2021年3月10日

・寝る前に日記を書こうか

・この日は午前中は後輩の練習を見て、昼からは合宿所で修繕作業をした。修繕作業が終わるころはもう夜になっていたから帰宅。それからMGS5をやって今に至る。

・今日は全体的に集中できないで、微妙な一日だったな。

・午前は特に書くことはないから飛ばすとして、午後から合宿所の整理をした。ゴミを纏めて、船のウマを修繕する。ウマを直しきるころには、日が暮れていた。なんか修理って苦手だな。
 自分は生活や整頓がかなりできないが、そのことで生じる問題は全て気にしないことで無かったことにした。それで見かけ上の問題は解消させることができた、でも、修繕になると話は別だ。モノは見かけで直ってくれない。不器用の”限度”が生れる。この限度を超えると、修理してもしなくても同じ状態になる。
 綺麗に紙を折れないと決して鶴を折ることは出来ないように、私の修繕はなーんかめちゃくちゃになっている。
 もしかして、先を見通したり、効率を考える能力が下がった?? 想像力が落ちた???

・ここかは思索。
 これは2、3年前からの変化になるけど、未来を予想するということができなくなった気がする。これから起こるであろう出来事を考える能力が衰えた気がする。自分の衝動を甘やかしていた。(日記を書きたい衝動でnoteを始め、小説を書きたい衝動からHowto本と大量の原稿用紙を買った。好奇心だけで英訳版東方鈴奈庵4~6を買ったし)
 未来を予想する能力が減退した結果、起こるであろうアクシデントを回避できすに直面することも多くなった。それでも一応はメリットがある。とにかく行動しやすくなった。

・原因を考えよう。自分は悲観的な性格だから、まず行動するために思考を放棄してしまいがちになるのかもしれない。
 うーん、いや、順序が逆だ。最近は行動を起こしてから何が起こったか学習しようと思うようになったという方が正しい。自分にとって思考は始まりとは、行動の終わりから始まる。自分はどんな行動をするのか観察してみようと、衝動を放し飼いにしていたことの弊害が出て来た。
 でも、衝動のまま行動することは特別悪いことでもないようにも感じる。行動を制限する理由は、ほとんど「うまくいかないからだろう」という訳もない不安から生まれる。衝動という濁流のままに行動することで、行動することへの忌避感がすくなくなった。だから、数年前と比べて、精力的に行動できるようになったと思う。

・しかし、見通しも立てないまま行動する奴は、はたから見ればただのバカだ。そろそろ行動を改めていた方が良い。じゃないと要領の悪い奴だと思われる。少なくともどうすれば下手はしないのかぐらいは考えとけ、私。

・これはすこし話がズレるが、
 最近、未来の自分は今の自分と地続きに繋がっているという感覚が薄くなっている気がする。というか、どんな未来ですら、現在の自分に包括されているような気がする。これは少なくとも今の状態じゃ言語化できないけど、未来より現在の方が、上位概念のようだと思う。
 でもなんで、今は未来を上回るんだ? わかんないな。未来は現実的なもので、現実は理不尽で襲いかかる観念的なものなのかもしれない。未来は具体的で予想される現実的な問題で、現在はどう解釈をするかという文学的な問題になるからかもしれない。いや、わからない。一週間後の自分に投げる。3/18の自分よ、まかせた。

・今回は少し文字数がすくないな。でも、すこし掘り込んだ考えを書けた。書いてて楽しい日記になったな。こういうのを書きたい。

終わり~~~~~~~~

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?