2021年3月12日の日記

・日記が始まる。今日は眠くなる薬を飲んだから、眠ってしまう前に速攻で仕上げる。

・今日は外に出た。
 朝9時に目を覚まし、それからは後輩の練習をみて、それから健康診断を受ける。午後から床屋に髪を切りに行く。

・健康診断を受けた。胸部のレントゲンを撮って、心電図や尿検査、採血を取る。そうして最後に医師からの総合的な判断を聴く。
 特に異常はないらしい、一週間後に診断書が届くのでみるのが 楽しみだ。

・採血を受けるたびに、自分の静脈血の色に驚く。
 その血の黒いことよ。赤というより赤褐色の方が近い。しかし、看護師が手首ごと試験管を回すと、揺らめいた血液が蛍光灯に透かされて、普段目にする濃い赤が垣間見える。自分中には、怪我したときに見る値よりも何倍も濃い赤が流れている。

・あとは、レントゲン。医師からの感想を逝くときに、レントゲンの写像を見る。私には医学的見地は全くないので、写像を見ても全く分からない。それでも肺や心臓、鎖骨や肋骨、横隔膜などはかろうじてわかる。
 レントゲンは自分の体をすかし、臓器を陰で写す。陰で写された臓器はとても神秘的で、自分にも人体の神秘が秘められているのだと思うと、欲しくなった。もし式が近づいたら、医師からレントゲンを貰ってじっとりとみて一日を過ごそう。

・心電図検査は、なんっど受けても面白いね。手足にクリップを挟まれて、これから治験や医療実験を受けるような心持になる。

・診断してくれた先生が、顔があれていることを心配してくれて、アトピー性皮膚炎に効く薬を処方してくれた。その薬の副作用が強い眠気なのだkとか。そのため、服用は寝る前に制限されている。眠気が勝つか、日記が勝つか。

・さて、部活のことで面白いことはなかったから省略。

・床屋で神を斬ったことを話そうか。まあ、床屋でのエピソードはないし、私の散髪への態度を書くことにする。
 髪というのは肉体の老廃物というより、精神の老廃物だと思う。
 垢や髭、爪などの老廃物は、日ごろの身だしなみで整えられるものであり、自分の管理下にある。そのため、垢や髭は生活的な老廃物と言えよう。極論になるが、垢や爪はうんこと一緒で、生きている以上出さざる得ない肉体的な物とも言えるだろう。
 対して、髪は自分で管理できないものであり、普段の生活では決して管理しきれない。(ワックスやヘアアイロンで多少見た目を変えることは出来るが、長さやゲ亜スタイルは全て自分の力で管理するのは難しい)そのため、髪は生活感から外れていると見なすことができる。髪の毛は文化的・非肉体的な老廃物だ。アニメや漫画の不老不死でも髪は伸びがちなのも、髪の毛が文化的な物である証になるだろう。

・まあ、こんなことを書いて、自分が何を書きたいのかというと、髪を切っているときは、時間や経験・生活などのもっと抽象的な物が切り取られていくように感じるということだ。
 髪には肉体的な要素が薄いと先ほど書いた。自分の髪が切られていくとき、私は「一か月分の実感が切られていく。一か月分の日月が切られる。その一か月間ですごした生活は刈り取られる。一か月分の経験、決して肉体的な質量で語られないが、私が経験していた一か月が、散髪によって刈られる」と思うのだ。
 こうやって落ちていく髪の毛を見て、精神的な老廃物が落ちてくようだと私は思う

・毎日日記を書くと、どうしても出来後を書くことができなくなって、自分がどんなことを思っているのかを振り返ることが多くなる、自分の感性を艇意義づけてやろうとして、自分を掘り返す文章が日記が増えた気がする。自分の深層心理を暴いてやろうして、最近に自分の中の自分が登場する頻度が増えた気がする。

・ねっむ、こんなに眠くなるとは……寝ます

終わり~~~~~~~~

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