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小さな私

新学期だなぁって、
小学生になった頃の自分を思い出していたら、涙と心細さが溢れてきた。

私は自己探求をするのが好きだから、いろんな自分を発見してきたつもりでいる。

こんな自分がいるっていうことに、まずは気付いて、そして感じたり、認めたり、理解したりすると、その部分の自分が救われる感じがするんだ。

でも“救われていない”部分もまだたくさんあるはずで、その内のひとつに、小学校に上がった頃の小さな私がいるんだろう。

心細くて泣いてるその小さな私に手を差し伸べたくて、ここに綴ったら何か変わる気がして、だから書いている、今です。


***


私は、人一倍、センチメンタルな子どもだったと思う。

思い返せばそれは園児さんの頃からだったけれど、小学校に上がって環境が変化したことをきっかけに、もっと辛くなっていったのを覚えてる。


“何故それをしなければならないのか、分からない”

身の回りのあらゆる物事に対して、フラストレーションのようなものを強く感じてた。

“何故お母さんと離れて、お家から出て過ごさなければならないのか分からなかった”し、

“何故綺麗に列になって並び、同じ時刻に同じ時間をかけて食事をとらなければならないのか分からなかった”。

でもまだ幼い私はそれを表現するどころか、“自分がそう感じている”ということすら上手く捉えられていなかったから、そのフラストレーションは同時に混乱でもあった。何が起きているのか分からなかったんだ。

と、今なら理解ができる。

じゃあその混乱で止まったままの私に、何が必要?何が与えられたかったの?と、問うてみた時、今の私から出てくる答えは、「ただその混乱をゆるして、一緒にいてほしかった」だ。

“大丈夫”は、要らなかったよ。

だって大丈夫なんかじゃないんだもん。

でもそれも、分からなかったよね。

私も、お母さんも、お父さんも、先生も、みーんな、分からなかったんだ。


***


新学期、生活が少し変わる人も、がらりと変わる人も、変わらないって人にも、みんなのもとに平等に春は訪れる。

大人になった私が今願いたいことといえば、それは、今を生きる子どもたちが、しっかりと子どもらしく!ありますように。あれますように。

そしてそのまわりにいる大人たちが、自分自身を大切に出来ていますように。

そんな感じだ!


きっと、私を救うのは私にしか出来ないことで、あなたを救うのはあなたにしか出来ないこと。最後のカギは自分自身、だと思っているけれど、そのカギまで辿り着くには、あらゆるものがきっかけとなる。

その“あらゆるもの”のなかのひとつに、私がうたをうたっていることや、自己探求を続けていることが、あってくれたらいいなぁと、ずっと願ってます。


あなたの春に、あなたの今日に、幸あれ!








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