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わたしとドッジボール

ドッジボールが嫌いだ。ドッジボールは第3チャクラのかたまりだなと思う。

小学生の時、ドッジボールをよくやった。あれは授業だったのか、クラス遊びだったのか、思い出せないが、よくやったのを覚えている。

私は勇気がなくボールを取る事ができず、自分からボールに触ろうとしなかった。正解にはボールを取りに行って、うまくとれないかもしれない…
恥ずかしい…
皆に笑われるのでは…と思っていたのだと思う。

ボールはとれないし、あたると痛いし、逃げる事に集中していたから、最後まであたらずに残る事も多かった。

最後まで残るとボールを投げなければならない事もあった。でもボールを投げるのも苦手だった。

スポーツテストはいつも級外だった。そこそこ普通にはできていた。でもボール投げが測定ラインに届かず、0点となり、級外となる。他でどんなに頑張っても、ボール投げで最低ラインに届かないから、全てがなしとなった。

なぜドッジボールについて考えているかというと、小学生の娘がドッジボールの話をよくするからである。

友達に公園でボールの投げ方、取り方を教えてもらい、家では、新聞紙を丸めたボールで、胸の前で両手で取る練習をしている。まじめながんばりやさんなのである!

そんな娘とドッジボールの話をしていた時、娘はドッジボールが好きだと言う。そして、ボールも自ら取りに行くと言う。

びっくりした!でも、私と娘は別の人間だから、ドッジボールが好きでもおかしい事ではない。

私は学生時代の事を思い出したくないし、正直覚えていない。小さな事が積み重なり、いつのまにか嫌な思い出となってしまったのかもしれないし、記憶を修正しているだけなのかもしれない。

今後娘が大きくなり、学生時代を娘と一緒に追体験するようで怖いと感じていた。娘が保育園の頃からずっと今まで。

でも、ドッジボールが好きだと話す娘の話を聞いていたら、私の不安が少し和らいだ。娘は将来に希望を持っているし、私と同じ学生時代を過ごすわけではない。そう思う事ができた。

少し前に、うしろゆびさされ組の曲を聞く機会があった。テレビアニメの奇面組の主題歌を歌っていたおニャン子クラブのユニットである。

曲をほとんど知っていた。曲もキラキラしているし、YouTubeで映像を見ると歌を歌う2人もキラキラしている。そんな2人と曲が当時の私は好きだったんだよなぁと思い出した。

こんなに曲も覚えているって事はきっと当時も歌っていて、キラキラな2人に憧れていたのかな?そんな事を思っていたら、思い出したくないと思っていた学生時代も実は楽しかったのかもしれないと思えた。そして、当時の私に光があたり癒されたように感じた。

この2つの出来事で、私の学生時代が全て肯定されたわけではないけれど、楽しいと思える事も少しはあったのかもしれないと思えた。それは小さいけど大きな事で、今の私にも繋がる希望となった。


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