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雪組「心中・恋の大和路」

久しぶりにうっとおしいほど熱い「#心中・恋の大和路」観劇日誌を掲載します。これはもう、誰のためでもなく自分に対する宿題です。観終わった後、感想をまとめようとしても、想いがまとまらずモヤモヤ…。本日夜に楽天TVやU−NEXTでディレイ配信があるので、そこまでには「夏休みの宿題」を終わらせたかった、ようやく一旦筆を置くことにしました。

公演概要

観劇日 2022/07/23 及び 07/24
    2022/08/10 
場所  シアター・ドラマシティ
    日本青年館
主演  和希そら

この公演は、#宝塚歌劇団 #雪組 の別箱公演。
新型コロナウィルス感染拡大の煽りを食って、7月26日から千秋楽まで中止となり、東京も当初の千秋楽だった8月9日の15時30分が初日となった。奇跡的に8月10日2公演の追加が発表され、その後ディレイ配信が発表された(8月28日19時〜)。

近松の世話物「冥途の飛脚」をベースにしたこの作品は再演を重ねられてきた名作。これまで瀬戸内美八、剣幸、汐風幸、壮一帆(敬称略)が主演しているこの作品、私は幸ちゃん(汐風幸)が主演したバウホール公演を観劇した。1998年6月に雪組はバウホール、1999年1月は日本青年館で上演していて組替えがあったためキャストが一部変わった形で東京公演が行われている。(その時に八右衛門を演じていた当時雪組の汐美真帆さんがこの公演を最後に月組に組替え)

あらすじ

大坂の飛脚問屋・亀屋の忠兵衛は、大和新口村より亀屋に養子に入り当主として差配を振るっていたが、新町の遊郭・槌屋の梅川と馴染になってから、梅川に入れ上げて新町に通う日々。梅川への身請け話を聞き、梅川を誰にも渡したくない忠兵衛は、忠兵衛のたった一人の友達である八右衛門宛の預かり金の銀五十両を梅川の身請けの手付金として槌屋に納めてしまった。預かり金の使い込みは飛脚問屋の主人として決して許されることではなく、忠兵衛の商人としての危うさを感じる八右衛門だったが、梅川を思う忠兵衛の気持ちを考え、一旦は腹に収めて、忠兵衛のために偽の受け取り証文を書いたのだった。
手付金で槌屋を黙らせることはできたが、梅川を身請けするにはお金が足りない。堂島の侍屋敷へ届ける三百両を懐にしていた忠兵衛は「この金があれば」と、亀屋の主人としての自分と恋しい梅川との間で葛藤していた。
その頃、忠兵衛を案じて、新町で悪い噂を立てれば、立ち入れなくなると考えた八右衛門は、槌屋で忠兵衛は八右衛門のお金に手をつけたと大声で騒ぎ、迷いながらも槌屋に来てしまった忠兵衛に聞かれてしまう。友に裏切られたと逆上し、梅川や手代の与平が止めるのも聞かず、封印を切ってしまう。梅川や槌屋にも自分の金だと誤魔化すが、梅川にはばれてしまう。客の金に手を付けるのは御法度。商人として渡ってはいけない橋を渡った忠兵衛と梅川が向う先は愛を貫く道行きしかなかった。やっとの思いで身請けした梅川を連れ、自分の生まれ故郷の新口村へ逃げ落ちる。落ちぶれても生きていて欲しいと無念を嘆く実父の孫右衛門にも名乗り出ることはできない忠兵衛だった。
八右衛門と与平は忠兵衛達に追いつき、早く逃げろと言われるが、忠兵衛はその心を理解できない。八右衛門が道中の足しにと煎り豆と路銀を梅川に渡す姿を見て、友の深い友情に気づくのだった。
飛脚問屋衆に追い詰められたが、これ限りと忠三郎の案内する裏道へ消えた二人。険しい雪山に踏み入っていく二人の姿が白い雪に溶け込んでいく。

あらすじ部分、少々長くなりました。

感想

互いのぬくもりを感じることが真実であり、死ぬことでしか許されない二人に、雪山はすべてを水に流してあげて優しかった。
とにかく「二人の気持ちがわかるなぁ」としみじみ。日本物の所作がどうとか、雰囲気がどうとかより、忠兵衛と梅川が最後あの道を選ぶ、ということがストンと腹落ちしたからだと思う。「そんなことをしたらダメなのに」「幸せになれないのに」「アホだなぁ」と思えることでも、当事者になった時に、そのアホなことをしでかしてしまうことや、取り返しのつかない道を進んでしまう弱さを併せ持っているものも人間。ダメだと頭で理解しているのに、それがままならない。忠兵衛と八右衛門、梅川とかもん大夫、対立させる関係で「理性と感情」で揺れる人間を描いていると思うのだけど、単に人間の表面的な哀れや愚かさではなく、それらの底に愛があって、愛の強さ、いじらしさ、儚さを美しく見せてくれるのが、宝塚の「心中・恋の大和路」なんだと、改めて思った。

再演を重ねている作品で、今回初演で裏方を担当された先生方が集まっているとのこと。どれだけ愛された作品なんだろう。
脚本・演者だけでなく、裏方さん万歳!と感じたところを挙げれば…「心中」といえば最後の雪山と絶唱。その雪山、新雪に人が足を踏み入れるとずぼっと沈み込んで足を取られることがある様を、忠兵衛や梅川が歩く際に、布へ空気を入れてその深い質感を出しているところや、歩いている時に背景の山(のモチーフの布)を上げて、距離感と険しさを出しているところとか。大坂から奈良に入ってきたんだろうと思わせる背景の素麺の天日干しとか(だよね)。セットも無駄がなくて、かつ細かい。斬新なロック調の曲、忠兵衛と梅川が追い詰められるような場面になると流れる不協和音は、これ聞くとパブロフの犬状態で不安な気持ちになる。照明も雪山で最後、二人に当てるライトが一段明るくなるので、見逃さないでほしい…とか。

キャストの方々

梅川の夢白あやちゃん

宙組そこそこ観てたはずだけど、「FLYING・SAPA」(上田久美子作)までは名前と顔が一致しなかった。ずんちゃん(桜木みなと)のスカイステージの番組でソーラン節踊っていたような…そんな印象。そらくんのフォトブックでタルハーミネとギィの扮装写真を観た時「これはイケる」と思ったのは私だけではないはず…。今回ポスターの美しさにまず驚き、とても可愛らしかった…。なんなら、千秋楽にそらくんが挨拶している後ろでずっと頷いていたのも、涙も可愛かった。
女郎が自由になるのは身請けされる以外なくて、自分を好いてくれる人にある意味しがみつくのはわかるものの、梅川の場合、いけずな田舎のおじさんに気に入られちゃってたわけだから、若くて男前な忠兵衛をそりゃ逃したくないよね、とは思う。夢白ちゃんの目の動きに必然性と表現力があって、台詞と相まって、自然に感情が伝わってきた。梅川が忠兵衛に心と身を預けているのが見えて、嘘が見えない。忠兵衛は「かわいいな」を隠していなくて、二人の場面はニヤニヤが止まらなかった。
例えば、かもん太夫が与平に情けをかける粋な場面に遅参してくる梅川が拗ねて忠兵衛に絡むんだけど、忠兵衛に一言声かけられ「ぱぁ」っと顔がほころぶところとか、「お梅」って言われたことに気づいた時の「はっ」とした表情がたまらなかった。また、2幕で孫右衛門との鼻緒の下りは、女の力強さを感じた。八右衛門から煎り豆と路銀を渡され「御新造さん」と呼びかけられている時、八右衛門が梅川を「忠兵衛を地獄へ落とした張本人」ではなく「忠兵衛が唯一心を許す人」として赦したことが伝わって、その時の梅川の反応も好きだった。ちょっと痩せてしまっていたところが、逆に梅川の儚さにもなっていて、黒紋付での「海老おんぶ」(?)の時に軽やかだった。夢白ちゃんが勝負をかけてそらくんについていっているっていう気持ちも伝わってきたし、本当にいい作品・いいお芝居を観られて楽しかった。

八右衛門のかちゃ

専科のかちゃが八右衛門になるとは正直思わなかった。でも、2014年の雪組再演と同じく、雪山の場面で歌うのは八右衛門だったので、歌えるかちゃは適任だったなぁと思う。八右衛門にせよ、与平にせよ、重要な場面でのソロは、観客も盛り上がっているのであの役は本当にハードル高いなと思う。
忠兵衛より大人な八右衛門。米問屋の八右衛門と飛脚問屋の忠兵衛とはどの部分で知り合いになったのか、など想像がうまく繋がらないところも正直あるけど、友達ゆえに槌屋で悪評を流して忠兵衛を出禁にさせるというのは、悪評を流す八右衛門も無粋なことをしていることになる。その気持ちをわからない忠兵衛だったことが悲劇であり、そこまでされたとしても、梅川をそばに置きたい忠兵衛としては、どのみち地獄しか待っていなかったんだなと思った。八右衛門も報われないなぁ。

与平のくっすー(諏訪さき)

雪組の若手の中では歌えるという印象。二幕でソロの場面があり、ドラマシティより日本青年館に来てから、声が前に出てきていると感じた。正直いえば、うまいのに若干押しが弱い。ハマコ(未来優希)ほどガンガン歌えというわけではないけど、与平は主人の忠兵衛を探し出して助けたい(逃したい)一心で八右衛門と旅に出るくらいだから、少々音を外しても、想いが溢れるくらいでよかったんじゃないかなと思う。与平が若いのに理性的な印象持っちゃったんだよね。忠兵衛が八右衛門に追い詰められて、髪を整える水入れを五十両の代わりにする場面で、忠兵衛や伊兵衛、丁稚までハラハラしているところを、結構冷静にいる与平だったので、この時の与平の気持ちはなんだったのかな…どんな子なんだろうなと想像を巡らせ…。自分を戒めた旦那様が追われる立場になっていて、17歳〜18歳くらいの手代になったばかりの子の落ち着きにしては佇まいが少々冷静すぎるかな、とも思った。

伊兵衛のまなはる(真那春人)さん

配役のイメージがぴったり。ナウオンステージで立先生に特訓を受けていたことを話されてて、真面目で、ご主人に厳しく言えないけど、亀屋のことを心配している番頭さんだった。旦那様の羽織をたたむ手元が丁寧で、立場がよく出てた。番頭より二幕で出てくる忠三郎の方が、まなはるさんが演じそうなキャラクター。琴羽りりちゃん演じるおかねに尻に敷かれてそうな、人の良さそうな役作りだった。

孫右衛門のゆうちゃん(汝鳥伶)さん

二幕の新口村の場面のみ出演という贅沢すぎる配役。NOW ON STAGE(スカイステージ)でそらくん達のトークから、ゆうちゃんさんの大活躍ぶりがわかる。本読みの現場に居合わせたかった。二人が黒紋付からみすぼらしい着物に着替えてからの場面、梅川が、転んで鼻緒が切れた孫右衛門を見て飛び出して行き、隠れている忠兵衛にせめて一目でも声をかけてほしいと懇願するが、そこを振り切る孫右衛門。たとえ養子に出しても、人の道を外れるようなことをするくらいなら、なぜ自分を頼って来なかったという悔しさ。そんな大きな愛情があったのに、なんてことをしてしまったのだという忠兵衛が見せる後悔。忠兵衛は梅川と逃げる場面では愛に生きる印象が強いけど、孫右衛門との場面は父の愛と後悔に涙を流し、胸を打たれる場面だった。ちなみに、89年のVTRを観たら、月組で上演した時は藤屋さんで出ていた!

継母の妙閑は千風カレンさん

前回、こうちゃん忠兵衛で観た時には、妙閑と孫右衛門が未沙のえるさんで娘役の母者殿は初めてみたかも。(私が、であって五峰亜季さんが演じていたこともあったのか)忠兵衛を養子にしたけど、孫右衛門いわく「邪険にしていた」のがなんとなくわかるような、忠兵衛も避けたがっているのがわかるような嫌味っぷり(褒めてます)。百姓から商家に養子に入るなんてやることなすこと全くわからないことだっただろうに、養母が厳しかったら「優しさ」を求めてしまうだろうなと思わせる母者だった。1場面、2場面で好ましく思われていない関係性を出すのはさすがのしどころ。追加公演のカーテンコールでのご挨拶、立派だった。

藤屋のまりん(悠真倫)さん

藤屋さんは飛脚問屋の元締め的な役回りで忠兵衛をチクチク追い詰めていますが、確かに忠兵衛と接触するのは二幕の最後の最後に追い詰めたところだけだった!今回周りの飛脚問屋は若手の生徒がやっているから(にわさんがいたらやってそうな役どころ)、まりんさんがいて、ビシッと締まった。以前は日本物が達者な専科の方が多くいらしたので、宿衆で出ていたんだな…と思うので、まりんさんの存在は大切。個人的にツボなのは、二幕最後に忠兵衛を追い詰めて、八右衛門に呼びかけられてから、刀を収めて「南無…」となる下り。あの時の飛脚問屋衆の「最後の情け」胸に来るものがあった。

お清のすみれ(愛すみれ)ちゃん

槌屋の皆さん。
2014年の再演ではおかねさん(忠三郎の奥さん)を演じていたと知り…納得してしまった。テンポよくはまりそう。今回歌う場面はなかったのかな、それとも愛染明王のところの影ソロは彼女なんですかね?(どなたか教えてください)。1998年の再演時は、この役を京三紗さん(専科)が演じていたわけだけど、すみれちゃん上手かったなぁ。大阪弁が滑らかで聞いてて引っかからないと思ったら大阪府出身だった(笑)。槌屋での立ち居振る舞い、忠兵衛や八右衛門が騒ぎを起こした時の動きが、地獄の沙汰も金次第って言葉がぴったり。小判をさっと受け取ってからの表情が秀逸だった。

おたつの羽織(夕夏)さん

小判の受け取りといえば、槌屋の遣手のおたつ(羽織夕夏)も同じ。
嶋屋と丸十が槌屋に乗り込んで来た時に、同じように忠兵衛から小判をもらって懐に入れて「ポン!」の叩き方に「うまいねぇ」と心の声が漏れた。「まかせときなはれ!」って心の声が聞こえてくる…。梅川がお酒飲みすぎと思えば「飲みすぎやで」なんつう感じで声かけているし、小芝居まで槌屋の場面は娘役が活躍してて目が離せなかった。羽織さんは二幕(相合籠)の場面では村娘となって、美声を聞かせてくれる。いや、この作品は娘役がすごく活躍していて嬉しかった。

かもん太夫

かもん太夫の妃華ゆきのさん。
改めて見ると、着物とかつらが本当に重たそう。灯奈美さんが演じていた大人の役を、そらくんの同期の妃華さんが演じるというのが感慨深い。台詞もはっきりしていて、聞きやすく。とても情けが深くて色気もあるかもん太夫だった。問屋の主の忠兵衛は手付五十両ですら工面に困っているのに、かもん大夫を見受けする大和の百姓って、一体どんだけお金持ちなんだ?。前述したけど、忠兵衛と八右衛門、梅川とかもん太夫って相対する関係性があると思っていて、かもん太夫はいわば「理性(大人の妥協)」梅川は「感情(自分の気持ち)」、誰でもこの2つの間で選択を求められることがあって、多くは「仕方ない」選択を取って「これが一番良かったんだ」と思い込もうとする。かもん太夫の存在は、観客の心を揺さぶるフックの役割なんだなと思った。

槌屋のみなさん

鳴渡瀬の莉奈くるみさん、千代歳の愛陽みちさんの遊女も可愛かった〜。忠兵衛と一緒に楽しんでいるのを見て梅川が嫉妬するのもわかるくらい可愛かった(え?)。新人公演を観られていなかったのが悔やまれます…。大暴れしている八右衛門を囲む時にも、いいお芝居していた。声がいいのもいい…。声がいい人、好きな私としては、今後ショーでも芝居でも歌ってほしい。印象に残ったのは特に千代歳さんの声。私が好きな透き通る系のきれいな声で、ぶれなくうまかった。この公演で顔と名前が一致して嬉しい!心中組は、下級生まで歌上手娘役さんが多くて耳福でした。そして、平野川の歌手の女の子は最下級生・華純沙那さんは、新人公演でヒロインやってる?(→調べて)。幇間役の希翠那音さんも難しい役を元気よく演じていた。太鼓持ちなんて見たこともないでしょうにね。

亀屋の丁稚衆

亀屋のメンバーの、おまんちゃん(愛羽あやね)、庄介さん(紀城ゆりや)、三太(霧乃あさと)。この3人のやり取りは一服の清涼剤。これまで庄介はゆみこちゃん(彩吹真央)やひとこちゃん(永久輝せあ)が演じていたりして、「あ、この男役さんはどういう感じのお芝居を普段するんだろうか」と興味を持った。私が観た愛耀子ちゃんのおまんちゃんが、忠兵衛こうちゃん(汐風幸)と丁々発止だったのが今でも記憶に残っているので、今回のおまんちゃんも元気でいい味出していて、みんなの記憶に残るといいな。

飛脚問屋衆と甚内さん

藤屋以外の飛脚問屋は上でも95期の天月翼さん。下級生も含めてまりんさんに食いついていっていたなと思った。飛脚問屋が身を隠して忠兵衛と梅川を追い詰めていく中での、道行きハーメルン的な登場をしていて、実に面白いなと再確認。特に一番好きなのが飴屋の飴細工の歌と踊りで、一禾あお(いちかあお)さんがクルクルっと回る面白い振り付け。ロック調の音楽が終わって、古物買の「ふる〜い、古い♪」に変わり、心が忙しくなるところは、その後の展開を予想させるようで、不気味な雰囲気があった。
それと、何気に第1幕の亀屋の店先で甚内と伊兵衛との「お金はまだか?」のやり取りの場面がツボ。1998年版で甚内さんを演じたすがた香さんは、本当に渋い役どころをうまく演じる方だったので、毎回観るのが楽しみだった。今回の甚内さん(蒼波黎也)、紙をもう少し厚めの和紙にしてあげたら、広げやすかったのではないか、と余計なことを考えていた。毎回埒が明かない亀屋にイライラしてて、忠兵衛が届けるか新町に行くかで迷っている時のお金なんで、イライラしているほどに忠兵衛の危うさがわかる重要な役どころだったと思う。

おかね役の琴羽りりさん

この役はずっとそうなのか、昔の公演パンフレットで確認できない(機種変更でデータが残ってない!)のだけど、今回は一幕最初の鳥追いのみで、二幕は新口村の忠三郎の奥さんの場面だけ。それだけに、二幕でのフルスロットルのまくし立てが、コミカルでもあり、忠兵衛を恐怖に陥れる不安を煽いでいる「罪なき悪意の一般人」だったりする、非常に重要な役だよね、と思った。琴羽りりさんもだけど、雪組の下級生娘役、もっと名前と顔を一致させよう。

忠兵衛のそら(和希そら)くん

軽妙な役や機転の効くいい女も演じたり、宙組最後の方では「夢千鳥」や「プロミセス・プロミセス」で、男臭い役を演じ、この間の雪組公演では17歳の少年役を演じていたそらくん。「心中・恋の大和路」の再演と、そらくん忠兵衛のニュースは純粋に嬉しかった。劇団よ、よくぞこの作品を当ててくれた!。
幕開き…飛脚が走る中、暗闇からこの世に心があるのかないのか…この世に未練を残したあの世の姿なのか、浮かび上がるように登場する忠兵衛から、雪山での絶命までとにかく目が離せなかった。若くて男前、遊び慣れている忠兵衛が梅川に寄せる強い想いは、ただひたすらに忠兵衛を慕って、柳の下で身を売っても待っているとまで言う梅川のいじらしさ、自分が守りたいと思う男気と、理由はあっても養子に出て実家を離れたこと、継母に邪険にされていて母性の渇望、寂しさもあったのかなと、想像できて楽しかった。
手代に上がったばかりの与平(諏訪)が懐の小判を手にして「この銀一枚あれば…」と誘惑されそうになっていたところを、忠兵衛がやんわりたしなめて、道を正してあげたのに、唯一の友達と思っていた男に、面目を潰され腹を立てて自らが禁を破ってしまう、その弱さや愚かしさ。
いざとなったら育ての親に頼んでお金を出してもらうこともできると言うということは頭にあった状態なのに、愛する梅川のために目の前のことしか見えなくなった一途さ。その過ちから、生みの親にもまともに会えず、追われる身となって地獄への道行きを進むことになる愛の行方が、哀しくて、純白の雪の中に静かに埋まっていく二人に「現世で報われてほしかった」と思わせる流れが、すべてを隠す雪山の慈愛ようのに思えるのでありました。
歌は言うまでもなく、指先の震えまで神経を研ぎ澄まして忠兵衛になっていた姿に引きずり込まれた。本当に、この名作に主演できたのってとんでもなく大きな財産だなと思う。(ディレイ配信ではマイクが衣擦れの音や呼吸までしっかり拾っていたので、イメージが膨らんで良かったなぁ)

与平と八右衛門、バージョン違いの疑問

観劇が終わって、感想を悶々と考えていた時に、与平が最後の「この世にただ一つ」を歌っていた時と、八右衛門が最後に歌うバージョンと、なんで変えたのだろう、と疑問が湧いた。配役メンバーの香盤的なものが第一としても、もし演出意図に違いがあるのか?と。
1998年の再演鑑賞時は、与平は「廓の女性に想いを寄せた」点は忠兵衛と共通だけど、全く逆の生き方に流れ、やることなすこと反面教師。与平が絶唱する隣で二人が雪山に消えていく場面は、主人・忠兵衛のおかげで道を踏み外さなかったから歌っている与平の「なんで!?」という想いが出ていて、「商いの道を外さなければ追われずに済んだのに…」と投げかけられ、観客の私は、目の前で雪山を這いつくばっている二人に「現世での愛がままならないけど、あの世まで一緒に行くんだな…」って気持ちが湧いてきて、人の世のやるせなさに号泣していたのかもしれない。
今回は、八右衛門が歌っているのを聞いて「(絶唱は)八右衛門の償いの気持ちが入っていて、歯車が噛み合わない現世で生きた二人を、二人きりの世界に行かせてやろう」という八右衛門の気持ちが込められているのかなと感じた。ただ、友達を想って「行かせてやろう」というのはわかるけど、「八右衛門が少し腹立てずにやり方考えたら、こんな最悪な結果にならなかったのに」という身も蓋もない話だけど、別の腹ただしい気持ちが芽生えてしまって、最後まで忠兵衛と八右衛門はどう捉えたらいいんだろう、と複雑に考えすぎてしまっていたかもしれない。
どちらにしても、最後、真っ白な雪山で絶命させ死に際まで美しく見せる宝塚テイストに涙でありました。

終わりに

過去に観た作品をキャストを変えて時間を経て観るということは不思議な気持ちになるもので、公演をいつ、どんなタイミングで、誰で観るのかによって、作品の感じ方が変わるものだと実感した。私が観た20年ちょっと前のその当時の思い出と共にストーリーや台詞、歌が次々と思い出され、勝手に目の前の現役キャストと比較してしまって、正直「何も知らない時代に戻って観劇したらどんなに幸せだろう」と思ったことも事実である。
「あの時は…」ともんもんとした部分もあったけど、東京公演を観るにあたって「比較でなく個性の違い」を探すことが、再演を観る楽しみの一つなのだと、ある程度腑に落ちたところがあったので、ディレイ配信をご覧になる方でも、以前この作品を観たことがある方は、「比べる」ことを手放すといいのかもしれないですね。

余談

忠兵衛と梅川の道行きをGoogleに落とし込んだら、結構な山越えしてるのね…ってなった。スカイステージの「名作の旅」残しておけばよかったな。


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