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戦前の歴史語呂合わせを読んでみる (1)

先日、Twitterでこんなことをつぶやきました。

この絵札に固定観念をぶちこわされました。

続くツリーにも書いたんですが、ぱっと見なんてことない(古めかしいものの)歴史の語呂合わせカルタなんですけど、よくみると、平安遷都の語呂が一四五四、鎌倉幕府樹立が一八五二。

「ナクヨうぐいす平安京」でも「イイクニつくろう鎌倉幕府」でもない! 全文読むと、

・平安奠都 「桓武帝遷し給ひて泰平の一四五四つゞく平安時代」

・武家政治の起 「武家政治起すは頼朝鎌倉府一八五二集う人も質朴」

……「いよいよ続く平安時代」「祝いに集う人も質朴」ってなんなんだ。

と思うわけですが、つまりこれは戦前の皇紀で算出された歴史語呂合わせなんですね。

大日本帝国時代につかわれていた「皇紀」は、神武天皇が大和の橿原に都を建てたとされる紀元前660年を元年とする紀年法。西暦に660足すと紀元何年というのが導き出せるのですが、というわけで

794+660=1454、1192+660=1852となるわけです。

しかし、これまで「なくよウグイス平安京」なんて疑ったこともなかった。疑うとか疑わないとかいうステージにあるのものとも思っていなかった。

でもこの絵札をみて、平安遷都=794年なんて情報はあくまでも西暦ベースでの情報、可能性のひとつに過ぎなかったんだな……と、己のなかの固定観念に気付かされた気がしたわけです。

天皇についてあれこれ調べている身としては、知識として戦前に皇紀、神武紀元がつかわれていたことはもちろん知っていたのですが、こういう歴史の語呂合わせも皇紀で考えられていたということには全く想像が及びませんでした。考えてみればそりゃそうだ、というほどのことなのですが。

こういう、思い込みをガツンとやられたような瞬間にはなんともいえない感動を覚えてしまうもの。しばし時を忘れてこの札に見入ってしまいました。それにしても、

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「1(い)4(よ)5(い)4(よ)」

「1(い)8(は)5(ひ)2(に)」

たった2枚ですでに1と5の読み方が錯綜してて、しかも旧かなづかいでの語呂だからけっこうややこしいなこれ……。


……と、前置きがすごくながくなりましたが、今回ご紹介したこの絵札、『小学生国史満点かるた』という資料です。
札はぜんぶで40種、神武天皇の即位にはじまる「国史」の重要ポイントをイラストと七五調語呂あわせで教えてくれる、戦前に使われた子ども向けの学習副教材みたいなもののよう。

さいしょの絵札が神武天皇即位、最後が満州帝国建国になっているので、昭和10年代(のおそらくは前半)につくられたものなのでしょう。

箱はこんな感じ。

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これが絵札一番「建国」、神武天皇の即位。

神武天皇は山頂から国見をしているか、あるいはヤタガラスを目で追ってるところでしょう。この札の歌は、

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「畝傍山東南の橿原に紀元元年御即位の礼」

元年だから語呂合わせする必要もないだろという押しの強さを感じつつ、あらためて戦前の「国史」は神武天皇即位から説き起こされていたのだなあと再認識させられます。

裏面にはこんな問答もあって、子どもたちの国史の学習を助けます。

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念のため付言しておくと、神武天皇が紀元前660年に即位したというのはあくまで神話のうえでの話であって、歴史的な事実ではありません(キリストが生まれた年だって科学的な根拠はないでしょうけど)(どうやって紀元前660という数字を算出したのかといった話になるとまたややこしくなるのでここでは触れません)。

そもそも神武天皇じたい人間というより神であり神話上の存在ですが、しかしそれを史実として教えていたのが戦前の「国史」であり、この資料は国史が国家公認の歴史であった当時の空気を体感するのにはとてもいい資料だなと思いました。

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(↑こちらは同人誌『天皇を旅する本』1号に掲載した橿原の神武天皇陵と神武天皇の図版)


ということで、せっかくおもしろい資料を入手したので、これからしばらく国史かるたから40種の「皇紀語呂合わせ」を紹介していこうと思います。

神武天皇の次は、神功皇后、仁徳天皇と続きます。ラインナップがさすが国史だ。

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