2021年8月9日の日記

よし、書くぞ

23歳になりました 

 7/29に誕生日を迎え、無事23歳になりました。

記者:放送席、放送席。
   ジオさん23歳おめでとうございます
ジオ:そうですね。
記者:今の気持ちは?
ジオ:虚無ですかね・・・
記者:・・・本日のヒーローインタビューでした。

 はい。というわけで23歳になりました。めでたいぜ。

 でも全然うれしくないんだよね。喜ばしい事なのは理解しているが、内発的に喜べなくなっている。かつての私は誕生日に心底楽しみにしていたんだけどなー。なぜだ? あれだけ誕生日ケーキを楽しみにしていたのに、今では単なる「おめでたい」の象徴としか見えなくなっている。

 これは私の誕生日観がこの結果を生み出したと思う。

 私の中で誕生日といえば、成長という感覚が常にあった。
 そのころの私は、一つ年を経るたびに20歳までの階段を一つ登っていく。年齢に比例して成長する私を見て、大人に近づく楽しみを蜜のように感じ取っていた。成長の歓びは身長だけでなく、年齢に合わせて許される小遣いの増量やスマホを与えられるという権限や、精神的な成長も含まれていた。

 誕生日とは、成長したことの再確認とこれから予期される成長を祝う行事だった。誕生日とは成長がある限り、祝福されるものだった。もしそうだとしたら、その歓びは無限にあるのだろうか。いや、無限はありえない。成長には必ず起源は存在する。
 成長を感じられる瞬間、それが誕生日の歓びなのだ。私が成長を感じられなくなったら、成長ではなく老いへと変化する。
 トホホ……わたしゃもう老いを待つしかないよ

 さて、23歳になって今さら誕生日を迎えても勝手に成長することはない。これから私が成長するには、実現可能性のある計画を立てて、明確な意思でその計画を実行することが必要だ。ただ計画を達成しても、計画を達成したという、達成感の歓びとして消化される。決して成長の歓びではない。そういった意味では、私は具体的な成長を喜ぶことは出来なても、幼少期の根源的な喜びを感じることはなくなってしまった。

 やはり、社会人になってからの誕生日は虚無だった。勤務中、私の中にあったのは「65-23=42」の、定年まで何年かかるかの簡単な数式だった。


東方ダンマクカグラ始めた

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