西宮に住んでいた(4)

昔のこと、西宮に住んでいた頃のことをよく覚えていない、ような気がする。
二十数年前、妊娠・出産。あの頃日記をつけていた。当時の夫が、日記帳を買ってきてこれを書いてと言ってきた。妊娠・出産や育児のことを書き記しておこうよ、みたいなことだったと思う。基本的に、毎日私が書くのだが、夫は絵を描くのが上手で、たまにその日記の余白にイラストを描いた。たぶん、今も押し入れのどこかにしまってあると思う。あの頃の写真も山ほどある。夫がとにかく写真を撮る人だったのだ。まだフイルムで撮っていた。現像してアルバムにものすごい枚数の写真がある、押し入れの中に。
離婚して封印した、というわけでもないが、積極的に見返したくはないかなと思って、押し入れの出しにくい所にしまっている。
最近は、日記や写真を見返していろいろ思い出したいような気分になることもある。
でも、取り出しにくい所にある。押し入れの天袋に入れているのだが、すごく重いので出したくない。腰を絶対痛めそう。
このnoteに書いているのは私の記憶している限りのことでしかない。記憶違いがあるかもしれない。記憶違いがあったとしても、誰にも迷惑は掛けないだろう、たぶん。だから、日記も写真も見ずにもう少し書いてみる。

西宮市は東京生まれ東京育ちの私には、馴染みのある土地ではなかった。兵庫県には親戚がいるし神戸にも旅行したことがあった。しかし西宮に住むことになったと言われてもピンとこなかった。
引っ越すことになって初めて認識することになるのだが、阪神甲子園球場は西宮にあるのだ。高校野球は好きでよく見ていたし、プロ野球も割と見ている方かもしれない。野球のルールも大体わかる。野球に馴染みがない人に多い話で、ルールがよくわからない、なんて言う人がいるが、細かいことは別としてほとんど見たまんまじゃないですか?わかりやすいですよ、野球のルール。
そうか、甲子園のあるところなのか、西宮って。すごくイメージしやすくなる。
しかし、私の住んだところは、甲子園の近くというより宝塚の近くだった。街の雰囲気もそちらの方が近いと思う。あの辺り、阪神間と呼ばれる地域は、阪神沿線と阪急沿線で雰囲気が違うと言われている。私は阪急沿線に住んでいて、神戸に行くときも京都に行くときも、阪急線で行ける。西宮には6年くらい住んでいたが阪神線は数える程しか利用していない。
宝塚というと歌劇団のことしか思い浮かばない人も多いかもしれない。私もそうだった。阪急電車に乗ると、宝塚歌劇の広告が必ず目に入った。今思えば一度くらい見に行けばよかった。その隣にある遊園地には行ったような気がするんだけど。あと、宝塚には買い物に時々行ったな。
当時の夫には妹が二人いて、下の妹はその頃独身だった。神戸のルミナリエにその妹を呼んで一緒に見に行った。夫は妹達と仲が良い兄、みたいな人ではないのだが、たまにそういうことはする。ルミナリエに行ってその日はうちに泊まって、翌日みんなで宝塚に行き、お昼ご飯を食べたりした。私は、生まれつき左足の指が少し変わった形をしていて、履ける靴がすごく限られている。最近はスニーカーが流行っていて私のような足の人には生きやすくなった。若い頃はスカートにはそれに合う女の子らしい靴を合わせていた。それはスニーカーなどの歩きやすい靴ではないし、あちこち痛くなるのだが、そういうものだと思っていた。そしてまめやタコを作ったり、血を流してバンドエイドを貼ったりしていた。妹とルミナリエに行った翌日、宝塚に行って、たまたま靴屋さんを見たら、私の足に合う靴に出会った。私の場合、靴は履けるか履けないかなのだ。血が出るか出ないかなのだ。その靴は、血が出ない方の靴でちょっとかわいくて、欲しくなった。その日私はたまたま財布を忘れてきていた。だから、夫に頼んで買ってもらおうとした。そもそも私は当時専業主婦で二人の育児をしており、財布を持っていたとしても、夫から預かったお金が入っているのだ。夫に直接払ってもらってもいいではないか。しかし夫は買わなかった。妹や子ども達や夫を待たせて、私が個人的な買い物をすることに腹を立てているように見えた。妹は私に同情していた。私は諦められず、靴屋さんにお願いして近々改めて来るので取っておいてもらい、後日買うことができた。そして思った通り私の足に合っており、数年間履き倒した。いい買い物だったと思う。
夫は腹を立てても声を荒らげるようなことはしなかった。静かに機嫌が悪くなるだけだ。そういう人って本当は怖い。私にはそれがわかっていなかった。私の周りにはいないタイプの人だったからかな。

続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?