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佐伯哲也のお城てくてく物語

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『城郭図面集』シリーズの著者、佐伯哲也さんがお城の意外な一面や興味深い新事実を紹介しています。
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#桂書房

佐伯哲也のお城てくてく物語 #6

第6回 越中最強の城は松倉城? 越中には戦国時代、約4百の城が存在した。その中には難攻不落の名城として名高い城もたくさんある。その中で最強の城はどれだろうか。  勿論知名度・要害度・個人的感覚によって「最強」の定義は違ってくる。ここでは公平をきたすため、どれだけ敵軍の攻撃を防いできたのか、という実績で決定したいと思う。  実績だけで決めるなら、越中最強の城は、文句無し松倉城(魚津市)である。何しろ永禄12年(1569)から天正元年(1573)の4年間にわたって上杉謙信の猛攻に

佐伯哲也のお城てくてく物語 #5

第5回 埋蔵金伝説はほぼウソ? 全国の城には、掃いて捨てるほど多くの埋蔵金伝説が残るが、ほとんどウソといっても過言ではない。実績もそれを雄弁に物語っている。というのも今日まで約1万ヶ所の城で発掘調査が実施されてきたが、ただの1ヶ所も埋蔵金は出てこなかったからである。これでは埋蔵金伝説はほぼウソと言われても仕方なかろう。幻の白川郷帰雲城(岐阜県)の埋蔵金は、数百億円とも言われ、探し始めて60年以上経過しているが、見つかる気配すらない。興味は尽きないが、週刊誌向けのネタでしかなく

佐伯哲也のお城てくてく物語 #4

第4回 織田軍は飛び道具がお好き? 戦国中期の天文12年(1543)、ポルトガル人によって種子島に2挺の鉄砲が持ち込まれた。この鉄砲という飛び道具、「戦国」という時代の要請もあってアッという間に普及し、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦には6万挺の鉄砲が集まったとされている。  鉄砲を最も着目し、最も大々的に使用したのは周知の如く織田信長である。ただし、各地の小大名といえども早くから鉄砲の存在を知っており、必要性も痛感していた。永禄7年(1564)に、飛騨国高原郷の江馬輝盛が鉄

佐伯哲也のお城てくてく物語 #3

第3回 敵前逃亡は当たり前? 世の中は史上空前の城ブームである。特に山城の人気は絶大で、「城ガール」という造語すら生まれている。  この影響を受けて、テレビでも落城シーンを見ることが多くなった。燃え盛る紅蓮の炎の中で、城主が切腹する、といったお馴染みのシーンである。しかし実際は余程違っていたようである。というのもこのような落城は、史料上ほとんど確認できないからである。城主が戦死して落城する確実な事例は、富山県の場合、魚津城(魚津市)でしか確認できない。天正10年(1582)織

佐伯哲也のお城てくてく物語 #2

第2回 城兵はヒマだった? 全国で毎年100ヶ所以上の中世城郭が発掘されている。ご存知のように中世城郭、特に山城の多くは純軍事施設で、短期間籠城するだけなので、発掘しても茶碗のカケラが多少出土する程度で、ほとんど何も出てこない(大判小判が出てくると思ったら大間違いである。)  そんな中、比較的出土割合が高く、山城とは無縁と思われがちなのが、土錘(ドスイ)、つまり土で作った錘(おもり)である。  富山県内では飯久保城(氷見市)から2点出土している。飯久保城は標高約70mの山城で

佐伯哲也のお城てくてく物語 #1

お城歩きは本当に楽しい  私は約40年間にわたって日本全国の城郭を2000城以上調査してきた。約60才になった現在もお城歩きは非常に楽しく、少年(?)のように目を輝かせ、城跡を飛び回っている。  このコーナーでは、お城の意外な一面や興味深い新事実を紹介し、お城の魅力を読者の皆様方にお伝えしたいと思う。 第1回 お城のトイレはどうなっていた? 私は教育委員会から城跡の現地説明会を依頼されることがしばしばある。そんな中、とある城の説明会で小学生から、「お城の御姫様はどこでオシ