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第1子の孤独で大変だった子育て

( 代理投稿 )


ココオル代表の中学校の同級生「ゆきわ」です。学校関係者で2児の母をしているのですが、第1子の育児がとにかく孤独で大変だった…

駅の改札、ベビーカーでもたつこうものなら「チッ」と舌打ちされる世知辛さ。
でも、神のように美しい笑顔を小さな息子に向けてくれる人もいました。

お出かけ好きの息子に付き合う、ヘトヘトの私。
近所で結婚披露宴とか同窓会とか、そういう会場になる何階建てかのホールがあるのですが、その1階で喫茶コーナーがありました。

チーズケーキとジュースを頼んだと思います。息子と一緒に飲食した後、会計しに行くと、そこのお姉さんが息子を見て「可愛い」とほほえんでくれる。

私は思わず、何枚かあった千円札から、とっさに新券を選んで差し出していました。


ココオルでもきっと、これに似た現象が起きている。
丸田くんがピュアで一生懸命だから、丸田くんを知っている人も知らない人も、美しい心を惜しみなく使う。
そんな珠玉の人間関係で、ココオルは成り立っているのだと思います。

前置きは以上で、ここからが本題です。

プルプルで可愛い赤ちゃんと、枯れ枝のように痩せて疲れ果てた私。

乳飲み子の息子と離れることは考えられなかった。
0歳だった息子と離れたのは、私が体調不良で受診するために夫に託した1回、友達の結婚式に参加するため、実家の母に託した2回、合計3回でした。

私がお風呂に入っていると、息子が泣いて、夫に抱っこされてお風呂に入っている私に会いにくる。そんな育児光景。

学校関係者の私は思います。幼少期に、こんなにも母親を求める時期に、母親から虐待を受けた子がいる。それがどんなに悲しくて深刻なことかと痛感するのです。

虐待はいけない。でも、その母親がケシカランというのは、いささか乱暴です。
本当に、自分が死ぬかと思うぐらい追い込まれるのが、現代の育児環境。とても危なっかしいのです。

現に、私は自分がいよいよ疲れ果てて育児ができないとなった時、どうしていいかわかりませんでした。

それは、息子の1歳の誕生日を祝った翌日でした。
ものすごい疲労と、皮膚炎が悪化してケロイド状になった手指。

もう、私一人ではどうにもできない。
そう思って、ケータイ(当時はガラケー)でベビーシッターについて調べてみる。
マッチング的なサイトを見つけたけど、何かあっても責任は取れないという感じ。

唯一の頼みの綱は、民生委員さんが赤ちゃん訪問で持ってきてくれたり、乳児検診で持ち帰る封筒に入っていたりする、市立保育所の一時預かりの情報。市内に1か所あり、朝9時から夕方5時まで預かってくれて、1日2000円。

そこまで自転車で連れて行くのはちょっと大変だけど、息子と離れて心身を休めることができる。とても助かりました。

初めて預けた日、息子は保育所の魅力的なおもちゃに釘付けで、私がバイバイしても平然としていました。
無理もありません。これまで、市立保育所の赤ちゃんルームなどに参加して、母親の私もずっと一緒という経験を繰り返してきたのです。

しかし、この日に息子は学ぶのです。この場所でお母ちゃんが離れていくと、しばらく戻ってこないと。

だから、2回目に預けてバイバイしたときは、みるみる泣き顔になり、ハイハイして必死で私を追いかけて、必死すぎて私を追い抜かしていることにも気付いていない息子。

その時の息子の泣き顔と、ハイハイしていた小さな背中を、私は忘れることができません。
どの服を着ていたかも、鮮明に覚えています。

でも、回数を重ねると、息子もすっかり慣れてくれて、保育士さんから
「今日は、よぉ遊んだよ~!」とほめてもらえたり。
母子ともにメリットがある。そう思いました。


職場復帰

その頃、私は職場復帰を控えていました。
市役所に提出する書類に第5希望の保育園まで書く欄があって、全部埋めて、どこかには入れるかな?と期待してみたけど、年度途中だったし、どこにも入れませんでした。

でも育休は一度延長していて、再延長はできないし、私も仕事の立場上、復帰する気まんまんだったので、家から少し離れたところにある認可外の保育園に息子を預けることに。
そこにも慣れてもらうため、その園の一時預かりも何度か利用しました。

いざ、職場復帰。
乳児を育てながら働くなんて、やれるもんならやってみろという世界だなと思うぐらいグタグタに疲れた日々でしたが、なんとかなりそうだなとは思いました。

しかし、その矢先に試練が訪れます。
息子が発熱し、こじらせて、入院してしまうという事態に…
入院には24時間、保護者の付き添いが必要でした。

この一連のことで、私は人生の行き止まりかと思うほど苦しむのですが、幸い、職場は私が抜けても回る状態でした。
息子には私がまだ付いている必要があったのだと思い、仕事を休んで私が付き添い続けました。
というか、隣の市に住んでいる私の母もフルタイムで働いていましたし、そうするしかありませんでした。時々、夫と母に付き添いを代わってもらいながら、入院期間を乗り切りました。


非常にありがたかった保育園

保育園にはとても助けられました。
一部屋に、あらゆる年齢のたくさんの子どもたち。そして、主に3人の保育士さん。きつい労働に違いありません。
でも、本当によく面倒をみてくれて、親身に対応してくれました。

仮にそれが演技だとしても、悪い気はしません。それだけエネルギーを注いでくれているのですから。
母親にとって、「可愛い」「大変」「心配」、こうした思いを共有してくれる人がいること、それが救いなのです。

また、息子は保育園に行ったことで、食事の前に手を合わせることを覚えました。
それまでの私は授乳に離乳食にとてんてこまいで、「いただきます」を教えるという発想すらなかったのです。

母親の自分にできることは限られている、子どもはみんなで育てるものだと思ったのでした。


4月になると、息子は晴れて第1希望の保育園の1歳児クラスに入ることができました。
その後また、試練が訪れます。

退勤して、自転車で保育園から息子を連れて帰ってくるのですが、息子が家に入ってくれません。自転車から降りたがらず、全力で抵抗するのです。エネルギーがあり余っていて、まだ公園などで遊びたいのです。

息子が不憫で、仕方なく、そのまま公園に連れて行ったり、一緒に買い物をしたりしてまた帰ってくるという生活を繰り返していたのですが、ついに私が参ってしまいました。
夫が同じぐらいの時間に帰ってくれば問題ないのですが、およそ世の中はそんなふうにはできていません(結婚したときも、夫の職場の上司・同僚は「じゃあもう上げ膳・据え膳だね」という認識です。子どもが0歳でも、夫は職場でこき使われました)。


家政婦紹介所のMさんとの出会い

それで、近所の家政婦紹介所に相談して、子どもの相手をしてくれる人ということで、Mさんというご年配の方にときどき来てもらうことになりました。費用は、スマホで調べたシッターよりは安かったです。民間のサービスを一時的に利用するという選択。お金はかかりますが、これは前向きな投資だとも思っていました。

自分と遊んでくれる人がいると、息子は喜んですんなりと家に入ります。
助かりました。私は家事ができます。
子どもは遊んで賢くなるといいますし、素敵なMさんと関われたことは、息子にとっても良かったと思っています。

Mさんには実子がいなくて、息子のように小さな子どもと関わったことがなかったそうですが、とてもよくしてくれて、息子もMさんにすっかり懐いていました。

Mさんはお知り合いの方が東日本大震災で被災され、少しでも(お金の)援助ができればと、家政婦の仕事を始めたそうです。
残念ながらお知り合いの方は自殺してしまったそうですが、そのようなご縁があって、今は私たちのところに来てくれているのかと、しみじみ思いました。

また、Mさんは高齢者のために朗読のボランティアをされているそうで、「それが、私も楽しいのよ!」と生き生きと話しておられました。

Mさんとのお付き合いは、3か月ほど続きました。またご縁があればお会いしたいと思っていました。

数年後、第2子(娘)の育休中のことです。
ある平日の日中に、私はベビーカーを押して、家から少し離れた地域を歩いていました。
行ったことはあるけど、行き方がよくわからない目的地。
このへんで誰かに道を尋ねようと声をかけたのが、偶然にもMさんでした!

私は跳び上がらんばかりに興奮して「Mさん! 私、〔ゆきわ〕です!」と言いました。
以前より目が悪くなったというMさんは、私が名乗ると思い出してくれました。

これまでの近況など、ベビーカーに乗せている赤ちゃんをかまいながら話したあと、Mさんは目的地までの安全な道を教えてくれ、私たちは別れました。

偶然といえば偶然ですが、人助けするMさんと、助けを求める私の、精妙な巡り合わせだったと言いたいところです。

第2子の育休中の市立保育所


第2子の育休中も市立保育所の一時預かりを利用しましたが、なかなか予約が取れませんでした。
持病がある私は、しばらくは治まっていたものの、またも体調を崩し、受診が必要となったときに子どもの一時預かりの予約が取れず、どうしたものかと思いました。

幸い、逃げ道がありました。
それは、他の市立保育所では、母親の体調不良などで育児ができないという緊急時のため、1日1名の預かり枠があると知ったのです。

助かりました。
私が受診する日に娘を最寄りの市立保育所で預かってもらうことができたのです。


第1子と第2子では、育児環境が大きく違いました。
第2子では慣れもありましたし、息子の保育園とのつながりがあって、保護者会の役員もするなど、第1子の時の孤独さはなく、これが雲泥の差でした。

自治体によって違うみたいですが、私が住んでいる市は、下の子が1歳の誕生日を迎える年度末までは、育休中であっても書類1枚を提出することで、上の子を引き続き保育園で預かってもらえます。実際、下の子の育児をしながら復帰後のために勉強を続けるということもあり、上の子を引き続き預かってもらえると、とても助かります。

さらに、私の母親がフルタイムの仕事を退職して非常勤となり、育児を手伝ってもらえる状況でもありました。「おばあちゃん格差」なんて言葉もあるそうです。第1子と第2子では、まさにそれでした。

保健センターからのお誘い


第1子の時のつらさ、特に孤独を象徴するエピソードが2つあります。

1つは、妊娠中に市の保健センターの両親学級に参加していたのですが、息子が生後2か月ぐらいで、「先輩ママとして両親学級に参加しませんか」という案内が保健センターから来た時のことです。

「絶対行きたい!」と思いました。誰かに会えるのが嬉しすぎて、その思いを抑えられないほどでした。まだ首がすわらない息子を子守帯(抱っこひも)で横向き抱っこ(専用のパーツがある)して市営バスに乗り、ワクワクしすぎながら保健センターに向かったのを今でも鮮明に覚えています。

2回参加し、2回目なんて両親学級を一緒に受けた人に再会したこともあり、嬉しくてテンション上がりすぎで社交的な人と思われたのか、素敵なママ友が3人もできて、その後も交流が続きました。

そのうち1人は遠方に引っ越したのですが、今も子どもの写真付きの年賀状を出し合っています。

壊れたバックル


もう1つのエピソード。息子の首がすわると、子守帯で抱っこして、あちこちお出かけしたのですが、寂しかったので、時間があれば息子をそのように抱っこして町をさまよったりしました。

息子の体重が子守帯の耐荷重量に達する頃、すなわち子守帯が役目を終える頃、腰でカチッと止めるバックルが破損しました。

あぁ、私はこんなにも息子を抱っこして、そして寂しかったんだなと、しみじみ思ったのでした。

かつては横向き抱っこで保健センターに行き、家事をするときも同じ子守帯でおんぶしました。息子の首がすわったら、おんぶして家事をする気まんまんだったけど、いざそうなると、赤ちゃんを自分で背中におんぶするというのが、慣れるまではけっこう難しかった。

子守帯の取扱説明書には、おんぶするときは誰かに手伝ってもらうと安全とか書いてあるけど、その手伝ってくれる誰かがいないから、おんぶするんだけどなぁなんて思う自分がいました。


教育関係者の実感として感じる子どもたちの現実


教育関係者の実感として「子どもたちが年々しんどくなる」というものがあります。母親だって現代社会に生きる生身の人間であり、自分のキャパシティーや周囲とのつながりの希薄化などが影響して、年々しんどくなっているかもしれません。

うちは第1子と第2子で4歳離れていて、その間に定期の予防接種が増えてスケジュールがずいぶん変わりましたし、社会は変わる、子どもも変わる、母親だって例外ではないでしょう。

しんどくて一時預かりを希望する母親が増えて、枠は限られているので予約が取りにくくなったことも考えられます。社会全体で、ほんの気持ちだけでも、母親を支える意識をより多くの人が持てることを願います。

日本は妊産婦の自殺が多いとか、コロナ禍で主婦の自殺が増えたとか、悲しいことです。

つらかった、しんどかった、でも頑張った、運にも恵まれ、多くの人に助けてもらった。
私はそのように思うことができています。

一人でも多くの母親が、生きて、ともに歩み、励まし合い、認め合うことができる。
そのようにできる環境が整うことが悲願です。


息子がまだ寝返りもしていない月齢の頃、市の女性センター(現在は男女共同参画センター)に息子を連れて、子育ての講演を聴きに行きました。
講師は、遠方でおもちゃ屋さんを営み、子育ての本も出しているおじちゃま。

もともと先着○組の小規模な講演の予定でしたが、申し込み多数。
講師さんのご厚意で、広い会場に変更しての実施でした。

会場には、たくさんの親子。子どもは様々な年齢・月齢。床にはたくさんのおもちゃ。
息子はおもちゃに手を出すには早く、見せると目で追うという段階でした。見ることが遊びになるという段階です。

少し前、育児で疲れ果てていた私のもとに、学生時代の友人たちからの出産祝いが届きました。それはベッドメリー。オルゴールの音色が骨身にしみて癒され、回るメリーを見て喜ぶ息子の笑顔がどれだけ可愛かったか。

ずっと見ているのも疲れることがあるようなので、様子を見ながら止めてあげ、このように母親というのは片時も赤ちゃんから目が離せないものです。


講演で印象的だったのが、妊娠・出産・授乳までは「母性」でできるけど、子育ては「文化」だということ。そこも母性に頼ってしまっているのが、現在の子育て環境だということ。

考えてみると、昔は「授乳」すら、身分の高い人はしなかった。乳母に任せていた。
現在は母乳神話・母乳至上主義も存在し、母親たちが四苦八苦している。


講演の終盤で、講師さんがふわっと透けるハンカチのような布を揺らしながら、わらべうたを歌われました。

すると、ガヤガヤ・ザワザワしていた会場が静かになり、子どもも大人もみんな見入って、聴き入る。
魔法のようでした。文化の力です。

そして講師さんはおっしゃいます。


たくさんの人の胸を借りながら子育てしたらいい


と。本当に、私もそう思うのです。

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