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葛尾劇「宝宝宝」 制作ノート vol.2


今回はキックオフイベントでも取り扱う「宝財踊り(ほうさいおどり)」についてご紹介いたします。

さて、葛尾村の伝統芸能といえば「三匹獅子舞」があります。ご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。


この伝統芸能は震災後に再興され、各地のイベントなどでも発表されています。

「宝財踊り」は葛尾村に伝わる伝統の中でも「途絶」と「継承」を繰り返している伝統文化です。元々「宝財踊り」というのはその起源を南北朝時代まで遡るとされています。

南北朝時代の霊山城(陸奥国伊達郡(現在の福島県伊達市霊山地域)にそびえる霊山の山頂付近にあった城)落城の際、主従が変装し、敵の中を踊りながら逃げたことに由来するとされています。現在、南相馬市鹿島地区や原町区に伝わっているのは、このことが起源とされています。


これらの宝財踊りは多くが男性のみで演じられることが多いのですが、双葉町に伝わる「前沢女宝財踊り」は全員が女性であるという特徴があります。


葛尾村でこの踊りが踊られるようになったのは1915年の頃。野行(のゆき)地区という、現在村内で唯一帰還困難地域に指定されている地区に伝わった踊りです。

この地区の鎮守愛宕明神の下に建立した開墾碑の除幕式の際に、浪江町から踊り手を招聘したことに始まります。その後戦時中を除き、1950年まで、愛宕明神や延命地蔵尊の祭礼に奉納されてきました。

最も盛んなときには、隣村の津島まで踊りに行っていたこともあり、このことから練り踊りの一端も伺えます。

断続的に続いていた宝財踊りは1962年に一端途切れてしまいますが、1983年に有志らによって宝財踊り保存会を立ち上げ復活させます。以後、毎年10月第四日曜日、愛宕明神の祭礼時に野行地区集会所前の広場で実施してきました。

その後1996年のふたばワールドinかつらお2001年のうつくしま未来博でも披露されました。この時に使用された衣装や小道具などは、現在「葛尾村郷土文化保存伝習館」に保存されています。

しかし、2011年に発生した東日本大震災によって葛尾村は村内全域が警戒区域又は計画的避難区域に指定され、全村民が村外に避難しました。これによって再び「宝財踊り」の活動が途絶えてしまいました。

空撮
「下枝空撮写真部屋」より 撮影日:平成28年3月17日


そのような状況の中、「宝財踊り」は人々を葛尾村とつなげる力を有していると感じます。今回のキックオフイベントでもお世話になる保存会の半沢富二雄さんは、葛尾小学校で宝財踊りの指導をされています。そのほかインタビューなどで、宝財踊りについても語っています。

(福島民友)【検証・帰還困難区域】葛尾 「奪われた」山の幸と絆


(毎日新聞)福島第1原発事故 避難指示続く葛尾・野行行政区 「宝財踊り」後世に 小中学生14人学ぶ /福島


また、福島大うつくしまふくしま未来支援センターの客員研究員である堀川直子さんは宝財踊りについてリサーチをし、『解説 野行の宝財踊り』を執筆されました。この解説書には葛尾村の歴史についても書かれていて、宝財踊り以外のことも窺い知ることができました。

(FURE 研究報告)「公共人類学の「協働」概念に関して-原発事故被災地葛尾村における事例から」

https://ir.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R000005580/26-10.pdf


さらに、葛尾村教育委員会によって、「野行の宝財踊り」を紹介するDVD制作が行われました。このDVDを見ながら、ふたば未来学園の演劇部の皆さんが宝財踊りの基本の部分を練習しています。

(FaceBook投稿)福島県民俗学会 
【福島民友:「宝財踊り」DVDに 野行の無形文化財、葛尾村教委制作】
https://www.facebook.com/fukushimafolklore/posts/2589281334648800


このように過去から現代に向かって、「宝財踊り」は断続的に継承され続けているのです。今回のキックオフイベントでも、保存会の半澤さんのもと、宝財踊り体験イベントを用意しております。稲刈りイベントと合わせての開催のため、参加者は締め切られたとのことですが、当日配信もする予定ですので、どうぞそちらでもお楽しみください。

(つづく)


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