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読書記録 貧乏大名”やりくり”物語

貧乏大名やりくり物語ーたった五千石!名門・喜連川藩の奮闘 山下昌也著 講談社プラスアルファ文庫

足利将軍家は第15代足利義昭で終わりました。最後の将軍足利義昭の子は1人と言われています。その人は2人の子を持ちます。しかし、2人とも仏門に入って子をなさなかったために義昭の嫡流は途絶えてしまいました。

ただし、途絶えたのは嫡流であって、足利尊氏の子孫が途絶えたわけではありません。その一つが、初代足利尊氏の子基氏を祖とする鎌倉公方です。その子孫が、いくつかの経緯があって古河公方と小弓公方になります。室町時代の終わり頃にはいずれも存続が危なくなるのですが、豊臣秀吉が古河の殿と小弓の姫を縁組させ、喜連川に3500石を認めたので存続できました。

江戸時代には、徳川家康が加増してくれて5千石になりました。大名は1万石以上ですから一般的には大名を名乗れない家です。それなのに、足利将軍家の末流ということで、10万石並の格式だったということです。そのギャップが生むいろいろの苦労話を紹介している本です。

苦労の多くはタイトルにあるように「貧乏」です。帯に「藩と領民を守るため手段を選ばぬ金もうけ!」とあります。

殿様も大変ですが、もっと大変なのが貧乏大名に仕える家来です。喜連川藩では家老でも100石、下は7石が多いそうです。7石は年収28万円相当だそうです。これでは生活できないので畑を耕して自給自足をやっていたそうです。

喜連川藩だけでなく、他の藩のふところ事情や江戸城内の儀礼についても紹介しています。大変面白く読ませていただきました。

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