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ボクは「熱波師」とその日名付けられた。2008年の終わりから2009年の話。


この記事は今から何年か前に、「日刊サウナ」というWEBマガジンに掲載された記事です。
それをまたこのnoteにお越しくださっている皆さんにも読んでいただきたくて全ての権利に対し許可を得たうえで現在のボクの状況に合わせ加筆を加え再編成しています。
どうぞ読んでいただければ幸いです。


2008年の終わりから2009年の春ぐらいまでの話です。



おふろの国の林店長が運転する車に乗っている。
イベント終わりでボクは送ってもらっていた。
その車中で初めて聞いた、
「サウナでバスタオルを振るんですよ。」
とか
「いや、ほんとですよ、そういう事やってるんですよ、熱波って言うんですよ。」


当時ボクはプロレスラーだ。


この数ヵ月後に両膝のケガの悪化による休養の為長期の欠場に入るのだが本当の理由は目に重大な問題があることが解ったためだ。
ある日右目の視界がおかしな感じに見えるようになった、あからさまにぐにゃぐにゃに見えた。
すぐに専門医に視てもらったが
以前眼底骨折をした時に右の視神経も痛めていたことがこの時検査を重ねる事で解った。
それがかなりの問題となっていた。
負傷当時から徐々に悪くなっていってとうとう右目の半分が見えなくなっている事が精密検査で判明してしまった。

医師によると実際に見えていない視界の部分は脳が映像を作り出しているということだ。
なので気にしなかったが何年もずっと強い頭痛に見舞われていた。
障害認定はされないが、難治性の負傷だった。

そう言えばボクは普段よく少しの段差で躓いていた。
これは自分の膝は悪く、いつも感覚的に重い。
だから脚が意識より上がっていないからか?と考えていたのだが実は見えていなかったとしたら話は違ってくる。
膝が悪くなかったとしたらそんな異変にもっと早く気づいていたのか?
気づいていたとしてもどうすれば良かったのか?
色々な気持ちが沸くが
一先ず休んでどの部分が悪いのかを探って療養しなければならないのは分かってはいるものの暫く決断出来なかった。

当然大日本プロレスの責任者には伝えてはいたが同僚のレスラー達には知ってる人と知らない人がいた。

プロレスメディアには伏せていた、問題のある部分が眼だけに神経質になっていた。マズイ感じだ、ボクは焦っていた。

当然このケガは休んだ方が良い、休んで医師と治療方法を模索しないと。…それはそうなんだけど
人間は生きているだけでお金はかかる。

つまり早い話収入を何とかしなければいけない。

大日本プロレスに所属はしているがプロレスラーは
「試合をしてナンボ」だ。
保証なんて無いも同然、試合をしなけりゃお金は入って来ない。

そもそもが無かった様な蓄えなんてあっという間に無くなる、もうどんなバイトでもやるつもりだった。

もちろん所属の大日本プロレスに許可をもらって。

同じく所属団体のプロレスラー、アブドーラ小林さんが当時手掛けていた「レスラーズ運輸」という運送会社にバイトで使ってもらって業務用コピー機の配送をやった。

毎回何機ものマシンを運ぶのだが
一番重いので300kg以上ある業務用のむちゃくちゃ大きなコピー機を専用のストラップで体に縛りつけ、搬入用のエレベーターが無かったため4人がかりでビルの7階まで階段で運んだ事がある。

1人は荷揚げのスペシャリストで
ボクの他2人はこれまたプロレスラー。
その内の1人は当時来日していた若手のアメリカ人、クレイグというやつ。
そいつが皆でコピー機を持ち上げ3階ぐらいまで上がった所で重さのあまり
「オウ!ノーーッッ!!ノゥ!ノゥ!ノゥーッ!」と叫びながら階段をずり下りて走って道場まで帰ってしまった。
まあ仕方がないだろう、
彼はプロレスをやるつもりで日本に来たのにコピー機を持ち上げろと言われてるんだから。
でも真のファイターならばコピー機ともも戦わなければならない。

後1人は誰だったか忘れたけど
忘れられない思い出の割には自分が面白かった事以外は疎らに忘れている。

違うバイト先では
工事現場の荷揚げ専門の日雇いをやった。これはボクがプロレスラーだとわかってから全然仕事がもらえなくなってしまった。
オーナーが「プロレスは八百長だからな。」という理由で嫌いなんだと他のバイトのヤツに教えてもらった。

ボクはその時八百長と言う言葉を何年かぶりに聞いた。
別に裏がある世界はプロレスだけじゃないだろうと思っている。
それに大日本プロレスは勝っても負けても選手のギャラは変わらない、
何かに便宜を図られることもない、
観客も公認のギャンブルとして見ていないし
解れば解るほどプロレスは八百長本来とはかけ離れた様式だ。

警備員の研修を受けて雑踏警備をした。
深夜の方が日当が良かったので徹底して夜中のシフトを回してもらった。
どこへでも派遣されてこの時初めて神奈川県の地図を買ってそれを見ながら横浜中を警備さんとして配備された。
(当時はまだガラパゴスケータイの時代でナビとかなかったしね)

その当時横浜の戸塚駅隣接のショッピングモール建設現場に派遣され真夜中の交通整理をやっていたら大日本プロレスのファンがやって来てゴミを投げつけられた事がある。
「バイトってダサ!死ね!」と言ってボクを蔑んだ目で見ながらニヤニヤ笑っていたがこういうのは無視だ。
誰にだって事情はある。

もともとこの警備会社って現金輸送の仕事を始めるって事で主に「対人でのリアルフルコンタクトスポーツや武道」経験者を優先的に雇っていてボクもそれを希望し、面接で伝えていたので
研修を終えた次の日にそこの会社オーナーから毛筆で「これからよろしく頼む」みたいな事を書かれた達筆過ぎて殆んど読めない手紙をいただいた。
金銭面も提示されてそこの現金輸送の仕事のギャラは良い金額だった。保証面では納得していなかったが「ここでやっていくか。」みたいな気持ちになっていた、だけど
ある日現金輸送の部門自体がポシャってしまって、あれよあれよという間に宙ぶらりん。

コンビニは何件も面接で落ちた。

そしておふろの国で深夜、閉館してからの清掃の仕事で使ってもらう事になった。

たぶん大日本プロレスの当時統括部長の
登坂栄児さん(現代表取締役)
が事前に林さんに話していてくれたのだと思う。

林店長は
「こないだ アメトーーク! でサウナ芸人やってたんですよ、それでウチでも熱波やろうかなぁって…でもおふろの国はロウリュヒーターじゃないのでどうかなぁ?
井上さん、もし あれ だったら考えますからやってもらえます?」
と聞かれる。

「 …サウナの中ですよね?」聞き返す。

林店長は
「出来ると思いますよ、そこは勢いで。
先ず井上さんがやって
アブドーラ小林さんにもいずれやってもらって。」
ボクは
「わかりました、やります。」と答えた。
来るものは拒まず仕事は断らない。

…でも何をどうやれば良いのか?
林店長は
「名古屋にウエルビーってサウナがあってそこでバスタオルでやってるみたいなので今度視察しに行きましょうよ。」

この時横浜駅のスカイスパの名前は出なかった。

林店長は続ける、
「それとね、愛知県の知立ってところにサウナイーグルって凄い面白そうな所があるんですよ、そこにも行きましょう、サウナイーグル!
じゃあ愛知県に行く日程出すんで行きましょうよ、会社の許可を取っておふろの国でも熱波を正式にやることにします。
井上さんやってください。」


後日、林店長に所属であった大日本プロレスのボクのスケジュールを押さえてもらって愛知県のサウナイーグルに行く事になった。
当時ボクはサウナは好きだったけど「熱波」、「ロウリュ」を知らなかった、それこそ初めて名前を聞いた時は当て字だと思っていた。

「狼竜」みたいな。


季節は暖かくなっていた。
ここで熱波(ロウリュ)をやっていると事前に分かっていた店舗の内の1つ、
先ずは愛知県知立市のサウナイーグルに向かう。
現在のリニューアルが施される前のサウナイーグル。

名古屋から名鉄線、駅から歩く
そしてここだと思われる場所には
ボウリング場。
「あれ?サウナは?」と思った記憶がある。
サウナイーグルはそのボウリング場の屋内駐車場の奥に入り口があったので外からは見えなかった。
中に入るとまるで異次元のトンネルの様だった。

ずいっとサウナがある浴室の手前まで行き
セーラー服を着てサウナでバスタオルを振り熱波をやる人がいる!と知り、
さらにサウナでカレーライスを食べるイベントがある!と知り、
「リネンジャー」と云われるロウリュスタッフがいる!と知る。

当時はそのロウリュスタッフ「リネンジャー」が繰り出す耐久熱波を最後まで受けきり、そしてサウナ入室最長時間を記録したお客さんの歴代写真が額に入られられ浴室入り口に燦然と飾られていた。

こういう感じなのだと頭の中に入れて
その日の熱波(ロウリュ)のタイムスケジュールを調べた後
一旦仮眠室で睡眠を取ることにする。
朝イチの新幹線で来て名鉄に乗って知らない土地を歩いた体はあっという間に眠りに落ちる。
そして確か林さんに起こしてもらった記憶がある、「そろそろですよ、サウナ行きますよ。」

あー、時間か、いよいよロウリュだ。
なんかドキドキする!

館内着を脱いでフェイスタオルだけ持って浴室に入る、当時は入浴前に肌や頭髪の保湿を…とか分からない。
かけ湯して体をタオルで拭いサウナに入りしばらくするとその時はワンオペのスタッフが入ってきてロウリュの説明「新陳代謝が良くなり…」からのアロマ水をサウナヒーターの石に注入。

「あれがロウリュのヒーターか…、あの石のことを言ってたのか…
このスタッフがリネンジャーか…。」

ジュワゥッ~…!っとヒーターの上部に積まれた石から湯気が上がり目に見えない水蒸気が向かってくる。
すると
「…熱ッッ!何だこりゃ、、うご~、こうなるのか、、ロウリュって熱いわこれは!」
それはもう熱い…!

サウナイーグルのサウナ、当時は20人ぐらい収用のサウナだったと思うけど平日の昼間はボクとおふろの国のスタッフと地元のサウナ好き1人とかそんな感じ。
そして始まるバスタオルによるサウナ室内の空気の撹拌、…と言うか熱い空気を暴れさせているかの様な…
これがまた強烈に熱くしてくれる、、
またまた
「熱っつ~い!!ええッ!?
こうなるのかッッ!!」と驚く。
熱ッついッ。

そしてボクもおふろの国スタッフも地元のサウナ好きの人も
リネンジャーにバスタオルで扇いでもらう、

ボフッ…ボフッ!!

まだサウナに入ってロウリュを受ける態勢も取れずにたいがいカラっとしている肌に浴びるロウリュは
唇は痛いし乳首もモゲそうなぐらい熱い痛い!!

ボクはまいっちんぐマチ子先生の様に手で胸を隠して…というか乳首を守る事しか出来なかった。

ロウリュを浴びたのはもちろんおふろの国の林店長も初めてだったので
2人で
「こりゃ熱い!こりゃスゲー!」と興奮しながら
その時のワンオペのスタッフ、リネンジャーに
「これは良かったです!
ボク達このために横浜から来たんです。
これは良かった!
ホント良かった!マジで良かった!良かった、良かった!」

とかなりのバージョンの「良かった」を連呼した後
林さんがボクの紹介をしてくれた。

「え!プロレスラーなんですか!」と
相手は驚いた様子。

ボクは、いや、プロレスラーって言ってもちょっと体があれで休んでる…
と言うのも聞かずに何処かへスっ飛んで行ってしまったリネンジャー。

「今日はプロレスラーがロウリュを受けに来ている」と瞬く間に館内に広がり
横浜から来たボク達の為に今日特別に強目の熱波をやっても良い、「受けて行ってもらいたい!」と嬉しい言葉がお店側からとして帰って来た。

こっちもその後の予定があるにはあったのだけど
それは良かった受けましょう!という話になってトントン拍子。

次熱波受ける前に食事しとこうとスナックみたいなカウンターのあるレストランで
あぁ…カラオケも出来るんだ、とか思いながら確かトンカツ定食を食べた。

強目の熱波を浴びる心構えもしつつ、一度浴びたあの熱さを分かっていたので
「強いと言ってもまあ大丈夫だろう…」と高を括る。

時間になり脱衣場で館内着を脱いでいるとさっきとは違ってリネンジャー2人体制、「よし、行くぞ。」と2人頷き合い、明らかに違う空気感を漂わす。

熱波を受けると言ってもまだ分からないので1度目と同じ様にかけ湯してサウナに、そしてリネンジャー2人体制で始められる熱波(ロウリュ)、
「今日は特別に」を強調しながら
「強目のロウリュを行わさせていただきます。」と口上。

ボク達おふろの国勢とは違い
おそらく「強目のロウリュ」を受けた事のあるであろう地元のお客さんも静かに目を瞑り頷くだけ。

「それでは行います…」とリネンジャー、厳かだ。

その刹那、明らかに多めのアロマ水をラドルで注入されたサウナの石からさっきとは全然違うロウリュが発現する!!
あっという間に目が開けられない、熱いのなんの!
初めてだからというのもあるが「これは事故…」と思うぐらい。
目を瞑っているため真っ暗の中、熱さの渦巻きの中にいる感じで息が上手く出来ない。
熱波が何本もの赤い色の筋になって心の中で見えた気がした。

これが熱波なのか、強目にロウリュをやってバスタオルで扇ぐとこうなるのかッ!!

…ぐわーっ!!

と乳首をまた隠して目を閉じて本能で下を向く、耐えに耐える。
当初の目的、熱波を視察も何も目が開けられなくなって何もわからない。
もう周りがどんな事になっているのかもわからない、そうだよ、おふろの国の林店長は何処だッ?
地元のお客さんはまだいるのかッ?

そんな中、リネンジャーの
「それでは2度目のアロマ水をいかせていただきます。」
…待て待て待て待て… と思うも声も出ず、

ジュュュ~ッッ!ジャッ…ジュオワ~ッッ…!

…おわーッ!と心で叫ぶ。
薄目を開けるとひたすら不乱にリネンジャーがバスタオルを
バフッ!バフッ!バァフゥッ!!と振りまくっている。

地元のお客さんが
「…あぅっ!…あぅっっ!」とロウリュを受けているのがぼんやり見える。
おふろの国のスタッフはもう何処かわからない。
もう何も考えられない、熱っい。

1度目は熱波受けた後水風呂には入らなかったけど今度は終わったあと水風呂に飛び込む様に入った、水風呂の事しか頭に無かったぐらいだ。
火を吹く様に熱くなった体を水風呂で急激に冷やす。
水の冷たさが皮膚から体の表面に入ってくる。

…これは、…気持ちいい。

そして熱波後、水風呂に入った今、ボクは普段常に頭から離れない
怪我の事、生活の事をボクは忘れていたのだ。
そしてすっきりしている。

別に考えがまとまったワケじゃない。
現実は変わりはしないけどサウナで熱波を浴びた時間、水風呂に入って冷たさが体の表面を覆う時、ボクは全てを忘れる事が出来ている。

そして「まあ、たぶん大丈夫だろう。」と思える気分になっている。

良かった、また熱波受けたい。

何度も言うけど熱波を受け気持ち良くなったからと言って
ボクを取り巻く様々な状況が好転する訳じゃない、何も変わらない、自分が実際に何とかしないと何もかもが自然に短時間でどうにかなるなんてことはあり得ない。

自分で思考し決断し行動しなければならない。

だけどサウナに入って熱い熱波(ロウリュ)を浴びれば明らかに気分は良くなって集中力も上がる、ボクの集中力は上がった。

集中力が上がって冷静になれれば具体的に「どうすることが自身にも周りにもベストなのか?」、間違っていない判断を下せるマインドになれる気がする。

筋の通った覚悟がきまる。

サウナで体を温める事による脳や体のメカニズムの動きはこの時知りもしなかったが
そんな事は理解出来なくても
プロレスを欠場してこの先不安なボクの気持ちは軽くなっていた、

久しぶりに「純粋に気持ちが良かった」のだ。
気分が晴れた。

ボクはそんな事をサウナイーグルを後にし、名古屋に移動して林店長がご馳走してくれた「やばとんのトンカツ」を食べながら思っていた。
そんなトンカツばかり食べた日の最後に
「サウナと水風呂、毎日入りたいな。」
ぼんやりとそう思う。

そしておふろの国で
その年のゴールデンウィークから本格的に始めようとしている熱波の事を話していた、
しかしながら同じ状況(設備)のサウナでは無いと言うことを解っていなければならない。


横浜に戻り、林店長の運転する車で送ってもらう車中で、

林店長
「井上さん、バスタオルをサウナで振る時、掛け声は必要じゃないですか?」

え?掛け声ってそれ言いながらやるんですか?

「そうですよ。やんなきゃ。」

どんなのですか?
「いくぞーッ!コノヤローッ!」とか?

「いやいや、何でコノヤローなんですか…
まあでも いくぞー!はなぁ…、
普通じゃないですか。
ワッショイとかもなぁ、普通じゃぁちょっと…。」

・・・・・。

「…何かないですか。」

そう言えば横浜じゃ「ハンパなく凄い」の事を パネスゲー って言うらしいじゃないですか。ボクは大阪だから分かんなかったけど。

「ああー、パネスゲー…。」

ああー、パネスゲーよ…。

「パネスゲェ、パネっす…。パネパネ。」

こう、パッと。…あ!

「井上さん、パネッパ って言ってくださいよ、バスタオル振りながら。言えば良いじゃないですか。井上さんはやんなきゃ。」

…パネッパ ですか!?

「パネッパでいきましょう。」

パネッパ。

ボクは生まれて初めて熱波を浴びた日の夜、
初めて パネッパ と言った。

もしプロレスを欠場していなくて試合のスケジュールの中にいたらこの日のボクは無い。

林店長
「さすがにおふろの国はロウリュサウナではないのでイベントも「熱波」でいきましょう、井上さんは熱波をやるプロになってください、そうだな、熱波師ですよ。
熱波師 井上勝正 。」


そしてボクは「熱波師」と名付けられた。








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