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「Danran」の話

誰にでもそれぞれの「だんらん」の記憶があるはず。
あなたの一番の「団らん」の記憶は何ですか?
さあ「団欒」の記憶を、たくさん残してください!


学生時代、殆ど講義に出ていなかった僕が、何となく「いい講義だったな」と感じた講義が、と言うより「記憶に残っている講義」の話をします。

美大を卒業して40数年経った今、思い出すのが形態学の講義での「団らん」の話です。パソコンでキーを打つと「団らん」と出ますが、漢字でだんらんを書くと「団欒」と書くそうです。僕は言うまでも無く「だんらん」と言う漢字は書けませんでした。しかしながら「団」は直ぐに思いつきますが「欒」の漢字のつくりを、よく見てみると何となく「なるほど」と思うから不思議な気がします。みなさんも、「欒」の漢字を改めて見て、そんな気がしませんか?
縄文時代(諸説はいろいろあるようですが、始期は16,000±100年前~終期は概ね3,000年前)に、日常的に火を遣うようになっていたようです。それまでは木の実や魚も生で食べていたようですが、火の便利さありがたさを分かった縄文時代の人々は、海辺に火を焚き、その周りを多くの人々が火を中心に輪のように、内側を向いて並んで座り、魚を獲った人の自慢話を聞きながら、みんなで平等に魚を分けあって楽しく時間を過ごしたようです。それが「だんらんの始まりだ」と講義を聞いた記憶があります。因みに縄文時代は1万年以上平和な時代が続いたと言われているそうです。

「家族の団欒」はちゃぶ台から?
寺内貫太郎は「ちゃぶ台返し」で、
不器用に「家族に愛を伝えたのか?!」

ちゃぶ台は日本で用いられる四本脚の食事用座卓です。一般的に方形あるいは円形をしており、折りたたみができるものが多い。上座、下座という上下の関係があまり感じられず、昭和初期の「家族の団欒」を象徴するシンボルとして取り上げられていました。
1887年(明治20年)頃より使用されるようになり、1920年代後半に全国的な普及をしました。しかし1960年(昭和35年)頃より椅子式のダイニングテーブルが普及し始め、利用家庭は減少していきました。
ちゃぶ台と言えば、ご存じの方も多いと思いますが、寺内貫太郎のちゃぶ台返し。「寺内貫太郎一家」は1974年(昭和49年)にTBS系列水曜劇場枠で放送され、平均視聴率31.3%を記録したテレビドラマ。

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昭和の東京の下町、石屋を営む寺内貫太郎一家と、それを取り巻く人々との人情味溢れる毎日を、コメディータッチで描いたドラマでした。そのドラマのお馴染みの名シーンと言えば、家族に手をあげ、何か気に入らないことがあると、すぐにちゃぶ台をひっくり返すような、頑固で短気で喧嘩ぱやいが、どことなく憎めず共感してしまう昔ながらの下町の親父、寺内貫太郎のちゃぶ台返しでした。「やるぞ、そろそろ、ちゃぶ台返しをやるぞ」と分かっているのですが・・・名シーンでした。

アフリカからやってきた、ブビンガ材
只今、ブビンガ材の丸座卓を制作中です!

写真はブビンガの丸座卓です。一番径の長いところで約155㎝、径の短いところで約145㎝です。
ブビンガはマメ科で日本の市場でも比較的、目に触れることの多いアフリカ産の木材です。一般的に材面の美しさを利用した用途が多く、どちらかといえば、ローズウッド類と同じような美術家具、キャビネット類、日本ではよく室内の装飾品として使用することも多いようです。
日本ではみなさんも、必ず一度は見たことがあると思いますが意外なモノに使われているのをご存じですか?
大径材でなければ出来ないようなモノに使われます。何だと思いますか?和太鼓の胴に使うことが多いようです。
はるばる遠いアフリカから送られてきた木材が、アフリカのジャングルの中で使われずに、日本の楽器に使用され、日本のお祭りに参加していると思うと面白いですよね。

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