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常夜灯

こんなにも、うまくいかないものか。
準備の時間がまったく足りない中で実施されたプレゼンは、箸にも棒にもかからず、終わりを迎えた。

そんなこともできないのか! 今まで何していた! 

会議室に響く上司の声。その目はもう私に、何の期待もしていなかった。

露骨に落ち込みながらデスクに戻るものの、何も手につく気がしない。PC画面を睨んでみるが、役目を果たしたパワーポイントが、「質疑応答」の画面をやる気なく映しているだけだった。

こんな日はさっさと切り上げて、アルコールに浸り、映画でも観よう。
帰り支度をしようとするが、なんとなく、周りから視線を感じる。
「あれだけ痛い目を見たのに、もう帰るのか」
そう言われている気がする。後ろめたさが、うなじを舐めてくる。居心地が悪くて、フロアから誰もいなくなるまで、動けなかった。

最寄駅と家をつなぐ道の中間地点に、コンビニがある。終電近くになると、レジにはいつも、アルバイトの男子学生が立っている。こんな日にかぎって彼は休みで、気持ちはさらに落ちる。

母親よりも年上に見える女性店員が、「フォークとお箸、どちらにしますか」と尋ねてくる。和風パスタなのだから、箸でいい。迷うなら、黙って両方、入れればいいのだ。
私は親切丁寧に「お箸で」と伝えて、お釣りを待つ。レシートは不要だと伝えて、温め終わったばかりの商品を受け取った。

チラシでいっぱいになったアパートの郵便受けを見て、さらに心はすさむ。ダイヤルロックを解除する気も起こらず、見て見ぬフリをして、部屋に入った。無駄な電気は消せといつも言っているのに、今日も室内は、全力で明るい。

「ただいま」
「おお、おかえり」

部屋着姿の同居人が、ソファに寝転んだまま、寝起きのような声を出す。こちらに顔を向けることすらしない。
それにイライラして、「あー疲れた」とわざと声を大きめに出す。やる気なく返される「おつかれさまあ」という返事が、また私の感情を、悪い方にばかり震わせた。

茶色いコンビニ袋から、ぬるくなった和風パスタを取り出す。おしぼりを雑に破って、もっと雑に手を拭くと、パスタの透明な包装を、バリバリと引き裂いた。コンビニ袋の奥に手を伸ばす。ガサガサと音を立てて、中身をくまなく漁る。

ない。

おかしい。ない。お箸。お箸が入っていない。フォークとお箸、どちらにするかわざわざ聞いたくせに、そのどちらも入っていない。そんなこともできないのか! 今まで何していた!  上司とまったく同じセリフが、脳内で爆音で再生された。なんでだよ。なんで今日にかぎって、こんななんだよ。

ドンドンと足をフローリングに叩き付けるようにしながら、キッチンに向かって、立て付けの悪い引き出しを開ける。使っていなかった割り箸を手に掴むと、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、再びテーブルに戻る。バンと音をたて、ビールと割り箸をテーブルに置く。

さっさと胃袋を満たすことだけ考える。お腹が減っているせいでイライラしているのだ。ついでにケーキとかプリンでも、買ってくればよかった。パスタだけでは、この怒りは収まらない。

「いただきます」

低いトーンで声に出す。とにかく、まずは胃袋。
間の抜けた声が聞こえたのは、一口目をいよいよ口に運ぼうとしたところだった。寝癖のまま過ごしていたのだろう、髪の毛をいじりながら、三年住み着いた同居人がいう。

「おれの飯、ないんだっけ?」

ここで、私の我慢は限界を迎えた。

恋人の顔面に、パスタをおもいきり投げつける。男はうわと情けない声をあげながら、炭水化物の糸にまみれた。動揺している様子を見届けることなく、私は玄関へ早足で向かう。車のキーをつかむと、そのまま外へ飛び出した。

「待って、待ってよ」

部屋着にサンダル姿の同居人が、パタパタとやる気なく追いかけてくる。本気で追いつく気が感じられず、それにもまたイライラする。「ねえ何に怒ってんの」「聞いてんの」「ごめんってば」「何かやったなら謝るから」「ねえ」駐車場までの距離がじれったい。ほぼ無職の男のだらしない声が、夜の住宅街に迷惑だ。ようやく手首を掴まれたのは、車の前まで来たところだった。

「ねえ、落ち着いてって。どしたの」
「うるさい! ほんっとうるさい!」
「何。何がいけないの」
「何でもだよ! 疲れて帰って来たって言ってんのに、おれの飯は?って。バカじゃないの! ほんとそういうとこだよ!」
「ああ、そうか、うん、ごめん」
「ごめんじゃないじゃん! いっつもすぐ謝るし! そのくせ改善されないし!? 何に謝ってんの? 反省してんの? 玄関の電気もつけっぱなし、ポストのチラシも全然捨てない! 働かないならせめて家のことくらいやってよ! 何なの!?」

ごめん、という声が小さくなる。いつもの顔だった。反省した素ぶりだけがやたらとうまい。ずっとこれで、人生のピンチを凌いできたことが、よくわかる。

「今日はもうムリ。ちょっと出かけてくる」
「どこ行くの」
「うっさい。関係ない」
「いや関係なくないじゃん。いなきゃ困るし」
「知らないわよ! 自分で生きる力くらいつけてよ!」
 
思わず手が出た。
乾いた破裂音が響いた。
右手は的確に、彼の頬を引っ叩いていた。

音が止んだ瞬間に、少しの罪悪感が芽生える。暴力でスッキリしたことが恥ずかしくなって、居心地が悪く、そのまま運転席に飛び込んだ。

男は、自分の頬に手を添えたまま、動かない。



ナビもセットしないまま、大きな通りを、道の続く限り走ってみる。

平日深夜の道は、歩行者もタクシーもほとんどいない。街に自分しかいない気がして、それがどうにも心地よかった。一人になりたかったのだなと、そんなことで気づく。小さな音で流れるFMラジオから、天気予報が流れている。「日本海側は」とキャスターが読み上げた途端、ふと浮かんだ。

そうだ、海にでもいこう。

泳ぐつもりは毛頭ない。ただ、大きなものをまえにして、自分の悩みや怒りが、どれだけ小さなものなのかを思い知らされたかった。雄大な景色に飲まれることで、私が考えている全てのことを、どうでもいいなと笑いとばしてほしかった。

高速道路に入ると、トラックや他県のナンバーの車が、魚群のように道に流れていた。その速度に足並みを揃えるように、アクセルを踏む右足の力を、コントロールする。ウインカーとハザードランプを出して、ワゴン車の後ろに入り込んだ。テールランプがやけに眩しくて、目を細める。

あいつは、今頃なにをしているだろうか。

自宅に置いてきた恋人を思い出す。部屋を片付ける習慣が一切ない男だが、さすがにフローリングにパスタが溢れていたら、拭き掃除くらいはしてくれるだろうか。床掃除用の布巾の場所を教えてこなかったことを思い出して、少しソワソワした。

いつもこうして、他人を信用してこなかったのがいけない気もする。教えればできるかもしれないのに、どうせできないだろうと考えて、なんでも自分でやるようにしていた。そのほうが、早そうだから。

でもその結果、プレゼンの準備は間に合わなかった。簡易的なデータすら引っ張ってこれず、新人でも作らないような粗末なパワーポイントが完成した。あのとき、もう少し周りを頼っていたら。上司に相談できていたら。

どうしてこんなに意地っ張りになったのだろう。「女子だから」といろんなところで差をつけられて来たぶんだけ、強くなろうとした。傷つかないようにするには、自分が強くなるのが手っ取り早かった。強くなるだけ、揶揄してくる人もいた。でもそれ以上に強くなれば、誰も何も言わなくなった。強くなればいい。誰も傷つけてこないように。

そう思って日々を生きていたら、いらないプライドまで背負ってしまった気がする。簡単には意見を曲げられず、理論武装することばかり覚えてきた。そこにやさしさや柔軟さなんて、身につける余地はなかった。コンビニ店員の顔が、ぼんやりと浮かんだ。

「ほんとうは、そんなに強くない」

ワゴン車のテールランプを見つめながら、声に出してみる。ほんとうは、そんなに強くない。ただ、傷つきたくなかっただけ。傷つかないように、心を固くしてきただけ。

涙腺が緩んで、耳から水が抜けるような、ぬるい開放感が襲った。ああ、なんだ、わたし、泣けるのか。涙なんて、とっくに枯れたかと思ってた。
アクセルを踏み込んで、追い越し車線に出る。ワゴン車は左手後方へ、滑るように姿を消していく。大丈夫、怖くない。バックミラーから視点を外して、前方のセダンを見つめる。道路を囲むように立ち並んでいたビル群は、いつの間にか姿を消していた。

オレンジ色の街灯だけが、リズムよく後ろに流れていく。
海まで、あと少しだ。

藍色の空が徐々に淡くなり始めたころ、車は私を乗せて、海辺に着いた。
車窓越しでも、波の音が聞こえる。大きな波、小さな波、目を瞑ってでも聞こえてくる。フロントガラスに収まりきらない大自然が、目の前でうねりを上げている。

運転席から降りると、壁にぶつかったような、強い風がドッと押し寄せた。潮が混じった風は頬にまとわりついたかと思うと、遥か後方に流れていく。風の行方を見守ったあと、また前を向いて、足を進めた。

どん。ざざざ。どどん。ざざざざ。
ざざあ。どん。どん。

不安定なリズムだが、その一つ一つが生命を生み出すように、波は次から次へと浜へ乗り上げる。細かな砂に足を取られながら、海と陸の交差地点へ向かった。足元の砂地が、徐々に湿り気を帯びてきているのがわかる。

風の音と、波の音。

どちらも譲らぬように、強く強く全身を揺らしてくる。
彼らにしてみれば、私は障害物でしかないのかもしれない。避けきれず、ぶつかって、それでも進む。たくましく、しなやかに、雄大に。

自分よりも遥かに巨大な存在に抱かれる。思考することを許さないように、波と風が五感を覆っていた。意識しないと呼吸すら止まってしまいそうで、深く深く、息を吸う。そして、足の指の先から髪の毛のてっぺんまで、全ての感情を押し出すように、叫んだ。

「わぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

その瞬間、私の声と魂が、海と風を切り裂いたように感じた。
ドドドドドドと音を立てて、吐き出したぶんだけ、新たな空気が体内に流れ込んでくる。

この世界に、私という存在は、あまりにも無力だ。そんな私でも、こうして呼吸し、生きている。強くなったり弱くなったりしながら、迷ったり振り向いたりしながら、それでも進んでいく。それしかないんだ。

スマホを取り出して、LINEを開く。届いていたメッセージに既読をつけ、タップする。「ごめん、スッキリしたから、帰ります」

陽が昇りかけていた。淡い青色は徐々に熱を持って、柔らかな暖色をにじませる。手元のスマートフォンが震える。早速、返事が届いた。

「拭き掃除したんだけど、雑巾の場所がわかんなくて。ティッシュ、使い切っちゃった。ごめんなさい」

ああ、やっぱり、そうだよね。
予想通りの展開すぎて、笑ってしまった。
帰ろう。私にはまだ、できることと、やるべきことがある。



町田発のロックバンド 「O two Current」の楽曲『常夜灯』のミュージックビデオ原作と、男性(主人公の家に寄生しているヒモ)役を担当しました。上記の掌編は、今作のために『常夜灯』の歌詞から膨らませて、書き下ろしたものです。

O two Current(以下、略してオツカレ)との出会いは、LINE@でした。
ヴォーカルの宮藤さんから、「島村楽器主催の全国コンテストで、オツカレが優勝したんです」と連絡をもらったことが、きっかけです。

僕自身が町田市に住んでいること、オツカレも町田で活動していること、そしてそんなバンドが全国優勝して、連絡をくれたこと。いろいろご縁がある話だと思って、「MVを作ったらおもしろそうですね」と、話が進みだしました。

オツカレはライブ中心で活動しているバンドで、「実力はあるけどMVはない」という状況でした。予算も限られているなかでできることはないかと思い、友人であり、Official髭男dism『ノーダウト』や、ANTENA『入道雲』を手掛けた映像監督である、かとうみさとに声をかけました。

そこからは本当に友人のツテだけで撮影チームを組んでいき(ヘアメイクに至っては6歳からの幼馴染じみです)、「じゃああとは主人公だ、誰にする?」と、かとうとも話した結果、まさかのSNSで募集をかけることにしました。

100名を超える応募の中で選んだのが、既に多くの映画やCMなどでも活躍している、黒澤はるかさんでした。「いや、なんでホンマもんの女優が!?」とザワつくスタッフ一同。(実はほかの応募者の中にも女優さんは数名いて、本当に恵まれた企画だったと思っています。いつかお仕事したいと思える人にも、数名出会えました。ありがとうございました)

こうしてメンバーは揃って、あとは「ヒモはカツセが演じるのが良い」「散々ヒモっぽいと言われてきたのだから、やってみれば良い」という話になり、ヒモとして出演もしながら、僕の原作を元に、MVを作っていきました。

本来はオツカレメンバー皆さんにも参加いただきたかったのですが、いろいろとトラブルでバタつき、連絡もなかなかできず、結果的に宮藤さんだけが参加する形となりました。そこだけ本当に、反省しています。

悔やんでもいますが、出来上がったMVは、初めて『常夜灯』を聴いたときに頭に浮かんだ映像を、ほぼそのまま、具現化できたのではないかと思っています。

初めてのミュージックビデオの脚本仕事でした。またこうしたものもやって行きたいです。『常夜灯』、素晴らしい作品になったので、ぜひご一読と、ご視聴をお願いします。






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