです。さらに、その言葉が発せられた背景は、かつて私を苦しめた奴らと信じる者が同じ視点で私を観ているという事実を裏付けるものであり、それが私にとって深い悲しみを伴うものになってしまったという点です。まるで、私を苦しめてきた奴らの思考が、私の近い存在にまで及んでいるかのようで、あの頃感じた孤独感と恐怖が呼び起こされたのを感じています。
俺はずっと、こっち側
しかし私は、この出来事から逃れられず、この後もずっと日々を送っていくことでしょう。失望を抱えて生きることには慣れています。ある種、慢性化して痛みを感じなくなるのは時間の問題だと知っていますから。ただ言えることは何年経っても、子供が出来ても見た目が大人になり、オッサンになっても、私はずっと、こっち側の人間なんだなということです。ネガティブマイノリティ。これが私の宿命であり、表現の源泉にあるのは間違いないようです。