2021年5月9日までのこと

一応2週間続いてる(という体になっている)から、2週も続いた毎週連続投稿を崩したくないから今回も「週記」をやっていくか。

∴さて、何を書こうか。

モンハン買いました。

4/30にスイッチとモンハンを注文した。モンハンが5/1に、スイッチは5/5に到着した。スイッチが届くまでの4日間。非常にやきもちしましたね。

 モンハンねえ……。私のモンハン遍歴について話そうかな。初めて触ったのは「モンハン3rd」。中学2、3年の冬にジンオウガで飾られたパッケージを手に取ったのだった。しかし、そのパッケージを手に取った時には「行き遅れたもの」を買ったなという感傷があった。
 この「行き遅れ」の感情を説明をするには、小学校高学年の私の状況について話す必要がある。
 これは私の主観にすぎないが、「モンハン」はギャングエイジの象徴だった。ギャングエイジとは、「児童が教師や保護者より友達を大切にし始める時期のこと」であるらしい(Wikipedia)。ギャングエイジに差し掛かったように小学5~6年生たちが自分たちの友情を示しあうように、わざと反動有徳的な行為を行う。その反道徳的な行為の最たる例がモンハンだった。
 5~6年の私は、血が出ることに「アンモラルさ」を感じ取ってはいたが、あのころの私たちはその言葉を知らなかったので、「大人」という言葉で代用していた。
 CEROを無視してモンハンを購入し、モンスターを殺して戦利品を剥ぎ取る「大人」の行為をする彼らの瞳には、さぞ反道徳の色が映っていたと思われる。さらに少年期特有な好奇心という名の無邪気な残虐性も伴い、「モンハン3rd」は少年時代の私たちに刺さりまくっていた黄金のゲームだったんじゃないかと、今になってから思う。
 反道徳的な行為に耽る彼らを見て、かつての私は「少年の日の思い出」のエーミールのような心持で眺めていた。狩猟という反道徳の蜜を啜る彼らを、私は嫌悪していた。それは、CEROを無視したゲームをやる犯罪性より、不道徳を愉しむ背徳性に私は嫌悪していた記憶がある。
 それが、小学校高学年の私の状況だった。

 ……しかし、背徳への嫌悪はただの正当化だったのかもしれない。あの小学校高学年の間にモンハンをしていなかったという疎外感は、あの少年時代に大きな瑕疵があったのかのように感じられる。私は「大人」の世界に踏み出そうとはせず、いつまでも親と学校の世界に慣れ親しんでいるだけの状態で満足していたことに、中学の後半になってから気づいたのだった。要は行き遅れてから気づいたのだった。

 さて、ここまで書けば、どうして私が「モンハン3rd」を手に取ったのかはお分りだろう。私は少年期の大きな瑕疵・大きな穴を埋めるために手に取った。

 しかし、狩っても狩ってもその瑕疵は埋まらない。PSPの粗いテクスチャが貼られた世界の中で、ザラついた当たり判定で孤軍奮闘をしていて埋まる訳がない。。そもそも「ギャングエイジ」の最中に「モンハン」をプレイできなかった時点で埋めることができる可能は絶無に等しい。結果、もうモンハンに飽いてしまい、興味半分でいれた「全クリチート」が不十分に機能した中途半端な世界の中で、私のモンハン3rdは終わったのだった。

 今作ではそもそも同期がモンハンに誘ってくれたし、友人とも一緒にプレイできそうだから、今作は普通に狩猟していて楽しみ。

東方虹龍洞をやろう!

めっちゃ面白い。今作一番面白いかもしれないくらいに面白い。
でも、私の周りには東方をあまり知らない人が多いから、面白い所を話したい。
今作の東方では「カード制度」導入されており、プレイヤーは道中で集めたお金でそのカードを買い、装備や能力を強化していくというもの。

今までの東方は、膨大の弾に押しつぶされながら避けられるパターンを構築していってクリアを探す、一種の死にゲー・パターンゲーで、大量の弾幕を緻密な操作で避けていく快感があるのですが、パターンを構築するまで地道な作業を続ける苦しみがある。

今作の東方は、その強力なカードで敵の弾幕を一掃したり、自分のショットを強化できる。カードで自分のプレイが拡張していく楽しさがある。正解を探す作業だった今までの東方と異なって、正解を作り出す楽しさがあるとも言える。


ファイアーエムブレム 風花雪月買いました。

開始1分でわかった。面白い八じゃん。同期には悪いがモンハンの10倍楽しいかもしれない。

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