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一日暮らし

昔、自分で会社をやっていた頃のお話。

イベントの企画•運営のお仕事もしました。

その中で、

医療系の講演会を企画し、そこに講師として
医師であり作家でもあったある著名な先生に
講師を依頼することになりました。

まずは、依頼状を作成し、講演会の趣旨や
お願いしたい講演テーマをお伝えしました。

それから電話をして、

自分「⚫︎月⚫︎日のご予定はいかがですか?」

先生「特に何も入っていません」

自分「では、講演をお願いできませんか?」

先生「わかりました」

そんなやりとりをさせていただきました。

ここで終われば、普通のやりとりでした。

ただ、先生は、その後•••

生きていたらね

と言われました。

たった一言ですが、今でも覚えているくらい
強い衝撃を受けました。

よくよく考えてみれば、
自分たちの未来なんて何の保証もないです。

突然、心臓発作で死ぬかもしれません。

交通事故や自然災害、それ以外にもいろいろ。

未来に何が起こるのか、誰にもわかりません。

自分たちの明日、もっといえば、一瞬先でさえ実は何の保証もないんです。

生きていたらね

という先生の言葉はまさにその通りなんです。

その通りなんですが•••衝撃を受けました。

それは、単に、自分が、何の保証もない明日を
何の根拠もなく信じていた証拠でもあります。

一日暮らし

江戸時代の禅僧、正受老人のお言葉です。

一日、一日を大切に生きること。

明日があると思うと、今日がおろそかになる。

辛いことがあっても、今日一日だと思えば、
耐えられる。

楽しいことがあっても、今日一日だと思えば、
溺れることがない。

死ぬまでが一生だと思うと、
つい、まだまだ長く生きれると思ってしまう。

一生は長いように思ってしまうが、
一年先はもちろん、明日のこともわからない。

今日、ただいまの自分の心。

これが人生で一番大事なこと。

一日暮らし

そんな教えを表した言葉です。

この言葉に触れてから始めた自分なりの実践。

死ぬ気で寝る

これです。

文字通り、布団に入って、寝るときに、

「今日の自分」はこれで終わり

「今日の自分」は今、ここで死ぬ

という気持ちで寝るようにしています。

縁起でもないと思われるかもしれませんが、
こうすることで一日、一日に区切りのような
ものが生まれるような気がします。

そして、翌朝、無事に?目覚めたら、

また新しい今日の自分を生きる

そんな気持ちになれます。

生きていたらね

という先生の言葉。

今ではしっくりくるような気がします。

宗慧

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