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2020年10月20日・21日

10月20日の日記

・卒論のレジュメの作成が終わった。

・う~ん肩の力が抜けた気がする。発表の資料を作成をすることは、発表の組み立てて、その組み立ての通りに情報を整理する。その文章量が適切かどうか不安になりながら、1文字1文字入力する。

・レジュメを作成し終わったときには、俺の脳内では8回くらいエミュレートしている。そして13回くらい発表が頓挫した。脳内ではこれだけ発表したんだから、本番くらいしなくてもいいだろ。助けてくれ~~~or殺してくれ~~~~~

・自分の発表の番が回ってきて、やっと書きたいことがまとまりだした。たぶん発表がなかったらなんも書けていなんだろうな

・「授業のなかで出てきたんだけど、最も健全な人間は寝そべるポチだ」って妹が言ってた。よくよく聞いてみると、どうもこれは太宰の発言らしい。意味は、人間の動機はどれも欠如や不足から生まれる。すべてが満たされている人間は、欠損のない人間でもあるのだ、ということだとか。

・って話をへぇーと思って聞いていると、その後の友人との会話で、人間の動機はどこからきているかを話した。妹の会話と覚えている僕は寝そべるポチの話をすると、おおよそ間違いでもないらしい。マキシミンルールというものがあって、人間はリスクの量をみて行動するのだとか。人間は利益の量をみて行動するのではなく、損失の量を見て行動する。最大益ではなくリスクを見る。人間は、平等の状態を生み出すことが可能らしい。

・同じ話題が1日に2回も出た。やっぱこの世はお膳立てされて出来ているのか?

・法学部の友人はこういう講義を受けているのか。法学部もいいな。こういった認識論を教わるのはとても羨ましい。こういう授業は、実践的な認識の学問って感じがする。

10月21日の日記

・ゼミの発表の日、これを過ぎれば、安寧が訪れる……!

・終わった~~。瓜子姫の仮説を立ててみたら、教授から「面白い説ではあるが論が大味で、飛躍しすぎている。まるで雑誌「ムー」みたい」との評。まあ、自分自身、陰謀論じみたことを書いてるなあと思っているし否定はできない……

・というのは「瓜姫物語」で出てくるあまのさぐめは、本来は土着信仰の豊穣神だったというもの。この信仰侵略は珍しいものではなく、ヤマタノオロチの逸話は、現地民の土着神をスサノオに鞍替えさせようとした戦争の名残があるともみられている。土着信仰の豊穣神はハイヌウェレの形式を受け継ぐ女神だったが、ヤマト政権が侵略してくる。その際、土着の豊穣神は実は収穫物をもぎ取るだけの邪神であり、本当の豊穣神はこの「瓜子姫」であったのだ。というわけで、瓜子姫という物語は土着信仰を捨てさせるためのプロパガンダだったのかもしれない。

・胡散臭え~~~~~。俺も教授なら、こいつが陰謀論に乗っ取られてないか心配になるわ。

・俺の卒論、澁澤龍彦や江戸川乱歩、小栗虫太郎みたいに、衒学であふれたオカルティズムな文体で書いてみようかな。教授に嫌がられるかな。

・しかし、やらなきゃいけないことが終わると気が楽だな。やらなきゃいけないことは多いが、

・忙しいときは時計ばかり見る。一秒ごとにすぎゆく針を惜しみながら物事を進める。しかし、忙しさも過ぎ去ると、時間の基準が一秒から一分、一時間へと拡大される。そうして、時の進みは遅くなる。これによって私はずっと同じ時間にいることができる。同じ時間に居続けることで時間は醸造される。

・時間が醸造されると、私の思索も醸造される。そうして、思考の沈殿物、残滓が、私の価値観となって私の中にのこり続ける。

久々にその日のうちに日記を書くことが出来て満足。なんかいつもよりいい質の文章を書けている気がする。

終わり~~~~~~~~~~~~

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