見出し画像

感想 2015/9/24-25 川治温泉

 シルバーウィークの最後の二日間は学生寮時代の友人と鬼怒川温泉へ行った。昼間は日光江戸村、龍王峡、トリックアート美術館を回り、夜はそこそこいい旅館でうまい飯を食い温泉に浸かった。僕と違って素直な彼らは、明日からの仕事を思い出し少し憂鬱になりながらも、純粋にここ鬼怒川温泉を満喫したという表情で帰って行った。

(写真)鬼怒川温泉にて、友人と別れた後に出会った猫

 社会人2人と別れ、1人この温泉地に残された大学院生である僕は、次なる目的地、川治温泉に向かう。川治温泉や鬼怒川温泉は栃木県北部の山間、鬼怒川の上流部にある。東武鉄道新栃木駅から電車に乗って鬼怒川上流へと登っていくと、鬼怒川温泉にたどり着く。さらに野岩(やがん)鉄道へ接続し、雄大な渓谷に沿って進んで行くと、川治温泉、湯西川温泉、中三依温泉といった、名前に「温泉」とつく駅が続く。そのなかで最も鬼怒川温泉に近い川治温泉は、江戸時代の大洪水の跡から見つかった古くからある温泉であり、豊富な湧出量を誇るらしい。

 川治湯元駅で電車を降りると、鬼怒川温泉とはうって変わって周りは山、山、山。人によっては「何もない」という感想を抱くかもしれない。この「何もない」川治温泉はかなり寂れており、温泉宿もいくつかの大きな旅館以外は廃墟のようになって、そこそこ賑わっていた頃からの凋落を感じる。しかし、町にはその雰囲気に似つかわしくないキレイな案内板がそこかしこに建てられており、日光市の財政の豊かさ(もしくは観光資源への投資の大きさ?)が垣間見える。僕は今回、この川治温泉に2泊3日滞在した。過去にも一度来たことがあるので、合計4日滞在したことになる。その中での僕の雑感をここに書いてみる。

温泉

 今回の滞在では展望露天風呂のある大きなホテルに泊まったのだが、どうも僕はここに限らずホテルの温泉の雰囲気が苦手だ。川治温泉には、ホテルの内風呂とは別に、共同浴場「薬師の湯」がある。この共同浴場が非常に素晴らしかった。

 薬師の湯は川治温泉の源泉の湧く浅間山のふもとに位置しており、内湯と「岩風呂」と呼ばれる混浴露天風呂がある。しかし、岩風呂の方は、先日の大雨で目隠しなどが壊れてしまっており、「ダム放流中、立ち入り禁止」という札がかけられていて、入ることはできなかった。

(写真)大雨の被害を受けた岩風呂

 内湯の方は、最近改装されたような小奇麗な建物で、受付では親切なおばさんが迎えてくれた。料金は一般500円のところ、旅館の割引で300円。僕は、温泉タオルを集めるのが好きなのでタオルも購入した。タオルにはビニールの手提げ袋がついてきたのだが、地元の利用客を見ると、これを下着入れに使っているようだった。奥には自販機コーナーとカウンターがあるのだが、平日だからかカウンターには人がおらず暗かった。

 僕はその日、雨の中一日中山歩きをしていて、びしょ濡れのカッパを着て受付に入ったので、受付のおばちゃんに「バイクで来たの?」と聞かれてしまった。さすがに虫取りをしていたと言うのは少し恥ずかしかったので、山登りをしていましたといったが、向こうからしてみればまあ怪しい男だっただろう。汚い恰好で入るのは少し申し訳なく思ったが、おばちゃんに促されるまま奥に進んだ。

(写真)内湯のある建物

 脱衣所から浴場に入るとまずシャワーだけの洗い場があり、3つシャワーが並んでいる。シャワー室を通ってサウナと、5人入ればいっぱいになってしまうくらいの湯船に行くという少し変わった浴場である。僕が入ったときは他に地元のおじさんが2人入っており、どこどこの娘が町を出て行ったという話で盛り上がっていた。湯船の部屋は大きな雨戸を解放すると露天風呂のようになり、目隠しを通してであるが男鹿川を眺めながら入浴することができる。雨戸から、男鹿川の景色を見ていると、湯船の狭さなどは全く気にならなくなる。

 僕がこの温泉について一番気に入っている点はお湯の温度だ。はじめ入ったときは少しぬるめで物足りない感じがするが、しばらく浸かっていると体が温まり気持ちよくなってくる。ぬるめということもあって、時間を忘れてのんびり浸かることができる。開け放った雨戸からの開放的な眺めの中、涼しい風に吹かれ温かいお湯に浸かり、、、願わくば一生このままでいたいという気持ちにさせられた。また、小さい湯船ながらお湯の湧く量はとても多いので、湯船のお湯はとてもきれいだ。ちなみにサウナも70℃ほどの低温に設定されており、体にやさしい。

 入浴中、おじさんが僕の方を少し気にしているようだなと思っていたら、脱衣所で、どこからきたの?と話しかけてくれた。帰り際も受付のおばちゃんと地元のおばあさんが世間話をしていたりと、薬師の湯は地元の人たちの集まる場でもあり、こんな怪しい東京の人間も受け入れて、心も体も温かくしてくれる場でもある。こういうこともあって僕は、温泉の良さは地元の人に支えてもらっている部分も大きいと思う。僕はホテルの風呂の雰囲気が苦手だ。湯船は広いし景色もいい、施設は共同浴場とは比べ物にならない。しかし、ほとんどの入浴客が温泉にはいることが目的の観光客ばかりで、お互い様なのだが、他人に対してはいない方がいいなと思ってしまう。東京の人混みに通じるようなイライラ、落ち着かなさを感じる。そういう意味でホテルは都会だ。それに対して共同浴場は地元とつながっている。地元と連続しつつ、外からの人間も受け入れてくれる場である。そこには温泉と共にその土地の良さがあって、僕はそれを感じるのが大好きだ。川治温泉「薬師の湯」にはそういう良さがあった。

温泉街

 上にも書いたように、川治温泉には日光江戸村のようなテーマパークや観光の目玉となるものはほぼ何もないと言ってよい。しかし、大きすぎない小さな楽しみが、こののんびりとした温泉地の良さでもあるし、そんな小さな楽しみを自分で見つけていくのは、旅行の醍醐味のひとつだと思う。特に、日光江戸村やトリックアート美術館などの、あからさまに観光客に向けて作られた施設で、向こうに準備された仕方で「楽して」楽しむことに抵抗のある捻くれものの僕にとってはうってつけの場所であった。

 川治湯元駅を降りると目の前には満面の笑みを浮かべた「かわじい」の像が目に入った。かわじいは温泉街に3人いるのだが、そのうち2人は右手で何かの方向を指し示している。普通に考えて薬師の湯か、足湯のある「川治ふれあい公園」への順路なのだろうが、はっきりとした説明がどこにもないので、何を示しているのかは不明であった(ホームページによると、川治ふれあい公園に案内してくれているみたいだ)。しかもその3人の配置も微妙な位置関係になっており、かわじいをランドマークにして温泉街をめぐるにしても中途半端な配置だった。とりあえず3人とも回ってみたが、特にデザインが違うというわけでもなく、かわじいを巡ったところで楽しいのかどうかもわからない。

(写真)駅前のかわじい。名誉駅長らしい。

 かわじいを巡って温泉街を歩いていると、おなで石と書かれたハタが立っていた。住宅街の中に立っているので、そのハタがかなり目立つ。どんなにすごいものがあるのだろうと思ってしまうのだが、近づくとそこには小さな祠があるだけである。その祠をのぞいてみると、中には赤い男根の像が置かれており、その手前にはなにやら丸い石が一つと、男根の石像が何本か立てかけられていた。立札にはおなで石をなでると心願が叶うとあったので、複雑な気分になりながらも、とりあえず一番目立つ赤い男根を撫でておいた。面白いので、鬼怒川温泉で一緒だった友人にLINEで写真を送ったところ、「ちんこ」という返事が返ってきた。なのでやっぱり男根の方に注目してしまうのが普通のようだが、帰ってからウィキペディアを読んでみると、手前にあった丸い石こそが本物のおなで石であり、これが女陰に見立てられていたそうだ。しかも、安産や子宝など僕には当面関係ないご利益だそうで、僕が撫でても何も良いことはなかった。

(写真)撫でて損したおなで石

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%AA%E3%81%A7%E7%9F%B3

ウィキペディアにもおなで石の項目があったのだが、僕の行動が見透かされていたようでさらに気に食わない。

 男鹿川沿いにはきれいに整備された遊歩道があり、川を眺めながら歩くことができる。特に夕方は、ずらりと並んだ照明が灯され、川沿いにライトが並んだ風景は美しい。途中には足湯のある、川治ふれあい公園に上る階段がある。この新しめの公園にはそこそこの広さの足湯が2か所も設置されており、川治温泉の豊かさに驚かされる。この日は足湯に入っている人はだれ一人いなかったが、あったかいお湯は2つともしっかり張ってあった。この公園の中心には、やはりかわじいが立っている。

 美しい遊歩道からの景色でひときわ目を引いた古いホテルがあった。鬼怒川温泉周辺は、ウエスタン村やカッパ温泉などマニアに有名なものをはじめ、廃墟がたくさんあり、川治温泉も例外ではない。温泉街を歩いていると、ちらちらと廃墟のようなホテルが目に入る。ところどころ割れたガラス張りの大きな浴場が目立つ遊歩道沿いの古ホテルは、まさにバブル期の遺産というにふさわしい外観をしていた。荒廃していくホテルと、美しい遊歩道の照明群との対比が、過ぎ去った時代への憧憬を掻き立てる。

(写真)男鹿川沿いの古いホテル

 驚いたことにこのホテル、まだ営業しているようだ。ネットで調べると素泊まりで6000円くらいらしく、この古さにしては少し高めだ。というか僕が泊まったところよりも高い。しかし、閉鎖してしまうのも時間の問題なので、次来るときにはここに泊まらざるを得ない。

 これらのほかにも、温泉ラーメンなどちょこちょこ気になったものはあったが、結局行かずじまいであった。また、後になって川治温泉について調べてみると、カヌー体験やアユ釣り、少し足を延ばせば水陸両用バスでダム湖を観光できるなど、意外と遊ぶにもいい場所なんじゃないかという気もしてきた。鬼怒川温泉と川治温泉の中間あたりにあった秘宝館が2014年いっぱいで閉館していたのが惜しい。帰り際、駅の待合室には手作り感あふれるかざりつけがされていて、壁には駅前の池を綺麗にしたおじさんについての新聞記事がはってあった。地元の人が川治温泉を盛り上げようとしているのがなんとなく伝わってきた。いい場所だ。

 川治温泉周辺から上ることのできる山は主に、浅間(せんげん)山、南平山、平方山の3つがある。しかしながら、先日の大雨によって至る所で崖崩れが起きており、浅間山と南平山の登山道は進入禁止になっていて入ることができなかった。

 平方山ののぼり口は細い裏道の奥にあったのだが、コミュニティハウスの陰になっていてかなりわかりにくい。見つけるのに苦労した。道は緩やかで、登山というよりは軽いハイキングといった感じなのだが、道が荒れており傾斜の割には歩きづらい。植生はスギ林と落葉広葉樹林で、春に来たらヤシオツツジ、秋には紅葉が美しいらしいのだが、今の時期はただの緑の森であった。自然探勝路と書かれた道があり、そこでは川の流れを聞きながら歩くことができるのだが、大雨の影響かひどく道が荒れており、気持ちのよいハイキングなど到底できないような有り様だ。道のところどころが崩れており、大きな倒木が何度も道をふさいでいた。斜面には石がごろごろと落ちており、ここがもともと崩れやすい地形だということを物語っている。これが積み重なってできたのが、川治温泉周辺の雄大な渓谷なのだろう。

 僕が平方山を歩いた日は雨で少し肌寒かった。虫取りもやる気をなくし、しばらく、眺めのよいはずの東屋で、景色も見ずにアイフォンで音楽を聴いて憂鬱な気分に浸っていた。前日に岸田がくるりプレイリストをnoteに書いていたので、それをBGMにして雨の森を眺めていた。混沌とした時代からのメッセージというテーマでプレイリストを組んだらしいが、山にいると世間の混沌などはどうでもよくなる。

(写真)森の中。

 平方山の頂上には駐車場があり、車で登ってこれるようになっている。車は一台も停まっていなかったのだが、それもそのはずで、道路の途中の数か所が、土砂崩れで埋まっていた。車の通行どころか、歩くのでさえ大変だった。道路を埋める岩の上を渡って苦労しながら下までおりたのだが、その途中、シカが悠々と岩の上を歩いているのが見えた。この道の途中も景色がよく、こじんまりとした川治温泉の町を一望することができる。ふもとまで下ると、当然この道の入り口は封鎖してあり、進入禁止になっていた。

(写真)男鹿川と川治温泉

帰り道

 帰りは17:56発の電車に乗って帰った。今回、鬼怒川温泉と川治温泉の両方に行ったのだが、やはり大雨の影響がところどころに見られた。鬼怒川温泉に来てまず驚いたのが鬼怒川の色だ。流れる水が完全な泥水で、友人は「なんだこれ汚ねえ」などと言っていたが、本当に黄土色一色で僕はむしろきれいだと思うほどだった。鬼怒川温泉に滞在している間に龍王峡へも行ったが、狭い範囲しか歩くことができなかったし、川治温泉では土砂崩れで、浅間山、南平山には上ることができなかった。何もなさそうな場所だったが、いろいろとやり残したことがある。僕の泊まった安宿にはちらほら工事関係の人が泊まっていたのだが、少しずつ復旧が進められているようだ。しばらくして落ち着いたら、また来たいと思う。

 帰りの電車は、東武線が人身事故で止まってしまい、栗橋からは振替乗車でJRを使うことになってしまった。上野から北千住に戻る電車は満員で、大荷物をもった僕はやっぱり申し訳ないなと思いながらも、なんとなくイライラして、東京に帰ってきたことを実感した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?