2021年3月5日の日記

・はーーーーーーー、日記を書き上げますわよ。正直、ぶっちゃけますと日記って書くのはそれほど楽しくはないのですのよ。ただ、未来の自分が読み返した時に「ふーん、面白いね、悪くないじゃん」と思われるために、今日も書くのです。

・未来の自分を満足してもらうことが目的の日記って、婉曲的な自己満足とほぼ一緒なのでは?

・はいはい、そうでーす。自己満足でーす。

・でも、「未来の自分のため」というのは、動機として間違っていないように感じる。未来のためというと、勉強とか投資が連想されやすいけど、それって今得たお金が未来の自分が満足するのかって思っちゃうからだ。
 というのは、過去の自分が稼いだお金で未来の自分が悠々と過ごすことができたら「稼いでいて良かった」と思うかもしれないが、それはお金が裕福であることに感謝しているのであって、「過去の自分が頑張り」に感謝しているのかという不安があるからだ。

・もしここで、「過去の自分が頑張っていたからだ」と言い切るのは、雑に捉えすぎているだろう。まったく過去の自分に感情移入できていない。自分が成功したことを復唱するために過去の頑張りを引用している自己暗示にすぎない。
 だって今日も私はお金を使ったが、そのとき「この間の自分が頑張ったからだよな」と過去に自分に振り返ったのか? いや、微塵も思わなかった。そうだ、そうなのだ。過去と現在の自分は、決して交わらない。今というこの瞬間もすでに過去として過ぎ去り、もう二度と体験できることもなく遠ざかっていく。もう今はやってこない。

・ここまで書いたら、読者の皆様にも、未来への投資は自分のためになっても、過去の自分が報われることはないとお分かりになるだろう。過去の自分が報われながら、未来の自分のためになることは色々あるが、その中で実行できると思ったのが日記だ。
 私はいつだって、自分に興味を持っている。自分の考えていることが気になっている。その時に、過去の自分が「こんなこと思ってました」と日記を書いていたら垂涎するに違いない。未来の自分のためになり、過去の自分が報われる。ついでに文章能力が上がったら嬉しいね。

・というわけで、日記を書くのです。

・前置きがながくなった、本題に戻らないと。

・今日の話をしよう。今日は、朝起きて、ご飯を食べ、後輩の練習を眺め、そして呪術廻戦をみる。それからしょうもない新書をよんで、それから昼から合宿所の修繕作業を行う。帰り道に横綱ラーメンを食べて帰宅。家についた瞬間、呪いに掛かったみたいに猛烈に眠くなったから仮眠。って感じ。今に至る。

・あとヘルシングのハリウッド化だって面白そうだね。吸血鬼、ナチスなどなどB級映画にありがちな設定が盛り込まれているが、こんな作品が実写化したらどうなっちゃうんだろう。リベリオンみたいな作品になってほしい。B級になっちゃうのかな(そしたらそれで面白い)。原作は外連味にあふれているけど、映画でも再現しててほしいな。

・呪術廻戦を見始めたのですが、面白いですね。今は13話、ちょうど1期の終わりですね。真人が現れてからが、各勢力の目論見や、キャラクターの人間性がよくよく出てて面白くなってきた。七海さんがいいきゃらしてていいね。ああいったスレてんのかスレてないのかよくわからない、独特な世界観を持つキャラクター、良い。

・あとは新書「メンヘラの精神構造」を読んだ。実に面白くない。メンヘラというより、ヒステリーを起こすナルシストの精神構造にばかり行って、メンヘラの定義すらされることもなく話は進んでいく。著者の思うメンヘラって何なんすかね。少なくとも現代社会や文化が関係しているとは個人的に思うのですが、一般論に走りすぎている。
 あとは、作者の思想がモロに表れているのが嫌。。現代の市民的で個人的な幸福は棄却され、体育会みたいな封建的な幸福こそが至高なのだと隙あらば説いてくる。メンヘラという構造を昭和的なメンタルで問題解決できると主張している。太宰治に乾布摩擦でその甘えた精神が治るって書いた三島由紀夫かよ。とにかく、問題の箇所を引用すると、

 自分の両親を愛せない人は、夫の両親も愛せないのだが、このことがそうしても、ナルシストの夫には受け入れられない。
 自分の両親を大切にしない人は、夫の両親も大切にしないと説明するのだが、納得しない。自分を大切にしない。これは心の大原則である。
 人は自分を受け容れる程度にしか他人を受け入れられない。
自分も他人も大切にする気持ちがなければ、人生の諸問題には解決できない。
ナルシストは努力が嫌いである。ただ鏡を見ていてなにもしていない。なんで動かないのか?それは人と心が触れていないから生産的なエネルギーが出ないのである。

とかとか、色々無茶苦茶なことを言っている。体育会に身を置いている人間だから、著者の言わんとしている事は一応理解出来るし、その治し方も一つの正解だとは思う。しかし、それは万能の答えにはなっていない。
 「『甘え』『弱さ』は治る! トラウマに毎日々々触り続ければ、いずれ治る。だからトラウマに対面しろ。顔を背けるな!」と、体育会的な荒療治を勧めるのはあまりにも酷で、前時代的で投げやりすぎる。

・なんか、全体的に言い訳ばかりの、後退し続けるような文章を書いたな。

・横綱ラーメンの感想書こー
 横綱ラーメンはスープも麺も特徴があるわけでもないが、それが良い。全部のステータスを中央値的に埋めてくれるラーメンが一番食べてて安心する。

終わり~~~~~~~~

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