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クロチアゼパム日記⑩        政治家の選び方(その2) 2024/8/29

 前回の⑨で、「自民党総裁選を材料として政治家を品定めする訓練をするのが良い。」「こういう観点で評価できる筈。」とかを書いた。稲盛イズムに立てば「考え方(理念・ビジョン・政策方針など)」が一番大事とも書いた。その「考え方」は、浅いとか考えていないという採点はまずできるが、認識が甘いとか方向が間違っているという判定をするためには、基準となる「評価者自身の考え方」が必要になる。世界が平和であり自由で豊かな生活をおくりたいという事は、人類共通の望みであろうけども、「考え方(状況認識やそれに対する考察と方策)」は、個々人の環境や知見、倫理観・価値観によって独自のものであり、またそうでなければ知的ではない。自分なりにそれを再整理・再確認した上で、政治家の「考え方」を違うとか、なるほどというように評価することをお勧めしたい。(調子に乗っている感、偉そうな物言いが鼻につくでしょうけど、ちょっと止まらなくて。ご不快となったらすみません。)
 「考え方」を理念やビジョンの対立軸ですっきり整理するフレームを模索したが、これはどうも上手く描けなかった。僕自身のバイアスも排しきれていない。が、ともかく、テーマとそれに対するスタンス・施策をプロットした絵を準備したので、自分はどっち寄りか、どの案に賛成するのか、他のアイディアが無いのかを考えて頂ければ嬉しい。

【歴史観・国家観】
自民党の代表候補であるので、「中国や韓国に対する罪は償いきれない」「天皇陛下は不要」と明言するような人物はいないと思うが、祖先の行いに対する思いや皇室の存続に対する真剣度合いなどについては違いが滲み出てしまうと思う。歴史観や国家観などは暗黙知の領域ではあるが、どの候補者のスタンスがもっとも腑に落ちるかと考え直してみることは、自身のためにもなると思う。

【安全保障・外交】
政権として喫緊の課題は安全保障政策である。端的に言えば、中国の「新秩序」構築の評価、仕掛けられている世論戦、心理戦、法律戦および諜報・工作活動への対策、抑止力等についての「考え方」、そして、米国が同盟相手として認めるに足る「考え方」であるか否かである。

【経済・財政】
「経済は財政の上位に立つ」「成長によって税収を上げることこそ健全化」という論に激しく同意する。国民が政府に求めるものは、所得の増加と将来の不安を取り除くことである。経済理論は様々あるし、国家財政の測り方もひとつではない。日銀と通貨発行権を持ち永続を前提とする国家の会計を、家計簿レベルの感覚で説明されても納得はできない。収支が赤字でそれが問題なら資産を売却するべきだ。国債こそが政府の持ち得る武器であるので、使うべき時に使わないと国家である意味が無い。「規律」という言葉は響きこそ良いが、意味するところは「支配・固着」である。

【脱炭素・エネルギー】
そもそも、脱炭素なぞ日本の国家運営にとって重要な事ではない。国内の排出量をゼロにしたところで、地球に対するインパクトなどほとんどない。真に炭酸ガス排出を減らそうとするならば、途上国への日本型火力発電所の輸出とか、小型モジュール炉の実用化を促進するというようなことを志向すべきであり、国土を切り崩すことではない。政府に求められるのは、電力を安価で安定供給することにより、国内産業の競争力を強め、家庭の負担を減ずることである。

【夫婦家族別姓・性自認/性指向】
ファミリーネームを廃することは、婚姻や家族いう民衆の文化、戸籍という制度を破壊することに等しい。「選択的」という言葉のチョイスも胡散臭さを感じる。「僕たちは選択しないけど、お好きな人はどうぞ。」という話ではない。 性自認や性指向によって少数派が差別・抑圧されることは、人権侵害であろう。

 すっきりしない絵ばかりでお恥ずかしい限りだが、極論の間に妥当なスタンスが存在し、その位置取りがその人の見識であり、それら見識の総体がその人の「考え方」となるという僕の思いを示したかった。
 
 最後に、政治資金集めとその管理について言及しなかった理由だが、これは考察する価値が無いと見做しているからだ。所謂「裏金・闇資金」だが、こんなものは、政治資金規正法と脱税で処理されることだ。卑しさや不潔さはあるが、香典や祭りへの参加が票に繋がるなら、活動資金はいくらでも欲しいであろう。政治家も国民も卑しい部分を皆無にすることは出来ない。「政治不信」は、本質から関心を逸らすための論である。

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